(……いつの間にかここまで来てしまっていた)


 左側に海色をしたピアスを付けている青年は何気なく夜道を歩いていたのだろう。

 彼は周りの景色など気にしていなかったのか。
 我に返って視線を上げれば見えたものはオンボロ寮。

 昼は少年、夜は少女という不思議なのろいをかけられた異世界からやって来た女の子が住む場所だった。

 無意識に来てしまったことに眉を下げて静かに自嘲している。


「……おや、ランさん」
「あ、ジェイド先輩……こんな夜遅くにどうしたんですか?」


 微かに人の気配がすることに気が付いたようだ。

 彼はオンボロ寮の近くにあるベンチに目を向ければ、そこに座って星空をぼーっと眺めていたのはオンボロ寮の主人と言っても過言ではない人物。

 まさかこんな夜更けにまだ起きているとは思いもしなかったのだろう。
 彼は目を見開き、ぽつりと名前を呼んだ。

 それに気が付いた少年、もといい少女は声のする方へと顔を向けると目をパチパチとさせて首を傾げる。


「いえ……なんだか眠れなかったので少し散歩を…」
「そうだったんですね」


 無意識に彼女のいるオンボロ寮に足が向いていたことに少し羞恥を感じているのか。

 ジェイドは視線を泳がせ、困ったような顔をして返答をするとランは特に気にすることなく、納得をするとまた視線を瞬く星空へと向けた。


「ランさんは?」
「私も眠れなくて星を眺めてました」


 もっと彼女と話がしたい。


 その欲が出てきてしまったのか。
 彼はランの隣に腰をかけながら、ここに居る理由を尋ねる。

 返って来た答えは彼とほとんど似たり寄ったりだ。
 散歩してるか、星を眺めているかの違いに過ぎない。


「……星が好きなんですか?」
「いいえ、全く星座とか分かりません」
「……ふっ」


 ジェイドは彼女の目線の先にある星に目を向けて静かに問いかけたが、ランの答えはとても潔いものだった。

 予想外のそれに彼は一瞬固まるが、だんだん面白く思えたらしい。
 思わず笑みを零した。


「……本当によく笑いますよね、ジェイド先輩って」
「あなたが面白い方だからですよ」


 まさか笑われるとは思っていなかったのか。
 彼女は拗ねた顔をしてジト目で見つめれば、ジェイドは口元に手を添えて未だに笑っている。


「褒められてる気がしません」
「おや、それは残念です……どうして分からないのに星空を眺めているんです?」


 彼なりの称賛の言葉なのだろうが、それは良い意味にとらえられないのだろう。

 プイッと顔を背けられるとジェイドは首を横に振った。
 そして、少しの揺らぎがある瞳で彼女を見つめながら、質問を投げかける。

 天文も星座も全く分からないのに星空を眺めていて楽しいものなのか。
 素直に分からなかったのかもしれない。


「……多分、星の位置とかは違うと思うんですけど……私の世界と似ているからかもしれません」
「………やはり、帰りたいですか?」


 理由を問う彼はどこか不安気の色を宿しているように感じたのだろう。

 ランは不貞腐れることをやめるとまたチカチカと輝く小さな星に目を向けて悲しそうに微笑みながら、答えた。

 その答えが全てを物語っているような気さえしてくるらしい。

 彼は内心動揺しているのか、ただの興味からなのか。
 それは分からないが、普段と変わらない表情を浮べてもう一つ問いかける。


「それは当然!…なんて、みんなと会えなくなるのは嫌ですよ」
(みんな、か……)


 彼女はジェイドの顔を見ることなく、星を見上げたまま、はっきりと言葉にした。

 だが、それは数秒の間を置いて寂しそうな顔をして空に向けていた顔を彼に向ける。

 その他大勢の中に自分が含まれていることに残念に思っているのか、それともその他大勢だったとしても自分が含まれていることに安堵したのか。
 それもまた彼の表情から読み解くことは難しい。


