見慣れた姿が視界に入った瞬間、寒さに固まっていた表情が暖かく緩んでいく気がした。
まだ彼は気付いていない、彼はこちら側に背を向けている。
その姿はどこか気怠そうに煙草を咥えており、時折、左右に煙を逃がしては、ぼんやりとどこかを見つめている。
なまえはその横顔から目を離せなかった。
少し駆け足で、躓くことなんて無いと強気な足取りで、なまえは錦山の元へと直線をなぞるように向かっていく。
ゼロ距離にはなれない、それでも駆けて行くなまえを真っ先に見つけてくれるのは錦山だけだった。
こちらに気が付いた錦山は、まず咥えていた煙草を闇に紛れさせ、次に自分のシャツの襟元を整え、最後にはなまえの方を向いて口を動かした。
ぱっちりと目が合い、もごもごと口を動かす所もちゃんと見えた。
『おせぇぞ』と錦山の唇を読み取る、なまえも同じように『ごめんね』と感情を口にする。
向かい合い、対のように立ち止まる、体は正面を向き、錦山も真正面からなまえを見つめている。

「よぉ、遅かったじゃねぇか、」
「ごめんね、ちょっと色々あって、」
「結構さみぃんだぜ、ここで待つのは、」

拗ねたような表情で、なまえの耳に痛い言葉を淡々と投げ掛けていく。
その度に俯いていくなまえを見た錦山は、わかった、わかったよ、ったく…、と下がっていた頭にその手を乗せ、ぐしゃぐしゃに撫で回した。
驚きに声を出せないまま、髪の隙間から錦山を見れば、やはり拗ねた表情を貼り付けていたが、微かに嬉しさのようなものが滲んでいるようにも見えた。
錦山と言う男は、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を撫で回したくせに、結局最後は優しく髪を梳いてくれる、そんな男だ。
梳く指先が頬に触れれば、錦山の言葉の通りだと実感した。
頬の温もりを吸い取ってしまうくらいに、その指先は冷たく、硬い。

「本当にごめんね、」
「…だから、わかったって言ってんだろ。ほら、行こうぜ。」

ほんの一瞬で拗ねた表情は消えてしまい、代わりになまえの髪を撫でた手のひらを差し出した。
つめてぇけどよ、我慢しろよな。と、一言置いてくれた錦山の手をとると、冷ややかな感触に肌が粟立つのを感じたが、優しくゆっくりとその手を握り締めた。
待たせてしまった分だけ、錦山の体は冷えている。
だったら、せめて、この手が同じくらいに温まるまで、自分の体温を分けてあげたいと思う。

「あったけぇ手してんな、」
「好きなだけ触ってて良いよ、」
「何言ってんだ。それじゃあ、なまえの手まで冷えちまうぞ、」
「錦山くんと同じになりたいって思ったんだけど…、」

んなとこまで揃えなくていいだろうが、と溜息なのか、ただの吐息なのか、わからないそれが白く滲んで、ぼやけて薄れる。
冷たくて大きな手に引かれて、なまえは錦山について行くように歩いた。
錦山もなまえを連れて行くように、人通りの多い道を歩いた。
いつの間にか沈黙していた、たまに吐息を千切る音は聞こえていたが、二人は口を閉ざして行先もわからない神室町を歩いていく。
気まぐれに二人で寒いと口にしながら、ぼやけた呼吸をして、手を繋いで、行く宛もなく神室町を彷徨う。
その行為がただの散歩か、デートかなんて考えもしなかった。
それはどちらにも当てはまらないし、無理に当てはめなくても良い。
ネオンに閉じ込められた町の中で、星より煌々と光るごった返しの景色を流し見しながら、錦山とこうしていられる。
それだけで、胸のハートの容器が溢れてしまいそうになるくらいに、満たされるのだ。
錦山もそうなら、なまえは幸せだと思った。


