しょぼくれた海藤とは違い、彼女の表情はとても明るいものだった。理由は無事に持ち帰ることの出来た、ころにゃんのぬいぐるみだ。海藤は更に色違いの黒も取りたかったようだが、彼女にとってはこれひとつだけで充分だった。その充分過ぎるほどに喜ぶ姿を見た海藤もいつの間にか調子を取り戻していた。自分の取ったぬいぐるみを大切そうに抱えていれば、つられて嬉しくなるのも当然で、次は絶対黒いの取ってやるからな。と意気込む。

 そこまでムキにならなくていいのに、と相槌を打っていると、暮れた公園で一人ブランコに乗っている少年の姿があった。ふと足を止め、海藤を呼ぶ。もう直に夜になる時間帯だ、そんな暗い時間に彼が一人では不安だからと二人は声を掛けてみることにした。何か事件やトラブルに巻き込まれてはいけない。それに見て見ぬふりは出来なかったのだ。まずは彼女が傍に寄り、声をかける。すると、少年は俯いていた顔を上げ、二人を見た。そして、……あ!と彼女の抱えていたころにゃんのぬいぐるみを指差した。

「どうした、ボウズ。指なんか差して」
「ころにゃんのぬいぐるみ!」

 少年はブランコから下りると、すぐさま彼女の正面に立ち、それってどこにありましたか?と拙い敬語でぬいぐるみの置いてある場所を訊ねてきた。その様子から、少年も彼女と同じでこのぬいぐるみが欲しいのだと分かった。シャルルと言う名前のゲームセンターだと告げると、ゲームセンターってことはUFOキャッチャーの景品?と更に聞かれ、そうだと答えた。少年は途端に顔を曇らせる。

「僕、他のゲームセンターでUFOキャッチャーやったんだけど、うまく取れなくて……。それで貯めてたおこづかいもなくなっちゃって、」

 でも、早めに行かないとなくなっちゃうよね……?と悲しい瞳で問いかけてくる彼の心情を思うと、彼女も良心が痛んだのだろう。これ、あげる。と抱えていたぬいぐるみを手渡した。海藤もこの時は彼女の善意に水を差すまいと黙っている。

「いいの……?」

 うん、大丈夫。私のは、またこのお兄さんが取ってくれるから。と笑顔を見せる。彼が下手に遠慮せず、ぬいぐるみを持って帰れるように。彼女の意図を察した海藤も彼の為に一言添える。

「こう見えても俺、結構上手いんだぜ。今日はあんまり調子良くなかったけどよ」
「本当に、もらってもいいの?」
「ああ、このお姉さんが良いって言ってんだ。それに早く帰らねえと、母ちゃんが心配すんぞ」

 ここで少年はようやく二人からの贈り物を受け取ってもいいのだと気付き、ぎゅっと胸に抱え、自分の中にあるぬいぐるみをキラキラした瞳で見つめていた。そして、満面の笑みで二人を見た。

「ありがとう。お兄さん、お姉さん」

 頭を下げた彼は急いで帰路に着いた。これで一安心だと彼女が笑い、海藤は良かったのかと少年の背中を見送っている。あんなに嬉しそうな顔が見れたんだから、あげてよかったんですよ。どこか照れ臭そうな顔で、手持ち無沙汰の両手を気にしている。海藤さんは良かったんですか。まあ、イイもん見せてもらったしな。彼女が気にしているだろう手を取り、再び歩き出す。

「お兄さん、お姉さんだってよ。くすぐったくて参っちまうな」

 あの子にとって、優しいお兄さんですよ。海藤さんは。彼女は海藤が繋いでくれた手を幸せそうに握り返す。大きくて、温かくて、しっかり握っていてくれる海藤の手が好きだった。ふとした沈黙に、何となくの将来を覗き見る。ぼんやりとしていて、はっきりと何も定まっていない不確定なものだ。
 試しに夫婦になる未来を描いてみた。互いの左手には指輪を嵌めるのかもしれない。もしかしたら、同じ姓になって周囲から慣れない呼び方をされるのかもしれない。いつか、彼のように家族と呼べる相手が増えるのかもしれない。まだ全て空想上の話だ。だが、何故か無性に照れてしまって、それ以上想像するのをやめた。今の形に不満がある訳じゃない、寧ろ満足していることばかりだ。それでも、将来は向こうからやって来て、いつまでも今のままでいることを許さないだろう。その時、その瞬間になったら、自分達はどのように選択するのだろうか。恥ずかしくて、まともに海藤の顔が見れなくなった。

「なあ、今何考えてんだ」

 予期せぬ問いに、秘密。と返せば、俺も考えてた。何を?……さ、先のことをよ。更に深追いしようものなら、海藤の方が自ら考えていたことを話してくれた。少し先の将来を考えていたらしい。今以上の関係になった時のことで、まるで妄想のように都合のいい内容だと添える。なんだ、同じこと考えてたんですね。と思い切って告白する。自分も同じ未来を描いていたのだと。繋いだ手が不意に力んでいる気がした。お互いに。心臓が押し迫るように気分を高揚させる。

「……たまにはこう言うのも、悪くねえもんだな」

 海藤にしては珍しい物言いだった。言葉にハリがなく、どっちつかずの弱い言葉選び。だから、彼女も弱い言葉を伝えたかった。言葉の持つ意味の弱さではない。彼女がずっと眠らせていた弱さ、そのものだった。

 ──── いつか、私に海藤さんの昔のこと、教えてくださいね。

 夕闇に攫われてしまいそうなか弱い響きに、海藤は彼女の言葉を真正面から受け止めていた。風が切なく香る。自分でも笑いたくなるほど、情けないくらいの弱さだった。無闇矢鱈に詮索したいのではない。ただ、思い出話をするように、過去を懐かしむことが出来たらそれで良い。必要ならば、その為の助けになることさえ厭わない。だから、その時には二人で酒でも飲みながら、笑い合って話がしたい。

「そん時にゃ、俺に愛想尽かして別の男とくっ付いてるかもしれねぇんだぞ」

 そうなったら、気の合う友人として。でも、人生の中で海藤さんほど、強く惹かれた人はいなかったよ。彼女の滅多に明かさない本心を聞き、海藤は満足げに微笑む。そうかい、そりゃあ光栄なこって。待ってますからね、ゆっくりでいいですから。なら、俺は捨てられねぇようにしねえとな。二人はどちらも笑みを浮かべ、もう一度しっかり手を握る。離れない、離さないようにしっかりと。

 まもなく夜が降る。この闇にはぐれてしまわないように、二人は手を繋いで家へと帰っていく。



| 暮夜 |


back