薄明の頃、ふと目が覚めた。辺りはまだ薄暗く、もう一度眠ってしまおうとさえ思えた。しかし、ぼんやりと意識の薄い頭でありながら、海藤は隣で眠っている彼女を見た。暖かな布団に包まっている彼女は小さな寝息を立てており、まだ夜明けを知らない。丸まった布団のシルエットに、ちょこんとはみ出た頭が妙に可愛げがあり、海藤は自分の布団を抜け出て、彼女の背後に潜り込んだ。多少窮屈だったが、強引に体を布団に押し込み、彼女を自分の方に引き寄せる。揺り起こされたかのように彼女は目をうっすらと開けたものの、海藤の顔を見るなり、ふやけた笑顔でその懐に潜り込む。あどけなさの滲む寝顔を見ている内に、再びゆるやかな眠気に誘われた。彼女の背中に腕を回し、自分から密着していく。そして、最後に無防備な額に唇を寄せ、海藤は再び眠りに落ちていった。


***


 次の目覚めもまた穏やかなものだった。携帯のアラームに二人は叩き起されていながら、同じ布団の中でおはようと交わす時間はかけがえのないものだ。どの季節であろうと温もりや心地良さの残る布団からは中々抜け出せない。だが、彼女は海藤を置き去りに布団から出て行ったのだ。手には画面が表示された携帯がある。よく見てみると、彼女は慌てているようで海藤も後からついて行く。

「寝起きだってのに何急いでんだ」

 彼女は海藤の方へ振り返ると、目覚めて間もないと言うのに困った顔をしていた。どうやら、寝過ごしてしまったらしい。海藤は首を傾げる。いや、そんなはずは、と口にすると、彼女がその独り言を拾ってしまい、海藤に詰め寄る。寝起きの柔らかな顔でしかめっ面をしているせいか、あまり恐ろしく感じられず、寧ろ怒っているのに可愛いと言う訳の分からない状況になっていた。

「……いや、あれだよ。たくさんアラームかけても二度寝しちまって意味がねえと思ってたんだ」

 外は眩しい陽の光に包まれて穏やかなのに、彼女の顔はゆるゆると怒りを滲ませる。

「だから、それで……。早え時間のヤツは消して、一発で起きれるようにだな……」

 もしかして、と言葉を漏らした彼女は急いで手にしていた携帯を弄り始める。電源を入れ、画面のロック解除に指を走らせたところで一つ気付く。海藤さん、どうやってロック解除したんですか?あ?そりゃあ、適当に……。適当にやったら、パスワードが入力出来なくなるんですよ。彼女の猛追は止まない。海藤も次第に分が悪くなり、逃げ腰で視線を逸らす。

「……実は解除出来ちまったんだ、その携帯のロック」

 怒りが滲んでいた顔が今度は驚きに言葉を失い、目を丸くしている。やっぱ、俺も探偵の才能があんのかもな。と笑いかけても、彼女の顔は浮かないままだった。だが、その理由が海藤には分からない。だって、何も落ち込むようなことはないだろうに。ただ、そのパスワードと言うのが ────。

「まあ、でも俺の誕生日だとは思ってなかったぜ」

 途端に目の前の表情が狼狽え始める。唇をわなわなと震わせ、動揺が顕著なようで瞬きも忙しない。さっきまで怒りを向けていた視線すら、今では海藤から逸れてあちこちに逃げ回っている。俯き、前髪で顔を覆い隠そうとしているのが分かった。

「つうか、時間はいいのか?寝過ごしてんだろ?」

 海藤の言葉に彼女は再び部屋の中をバタバタと行き来し始める。やれ洗顔だ、やれ歯磨きだ、やれ朝食は抜いていくだの、本当にひっきりなしに辺りを動き回っている。海藤は一人呑気に欠伸を噛み殺していたが、彼女の慌てように何故か嫌な予感を感じていた。まるで、自分も他人事ではないような。そんなことを欠伸の合間に考えていると、遂に彼女から大切なことを告白される。家を出る時間を既に過ぎていると。その言葉を聞いてやっと海藤にも火がつき始める。

「……ってこたぁ、遅刻じゃねえか!」

 つまり、海藤は彼女の予防線であるアラームを最後の一つを除き、全てオフにしてしまったのだ。しかも、その最後のアラームと言うのは家を出る時間を知らせる為のものだった。乱暴にスウェットを脱ぎ捨てた海藤は遅れて洗面台に向かう。半裸の状態で顔を洗い、歯を磨いていると、彼女が気を利かせて服をまとめて用意すると言い出し、素直に任せることにする。洗面台の前から離れてすぐ、海藤はいつもの一張羅に腕を通していく。彼女は彼女で、テーブルに鏡とメイクポーチを広げて化粧に勤しんでいる。ベルトを通し、袖口のボタンを留めながら、彼女が彼女自身に施す化粧の一部始終を黙って見ていた。

 手早く下地、ファンデーションを丁寧にムラなく塗り広げている。それから眉や瞼、更には器用に綺麗なラインを描くアイメイクに海藤は感嘆の声を漏らす。しかし、大変だとも思った。テーブルの上に広げられた化粧品の数は想像以上に多い。唇でさえ何度も塗り重ねることで、いつも見ているようなふっくらとした出来上がりになるのだから、決して蔑ろに出来ないと思った。すると、あんまりにも見つめられるものだから彼女は海藤に余裕なさげに問いかける。困ったような笑顔で、今日のメイクは大丈夫かどうか。そして、今日も可愛いかどうか。恐らく戯れのつもりだったのだろう、本気で自惚れたい訳じゃないと。だからこそ、海藤は自身も急いでいる状況ではあったが、そこはしっかりと彼女の目を見て、答えてやりたかった。

「おう、今日もバッチリだ。神室町一可愛いぜ」

 まさか、そこまで言われると思っていなかった彼女は少しの間、ぽかんと口を開けていたが、すぐにありがとうと嬉しそうに笑った。自分の言葉を恥ずかしそうに噛み締めている彼女に、次はアレだよな。着替えて待ってろ、持ってくる。と急ぎ足でアクセサリーがしまってある引き出しに手を伸ばす。中には海藤が彼女に贈ったものから、彼女が自分で見繕ってきたものが綺麗に並べられている。どれを手に取ろうか迷っていたが、一瞬の内に海藤の中で答えが決まる。自分が贈ったペンダントを彼女はよく身に着けていた。何故だか無性に今日もそうであって欲しいと思ってしまい、彼女の元にペンダントを持っていくと、彼女はまた驚いた顔で、私がそれ着けたいってよく分かりましたね。と長い髪をひとつにまとめて上へ逃がす。まあな、とその胸元にペンダントを添えてやり、自分の不器用な指先と格闘しながらペンダントを着けてやった。

「よし、そんじゃ行くか」

 最後に忘れ物がないかを駆け足で確かめ、二人はやっと玄関でそれぞれの靴を履く。狭い玄関に二人並ぶと、顔を見合せた。忘れ物がないことを祈り、まずは彼女が先に部屋を出ようとした。だが、それを阻んだのは一つやり忘れていることがあるからだ。初めはきょとんとしていたが、すぐに思い出してくれたようで、背伸びで身長差を少しでも埋めようとしていた。背伸びの彼女にぐっと近付き、綺麗に仕上がった唇に触れる。満たされた胸のまま、二人はようやくこの部屋を出て行った。



| 薄明 |


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