「どこに行こうか、」
「そうだな…、どうすっか、」

凍える夜空の下を歩き回る中で、不意に言葉を紡いだ。
歩くスピードが少しだけ遅くなる、錦山はどこに行くか考えているようで、なまえもゆったりとした足取りで横を歩く。

「なぁ、なまえ。」
「どうしたの、」
「今日、俺に付き合えよ。」
「…付き合う?」

おう、と口元を柔らかく歪ませた錦山の瞳には星が浮かんでいて、きっと楽しい事を思い付いたのだとなまえは察する。
その星がなまえの瞳にも流れ込んで、なまえはいいよ、と笑顔で答えた。
じゃあ、早速遊びに行くぞ、と錦山はほんの少し暖かくなった手で、なまえの腕を引き、ピンク通り北へと向かった。
泰平通りを一緒に歩いていたなまえは、行先に心当たりがあった。


なまえの予想は的中した。
ピンク通り北へと向かう、それはつまり、今の錦山は思いっ切り歌いたいと言う事だ。
二人がその足を止めたのは、カラオケスナックヒロインと書かれたテント看板が目立つ建物の前だった。
扉を潜れば、キラキラと目に眩しいミラーボールがくるくると回っていて、他の誰かが歌っているのだと教えてくれる。
丁度、カラオケ機器の近くの席が空いており、錦山がそこに腰を下ろすと、なまえも一緒に腰を落ち着かせた。

「遊ぶってなったら、やっぱりここだよな。」
「カラオケ好きだもんね、」
「そりゃあな、思いっ切り歌うと気持ちいいんだよ。」

何か頼む?と聞けば、じゃあ、任せた。と返って来て、なまえはカウンターへと向かい、メニューの注文を済ませる。
テーブルまでお運びします、と声を掛けられ、錦山のくつろぐ席へと戻れば、う〜んと頭を悩ませているようだった。
選曲で悩むのはいつもの事だ。
気持ちよく歌いたい、その為に自分が何を歌いたいのか、錦山は自分の中でその答えを探していた。
少し下を向くだけで横顔を遮る長い前髪、眉間に寄せられた皺、目と眉が自然と近く、悪くなりがちな目付き、悩ましいとひと目でわかるような首を傾ける仕草。
悩める錦山になまえは声をかけた。

「わたし、これが聞きたい。」
「…あぁ、こりゃあアイドルの歌だな。」
「たまには、こういうのも聞きたいなって、」

この曲、結構くせぇこと歌ってんだよな、と得意げに語る錦山が好きだと思った。
確かにシンデレラとか、ラブマジックとか、あまりにも直球過ぎて、歌うのは恥ずかしいかもしれない。
しかし、そうか、こういうのも悪くねぇな…、となんだかんだ、選択肢の一つにしてしまう彼はちゃっかりしている。
いつの間にかミラーボールは消灯し、店内に流れる音楽も沈黙していた。
歌うならば今しかないと錦山に告げる、錦山は既に答えを見つけたようで、カラオケ機器の前に立った。
再びミラーボールは光り輝き、店内の照明が暗くなる。
曲が流れ始めると同時になまえは気付く。
錦山が歌おうとしているのは、なまえが聞きたいと口にした曲だと。
マイクを片手に持ったまま、こちらに目線を投げ掛けた錦山を見るのが、照れ臭いと感じた。
それでも目線は重なってしまうのだが、なまえはその曲が終わるまで錦山だけを見つめていた。


たまには悪くないと満足げに笑い、歌の最中にやって来たウーロン茶を流し込む姿になまえもつられて笑う。
歌ってくれるなんて思わなかった、と言えば、錦山は、いつもと同じのばっか歌っててもつまんねぇだろ、と言った。
ほら、次選べよ、と錦山の一言になまえは驚き、咄嗟に声を漏らす。
言い出しっぺはそれを気にかけず、テーブルの上に置かれた皿から唐揚げを摘んだ。
錦山の左頬がふっくらとしている、なまえも密かに一つ口に運ぶ。

「俺一人で歌っててもいいけどよ、折角遊びに来てんだぞ?なまえも歌っとけって事だ。」

そういう事なら、となまえは錦山に誘われるがまま、なまえは曲名がずらりと並ぶリストの中から、一曲選んで席を立った。
イントロが流れ始めると、おっ、と言った声がなまえの耳に届き、錦山の視線はしっかりとなまえを捉えていた。

