散々痛め付けられた男が地面に蹲っている。場所は湿っぽい裏路地、ヤクザとホームレス、チンピラ……とガラの悪い人間が好みそうな場所だ。目の前では、何度も拳が、爪先のとんがった革靴が男を痛め付けていた。それは容赦なく、情けの欠片もなく、サンドバッグのようにただ一方的に暴行を加えられていた。血の気が引いた、これが人間のすることかと青臭い正義感すら湧いてこない程に殴打の雨は止まなかった。
 息を切らしたスーツ姿の男は胸元を飾る布を一枚引っ張り出し、拳を汚した血を適当に拭っている。自分はそれを陰から見ていた。本当ならあの立場は全く違うものだった、加害者は地面に転がっている男で、被害者は陰から一部始終を盗み見ていた自分自身。血を拭う男はまともにこちらを見ないまま、声を掛けてきた。

「てめぇ、いつまでそこにいやがる気だ。さっさと失せろ、」
「で、でも、わたし、」
「一つ勘違いしてんじゃあねぇだろうな?」
「勘違い……?」
「ああ、そうだ。まさかお前は自分が助けられたと思い込んでなんかねぇよなぁ?こんなヤクザもんが女、子どもの為に体張って馬鹿な男を制止した、なんて思ってねぇよなぁ?」

 思い上がりもいい加減にしとけ、クソガキ。ようやくこちらを見た瞳はまだ威圧感を放っており、呆気なく喉を潰す。

「お前には聞く耳っつうもんがねぇのか、」

 散々血で汚した革靴を鳴らしながら、男はこちらへと近付いてきた。上手く返事が出来ない自分に痺れを切らしたのだろう、その表情は相変わらず恐ろしいものだった。

「いいか、もう二度とこんな所に来るんじゃねぇ。クソガキが気軽に遊びに来ていい街じゃねぇんだ。それにお前らみたいのがいるとな、はっきり言って迷惑なんだよ」

 厄介事ばかりがウチに回って来やがる、あの馬鹿が安請け合いしちまうもんでな。男は登場していない人物への不満を漏らし、自分の目の前で足を止めた。

「……なんとか言ったらどうだ」
「あ、あの、……な、なまえ。あなたの名前、」
「クソガキに名前を教えてやるほど、お人好しじゃねぇんだ」
「ありがとう、ございます。た、助けてくれて……、」

 絞り出した声は自分でも情けないくらいにか細く、たどたどしいものだった。男の言い分は分かる、しかし、勘違いだ、思い上がりだと言われても、感謝の言葉すら言えなくてどうする。

「チッ、これだからクソガキは嫌いなんだ。この街には馬鹿なガキしかいねぇのか、」

 男の黒い皮のスーツの胸元に光る何かがあった。それはバッジのようで、中心には『荒』という漢字一文字が見えた。これは正真正銘のヤクザの証だ。ヤクザは皆、自分の属する組の代紋を胸に付けている。男は苛立ちを隠さぬまま、懐を漁っていた。これはきっと煙草だろうと思った時、自分の所持品に大切な物があると気付いた。
 手にした箱からたった一本を取り出して咥える。昔、そう言った映画で見た光景と全く同じだ。自然と体が動く、所持品にあったライターを男の煙草へと寄せ、火を灯す。男は呆気にとられ、自分は自分で拒絶されなかったことに驚いていた。何故だか上手くいってしまったやり取り、上手く噛み合ってしまった行為のせいで、より一層不機嫌になった男は容赦なしに拳骨を一発、お見舞いさせてきた。



| 神室町の闇 |


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