「どうしてって顔をしてるな、」

 きみは本当に分かりやすいからな。と桑名は笑う。その証拠に笑顔がぎこちないのと、ふとした瞬間に沈んだ目をしていることがある。誰かと居る時はそんなことはないが、一人になった時にはそれが表に出ている、とまで言い切られ、突然彼の傍が居心地悪いものになってしまった。責められている訳ではないと分かっていても、自分のマイナスな一面を見せてしまったことに対して、仕損じてしまったような気になった。責められてはいないのだ、ただ自分が自分の逃げ道を塞いでしまっている。

「そこまで立派な大人じゃなきゃいけないのか」

 『大人』とは何だろうか。世間的には二十歳を迎えた成人を指す言葉だ。だが、本当に二十年とちょっとを生きただけで『大人』なんてものになれるのだろうか。今の自分はどうだろうか、『大人』という生き物ではあるが、その実、中身が伴っているとは思えない。

「また、自分を追い詰めていないか」

 そんなことしても、きみが苦しいだけだ。桑名は自分を横目に、寂しかっただろう唇に電子タバコを添える。食み、吸い、吐く。ふわり、と真っ白な煙が宙を漂い、ほろほろと砕け散っていく。『大人』とは煙草を嗜める人のことだろうか。思考がどんどん飛躍していくようで、難しく考える癖がつき始めた頭を休める。それでも、ぎっちりと押し詰められた憂鬱で重たいだけの思考はなくなってはくれない。もう一度、桑名を見た。桑名も自分を見ていた。不安そうに見えるのは、自分の心が不安定に揺れているからだろうか。今の自分が吐き出す言葉は全て呪いだ、毒だ、有害だ。誰の為にもなれない、寧ろ、掃き捨ててしまった方がいくらかマシな、僅か数グラムの重みを含んだ物質だ。

 彼が嫌いな話題かもしれないと、私の言うことはそれほど重要じゃないので、流してください。と告げれば、どうして耳を傾けなくていいんだ。と返され、返事に困る。何故かを問われれば、第一に嫌がると思ったからと口にすれば、そんなことはない。と挟まれ、次に楽しい話じゃないからと続ければ、楽しい話ばかりしてても仕方ないだろう。と押され、二の句が続けられない。

「俺は無理して人前では笑っていようだとか、人のことを考えて接しようとは思わない」

 もしかしたら、性格が関係しているかもしれないが、きみがきみらしくしていて、何が問題なんだ?
 その真剣な眼差しから目が離せなかった。目の前を遮る透明な壁に亀裂が走る。息苦しさが緩和していく。綺麗な空気を肺いっぱいに詰め込んだ時の感覚に似ていた。勿論、誰かのことを考えて、そう行動出来るのは立派なことだ。でも、それできみが参っちまったら意味が無い。桑名の言葉に、透明な壁の亀裂が深く、遠くまで走っていく。周りの風景が鮮やかに色づき始める。目頭が優しさに戦慄いていた。

「せめて、俺の前でだけでもそのままでいればいい」

 それで俺が困ることもなければ、きみだって困らずに済む。違うか?大きな手が伸び、まずは頬を軽く撫でた。何故かと思えば、瞬きの間に涙がこぼれ落ちる。頬を濡らす雨粒を指で攫い、何度も大丈夫だと唱えてくれる。ここ最近の雨雲はいつになっても晴れなかった。それがどうして彼の手にかかると、こうも容易く晴れ間を連れて来てくれるのだろう。至る場所に亀裂が入った壁はいつの間にか消えていた。自分の手で、自分の雨粒を拭う。すると、今度は大きな手が頭上に差し掛かり、そっと降る。ぽんぽんと触れるだけの手に、撫でてくださいと本心を明かせば、桑名は驚きもせず、さも当然と言うようにそうだなと頷き、やんわりと頭を撫でた。
 現金な考え方をしているかもしれないが、こうされると安心するのだ。まるで今の自分のままでいいと肯定されているようで、酷く居心地がいい。雨はまだ止まない、しかし、もう直に止むことだろう。見上げる度に慈しむような瞳で見守ってくれる、桑名のおかげで。

 酒や煙草を嗜もうが、いくつ年齢を重ねようが、威厳を帯びようが、ライフスタイルを確立していようが、『大人』とは誰かの為に心を、優しさを割ける人間のことを指す言葉なのだと教わった気がした。

「ありのままでいられるのが、この世で一番難しい」

 桑名の言葉に最後の雨粒を拭い、私の前でも桑名さんはありのままでいて大丈夫ですからね。と伝えると、目を丸くした後に二口目を吹かす。そして、吐き出した煙の後を追うように助かるよという言葉が宙を漂っていった。



| 誰もが大人になりたいと願っている |


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