その曲は季節感のある曲だった。
肌を焦がすような日差しを連想させ、海へと出かけたくなるようなフレーズ、その中にちょっぴりと覗かせる可愛い乙女心。
ついつい口ずさんでしまいたくなる、そんな曲だった。
錦山は歌い終えるまで、視線をなまえから逸らさず、もしかしたら聴き入っているのかと勘違いしてしまいそうな程に、なまえを見ていた。
なまえが歌い終われば錦山、錦山が歌い終わればなまえ、と一人一曲ずつ歌いながら、その時間をめいっぱい楽しんだ。

テーブルの上にあった食べ物や飲み物は既に底をついていて、なんとなく終わりの雰囲気を漂わせる。
丁度そんな時に、錦山は、いつものアレいっとくか!と錦山十八番の曲を最後の選曲として入れた。
錦山は勿論、なまえもその曲は好きで、聞きたいと目を輝かせれば、しょうがねぇ、聞かせてやる。と白い歯を見せて笑う。
本日何度目かのミラーボールが回り出す、テレビ画面には錦山お得意の楽曲名が大きく表示されていた。
店内に錦山のよく通る歌声が響く、なまえもその場の盛り上がりに飲まれ、胸を高鳴らせたのだった。


***


再び店の扉を潜れば、外はやはり寒く、夜も深まっていた。
あれから錦山もなまえも歌いたいだけ歌い切り、一通り歌い切った所で店を出て、二人揃って神室町の夜の外気に包まれている。
次を問えば、悩ましさが戻ってきた。
行先は初めから無い、きっと錦山にもなまえにも。
しかし、二人にはまだ物足りなさがあり、帰る気など皆無だった。
すると、錦山は暖かくなっている手でなまえの手をとると、七福通りの方へと歩き出した。
七福通り、そこに何があったかを思い出すと、なまえの頭上のクエスチョンマークは変化する。


二人が次に足を止めたのは、まるで神殿のような外装をしており、眩く光る多数の照明、入口へと続いている長い階段、そこはマハラジャと言うディスコだった。
今日は俺に付き合ってくれるんだよな、と再度聞いてくる錦山の顔は既に楽しそうで悪戯に笑っている。
もちろん、と今度はなまえが錦山を連れて、その階段を登り始める。
そして、階段の先にある扉を開けてみれば、どこもかしこも忙しなく光り輝き、目がそれを焼き付けてしまうくらいに光源が溢れていた。
ダンスフロアを見れば、誰もが自由に、今夜のディスコクイーンやディスコキングは自分であると言うように、音楽に身を委ねている。
その姿を目にしたなまえは心や体が弾み出すのを実感しながら、錦山の手を取ったまま、色彩の渦のようなダンスステージへと上がった。

足はステップを、腕は誘いや煽りを、視線は流れる景色を、体は溢れ出すパッションを、唇はメロディを友とする。
全身がフロアを支配する一曲で満たされていく、なまえも、錦山も、その場にいた全ての人も。
カラフルな光の雨が降り注ぐ、呼吸も瞬きも揺れる体も色付くキャンバスだった。
散りばめられた色彩の渦は、今夜を楽しむ二人へと、情熱的なムードを作り上げた。
言葉に出来ぬ、煩わしい思いを全てここへ置いて行くように、と。
この場において言葉ほど無意味なものは無く、ミラーボールはまるで沈まぬ太陽の様だった。


何か飲もうと誘ってきたのは錦山の方からだった。
なまえも心地よい疲労を背負いながら、一度首を縦に振る。
ダンスに夢中なキングやクイーンを避けながら、ステージを降り、二人はバーカウンターへと向かう。
適当なものを頼んだ錦山はカウンターに肘をかけ、体を伸ばしていた。
自然体で居てくれる錦山に、なまえは笑みを浮かべた。

「なんだかんだ、なまえが一番楽しそうじゃねぇか、」
「カラオケも好きだし、ディスコも好きだから。…それに錦山くんと一緒だし、」
「すっかり遊び人になっちまったよなぁ、お前。」