「……あなたの世界の話を聞かせて下さい」


 恋い焦がれる故郷を思って星空を眺めていた彼女になにか言葉をかけなければ。


 そんな思いからか、彼は唐突な言葉を紡いだ。


「え?」
「なんでも構いません。向こうの話を聞かせて下さい」


 それはランにとっても驚きを隠せないものだろう。
 なんたって自分のいた世界のことを聞かれたことなんてこの世界に来て一度もないのだから。

 しかし、ジェイドは人の良さそうな顔をしてもう一度、懇願する。


「んー……じゃあ、先輩は人魚なので人魚姫の話でもします?」
「おや、ランさんの世界にも人魚がいたんですか?」


 彼女は困った顔をして人差し指を顎に添えながら、考え込んだ。

 パッと思い浮かんだことが一つあったらしい。
 顎に添えていた人差し指で空を指して提案をした。

 ランのいた世界にも人魚がいるとは思っていなかったのか、少し意外そうな顔をして彼は問いかける。


「いたかは知りませんけど、人魚の童話とか伝承とかはありました」
「どんなお話か聞いても?」


 彼女は申し訳なさそうに眉を下げてそれに答えると興味を示したようだ。
 ジェイドはジッと見つめて詳しく聞こうとする。


「えーっとざっくりしか覚えてないんですけど、ひとりの人魚姫は初めて海の上に顔を出した日に船の上にいる王子に一目惚れするんです」
「……恋物語ですか」


 ランはうる覚えなのだろう。

 古い記憶を呼び起こすようにしながら、童話で読んだ”人魚姫”を語り始めた。

 彼女から語られるそれがまさか恋愛ものだとは思っていなかったのかもしれない。
 ふむ、と興味深そうに顎に手を添えながら、彼は耳を傾ける。


「はい……その船は沈み、王子様が溺れてるところを人魚姫が助けて岸へと上げました。しかし、人が来る気配を感じた人魚姫は海へと戻るしかありませんでした」
「……」


 そのことを言うのを忘れていたことに気が付き、こくっと頷いて話し続けた。

 自分が人魚であるからその"人魚姫"の取った行動を理解できるのか。
 ジェイドは口を閉じたまま、目を細めてランを見つめる。
 

「人間に恋をした人魚姫は海の魔女に人間になる方法を聞くと彼女は美しい声と引き換えに人間のように歩ける足をくれると言ってくれました。しかし、歩けばナイフが突き刺さるような痛みが生じると……ですが、人魚姫は構わずにその契約を交わし、人間になることを選んだのです」
「……海の魔女がそちらにもいたんですね」
「まあ、おとぎ話ですけど……」


 見透かされそうな目に見つめられて彼女は困ったような表情を浮べれば、身体が向く方向へ顔を戻して言った。

 ランは自分が口にした物語に何か感情を覚えたからか、瞳を微かに揺らしている。

 彼もまたその表情をじっと観察するように見続けては少し驚きを含んだ顔をし、ぽつりと呟いた。

 それは彼女のいた世界にこの世界ツイステッドワンダーランドと同じ共通点をもう一つ見出せたからだろう。

 しかし、彼女が眉を下げて儚げに笑って言葉を曖昧にするのはこの世界にいる海の魔女とは違って実在するか分からないからかもしれない。


「……そこまでして会いたい相手、だったんですね」


 あえて、やんわりと共通点を自ら相違点があると指摘するランにどこか寂しさを覚えたのか。

 ジェイドは哀愁ただよう表情を浮べ、その物語の登場人物の心情を読み取って見せた。 


「んー……まあ、一目惚れって言うやつですから……王子は自分を助けたのは修道女だと思い込んで別の女性に恋をするんですが、彼女は声を渡したために自分が王子の命の恩人だと告げることも出来ず、地を踏みしめる度に痛む足に耐えて生活することになります」
「……相当な苦痛でしょうね」


 雰囲気が少し変わってしまった。


 それを肌で感じ取ったのだろう。
 彼女は少し暗くなった空気を換えようと惚けて見せれば、軽い口調を心がけながら物語の続きを話す。

 だが、彼は人魚だ。
 実際ナイフが突き刺さるような痛みはないにしろ、人間の身体になれずに歩くのには苦労した経験はあるのだろう。

 それに加えて痛みが生じると想像すれば、ジェイドは顔を歪ませる。


「ナイフが刺さるような痛みですからね……それで王子は修道女によく似た人魚姫を妃に選ぼうとしましたが、実は王子が恋した女性は隣国の姫だったことが明らかになり、二人は結婚することになりました」
「……報われませんね」


 ランは彼と同じように辛そうな顔をしては共感するとまた話を続けた。

 しかし、それはジェイドの想像とはかけ離れた展開になっていたのだろう。
 残念そうな表情をしてぽつりと言う。


「はい……本当に…それにですね」
「?」


 彼女は彼に同意を示して含みのある言葉を続けるとジェイドは不思議そうに首を傾げた。


「海の魔女と交わした契約は両思いにならなければ、人間になっても泡となって消えてしまうです」
「!!」


 ランは眉根を寄せて、空を見上げる。
 それはなかなか残酷な契約だったからか、彼は目を大きく開いた。

 海の魔女の慈悲の精神に基づくオクタヴィネル寮。
 彼はその寮の副寮長でもあるわけだ。

 願いに対しての対価は同等でなければならない。
 それは理解しているし、文句はないのだろう。

 だが、報われない恋をしたことによって泡になった人魚が描かれていることに衝撃を受けているのかもしれない。


「両思いになることも出来ず、船の上で水面を見つめていたら、人魚姫の姉たちが現れるんです。彼女たちは美しい髪と引き換えに海の魔女からナイフを受け取っていました。それで王子を刺し、返り血を浴びれば人魚に戻れる。だから、刺すように唆しました」
「……人魚姫はどうしたんですか?」


