見渡す限り、花びらの黄色のみで一面埋め尽くされたひまわりの庭。背高のっぽのひまわりは何事もなく佇んでいる。それは前にも後ろにも右にも左にも、自分を囲むようにひまわりは佇んでいる。頭を支える太い茎、左右へ伸びる大きな葉は手を広げて一身に陽の光を浴びているかのよう。ここはひまわり畑。何故か切ない気持ちに駆られるのは、胸の内にしまい込んだ秘密があるからだろうか。
『ひまわり』、その四文字に馴染みが深い人間は自分だけじゃない。この畑中に種を植えて育てた人も、自分の生まれた季節の代表的な花だったという人も、夏と言われれば無条件で予測変換に出てくる人も、両親を失い、行き場をなくした子供たちが集う、とある施設の出である人も、皆『ひまわり』の四文字とは浅からぬ縁がある。昔、中学卒業と共に施設を出た子達がいた。その二人は、あの頃の子供たちの中で一番の年長者で兄のような存在だった。良くしてもらった思い出が懐かしい。かく言う自分も、ひまわりという養護施設の出だ、彼らを兄のように慕う時期があった人間だ。
「お前は俺にだけ懐いてくるよな、もっと周りのヤツらと上手くやってみろよ」
まだ自分が幼かった頃、怪我の手当てをしてくれた時に言われた言葉である。些細ないざこざを上手く避けられず、その結果として怪我をして帰った日のことだ。心を開く相手を選んでしまう自分に彼はそう告げた。懐かしい記憶だ、とっくに忘れてしまったものだと思っていたのに。こういう時ばかりは雑になれず、丁寧に思い出をしまい込んでいる自分にため息が出た。
桐生一馬と錦山彰。それが二人の名で、自分はその錦山によく面倒を見てもらっていた。錦山には下に妹がおり、元々の面倒見の良さから何かと世話を焼いてくれたのだと思う。今となっては感謝してもし切れない、あの優しさに助けられていたからこそ今の自分がある。感謝をもっと口にするべきだったと後悔の念すら感じてしまう程に。
ふと、ひまわりの作る影の中で空を見上げる。太陽が強く大地を照りつけるものだから、頭を垂れるひまわりの姿が何本か見受けられた。暑い、と口にすれば、話を聞いていたかのように辺りの黄色がざわめき出した。風が吹いたのだろう、ざわざわと横に揺れるひまわりを眺めながら、狭い隙間を通り抜けて行く。
ここにやって来たのには理由があった。最近になってひまわり畑の夢を見ることが多くなったのだ。いつも自分は畑の中心にいて、誰かに名を呼ばれたところで目が覚めるという夢を。夢が暗示している、きっと自分に何かを伝えているのだと思い、今日ここを訪ねた。だが、あるのは夢で見た景色だけで、自分に声を掛けてくる人間の姿はない。
見飽きた景色にもう帰ろうかと思い始め、足を止める。見飽きた筈の景色に違和感を覚え、辺りを見渡した。先程まで吹いていた風が止み、その余韻もなくひまわり達は静かに立ち尽くしている。そして皆、頭を垂れている。自分が見ていた景色とは違う光景に、言葉に出来ない恐怖を抱いていた。急いで踵を返し、元来た道を戻ろうと振り返った瞬間。
『 、』
声を掛けられた、無人のひまわり畑で。人の気配のないひまわり畑で誰が自分を呼んだのだろうか。そもそも、何故ここは人の気配がしないのだろう。辺り一面に綺麗なひまわりが並ぶこの場所に観光客が一人もいないのは異常ではないだろうか。それに声は振り返る直前に聞こえてきた。さっき自分が辺りを見渡した時、人の姿など見えなかった筈なのに。そして何故、ひまわりがこちらを向いているのだろう。
項垂れていた花々が今度は自分を凝視するかのようにこちらを向いていた。内側の小さく詰まった花は瞳、その周りの黄色い花びらはまるでまつ毛のように見える。こうして冷静さを欠いている間にも異変は立て続けに起きている、明らかな違和感だけを残して。
遂に恐ろしさからその場を離れた。群がるひまわりを掻き分けて、足を止めないように耳を塞ぎながらただひたすらに走り続けた。声が耳から離れない、どうしてあの声が聞こえたのか。今更、故人の声を聞くことなど有り得ない筈だ。まだ出口は見つからない、出口があるのかさえ分からない。自分がどうやってここに来たのかも分からず、今は正体不明の何者かから逃れるようにひまわり畑を走り抜けていく。まとわりつく黄色を払い除け、駆けていく先に初めてそれを見た。
白いスーツを来た男性の後ろ姿がその先にあり、助けを求めるように近付いて行けば、自然と足は止まる。足音に気付いたらしく男がこちらを振り返るが、その顔は近くのひまわりが伸ばした手で遮られて見えない。
「よぉ、どうしたんだよ。まるで死人にでも会ったような顔して」
ずっと探してたんだ。と親しげに話す男からは懐かしい面影が残って見える。あの人が施設を出た後のことなど知らなかった、東京の神室町で死んだということ以外は。止めた足が今度は後退る。自分を覗き込む周りのひまわりも不気味だが、正面にいる白いスーツの男はもっと不気味だ。もっと遠くへ逃げなければ、と後退し続けていると誰かに両肩を掴まれた感触がして、不意に振り返る。
すると、そこには一段と背の高いひまわりが自分をしっかりと捉えるようにそこに生えていた。捕まえたと耳元で囁かれたような気がして、咄嗟に前を向けば、白いスーツの男は既に真正面にまで近付いていた。相変わらず顔はひまわりの葉で覆い隠されたままだ。
「ほら、帰るぞ」
自分へと伸ばされた腕から逃れる術がない。ひまわり達の視線が集中する中、まともに叫ぶことも出来ずに男に腕を掴まれた。そしてその男の声を最後に、ひまわり畑から人の姿は消えた。二人を失った花達は皆、白々しく太陽を仰ぐ。ここはどこにでもあるひまわりの庭、消えた二人の行方も、彼女が消えてしまった事実すら誰も知らない。
大輪のひまわりは今日も太陽を求めて手を伸ばしている。
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