なまえと錦山に差し出されたグラスは適度な距離を保っている。
それは二人の距離と同じようで、なまえはグラスを手にすると、錦山の隣へと身を寄せた。
なんだよ、と錦山は声を上げる、ここは音が大きいから、これくらい近くないと聞こえないの、となまえは声を張る。
じゃあ、仕方ねぇな、と錦山は自分のグラスを避けて、なまえのグラスを手に取り、その中身を一気に飲み干した。

「あ!」
「油断してっからだよ、ここは俺の奢りにしといてやる。」
「じゃあ、私が錦山くんのを…、」
「おせぇっつうの、」

空っぽになったグラスは、いつの間にかカウンターの上に置き去りにされていた。
錦山は自分の満たされたグラスを持ち、その縁に軽やかに唇を重ねると、揺れ動く中身をゆっくりと飲み干す。
カウンターに、空のグラスが二つ並んだ。
未だに驚いた表情を貼り付けているなまえ、不敵に笑って見せる錦山。
悔しそうに眉間に皺を寄せるなまえは、バーテンダーの女性へ追加注文を頼む。
かしこまりました、と告げた女性は振り返り際に、ふふ、と微笑んだ。
それに気付いたのはなまえだけでなく、錦山も同じだった。

「おい、お姉さんに笑われちまったじゃねぇかよ、」
「…わたし?だって、錦山くんが意地悪するから、」
「な、なんだよ…、不貞腐れてんのか?お前いくつだよ、」

錦山くんと同じ、全然それっぽくねぇ、錦山くんだって一馬くんと並ぶと子供っぽいよ、おい。なんで桐生だけ名前呼びなんだよ、……秘密。
二人の会話は途切れる気配を見せず、ようやく焦りが見え始めた錦山に、なまえは口角が上がっていくのを止められなかった。
音もなく再び差し出されたグラスを受け取り、錦山と同じようにその縁に唇を寄せる。
中身が半分減ったところで、グラスは静かに水平に戻された。

「…まぁなんでもいいけどよ、俺という男を粗末に扱ってっと、どっか行っちまうぞ。」
「そ、それって…、」
「良い男は引く手数多だっつうのを覚えとかねぇとな。」

視線を奪われた所で、今度は指先から何かを奪われた気がする。
にやりと笑う錦山の手には、なまえのグラスがあった。
本当に単純だよな、と言い残し、残りもまた錦山の胃袋へと流し込まれた。
目も口も開きっぱなしで、なまえはずっとその様を見ていた。

「わ、私が、一馬くんのことを名前で呼んでるのには、全く意味なくて……、」
「ほぉ、じゃあ、錦山くんって呼んでる方が、何か意味があんのかよ、」

動揺、秘密の暴露、突き詰められてなまえは言葉を失う。
目を微かに遮る前髪から、薄らと錦山の瞳が見える。
愉しそうで、悪戯な目をしていると思った。


「そ、それは、」
「別に今じゃなくてもいいぜ、この後もまだ付き合ってもらうからな。」
「この後…?」
「おう、歌って踊ったからか、腹減っちまってよ。だから、シメにラーメン、もちろん行くだろ?」

自分の感情の高低差になまえは、混乱しそうになるのをなんとか堪え、不意に空腹に襲われた。
なまえも空腹感を感じており、食べるとしたら、錦山の言うようにラーメンが食べたいと思う。
暖かなスープが絡んだ麺、店主の良心のように大きめなチャーシュー、野菜と挽肉がたっぷり詰まった餃子。
次から次へと美味しい想像が止まらず、なまえは錦山の手を握っては、早く行こうと自分の空腹を訴えた。
錦山は何故か目を丸くして、数秒間を置いてから、ようやく頷いた。

「…ラーメン、奢れよな、」
「いいよ、トッピング全部乗せてあげちゃう。」
「言っとくけど、結構腹減ってるから、遠慮なく注文するぜ?」
「じゃあ、私もいっぱい食べようかな。」
「だったら、美味い店、連れてってやるよ。」

嬉しい、と返したなまえの手を握り返す錦山の横顔は、どこか照れているように見えて、なまえもその頬を熱くさせたのだった。



20181109 楽しめ金曜、よい夜を



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