 ジェイドが驚いていることが伝わってきたらしい。
 ランはふっと息を零し、そのまま言葉を続けた。

 物語はどんどんと佳境に向かっていることが伝わるのか。
 興味深そうに彼女を見つめ、問いかける。


「眠っている王子の元に行くと彼は隣国の姫の名前を寝言で呟いていました。結果的に人魚姫は……刺せませんでした」
「……」


 空を見上げていた顔をジェイドの方へと向けると彼女は自分のことのようにひどく悲しげな笑顔を向けた。
 その笑顔に魅入られたのか、彼は息を飲む。


「人魚姫はナイフを海に捨て、泡となって消えました……消えたと言っても風の精になったらしいんですけどね」
「……悲しいお話ですね」


 やっと全ての話を話し終えた。


 安堵からか、ランは肩の力を抜いて物語に描かれていない情報を付け足す。

 全ての話を聞き終えた感想は一つ。
 彼にしては平凡な感想だった。 


「そうですね……」
「ランさん」
「はい?」


 彼の意見には同感らしい。


 彼女も首を縦に振れば、ジェイドは名前を呼んだ。
 それはなにか感情が込められているような、意味ありげな呼び掛け。

 しかし、ランはそれに気が付いていないようだ。きょとんとした顔をして首を傾げる。


「もし、あなただったなら……どうしていたと思いますか?」
「それはどちらの立場としてですか?」


 彼は何を考えているのか分からない、読み取らせない表情をしたまま、素朴な疑問を投げかけた。

 また唐突で不思議な質問に感じられたのか。
 彼女は眉根を寄せ、困った表情を浮べれば、傾げていた首を更に下げた。


「陸の生き物……王子の立場だったら、にしましょうか」
「そりゃ、人魚姫と結ばれるでしょうね」


 ジェイドは顎に手を添えてその問いかけに考え込み、自分の投げかけた疑問の形を明確にさせると目を細める。


 長考するか、答えは出ない。


 そう思ったのかもしれない。
 その身になってみなければ分からないことはこの世の中多いことの方がある。
 それは事実だ。

 しかし、ランから返ってきた答えはあっけなく、あっさりしたものだった。


「………これはまた断言されますね」
「まずですよ?この王子はバカなんです」
「は、はあ……」


 返答は彼にとっても予想外だったらしい。


 パチパチと瞬きをして小首を捻れば、彼女は眉を吊り上げて人差し指をビシッと出して空を指す。
 そして、はっきりとこの”人魚姫”に出てくる王子を愚弄した。

 まさか、ランの口から唐突の悪口が出るとは夢にも思っていなかったのだろう。
 ジェイドは戸惑った顔をして、返事を淀ませる。


「命の恩人にこだわるなら、ちゃんと顔覚えてろって言いたいくらいです。それで修道女を恩人だと決めつけ、恋焦がれて諦めて、人魚姫でいいやって投げ出してるあたり、いい男とは言えませんよ。視野が狭すぎ」
「辛辣なご意見で」


 彼女は彼の反応なんて気にもせずにまるで王子を説教する勢いでキッと睨みつけながら、自身の考えを言葉にした。

 それに反論はないのかもしれないが、はっきりとずかずかと言う彼女に困ったらしい。
 ジェイドは両手を前に差し出し、ランとの距離を取るようにして眉を下げた。 


「……だから、人魚姫は刺して返り血を浴びて元に戻れば良かったんです……でも、純粋に王子を愛していたからできなかったんだと思うですけどね」
「………そうかもしれませんね」


 少しの毒を吐き出した彼女は落ち着いたのだろう。
 我に返ったランは彼と自分の距離を離すと肩の力を抜き、物語の人魚姫を憐みながら微笑んだ。


 たかが物語の人魚姫。


 それでもここまで感情移入できる彼女が可愛らしく見えたのか。
 ジェイドは柔らかい笑みを浮かべ、こくりと頷いた。


「……ジェイド先輩だったら、遠慮なく刺して海に帰りそうですけど」
「そんなことないと思いますよ?」


 ジェイドが人魚姫の立場だったら、どうするだろう。


 ふとその考えが過ったらしい。
 彼女は悪戯笑顔を向けて言えば、彼もまた楽しそうに笑って首を傾げた。


「……その表情からして怪しいとしか思えません」
「それは残念です……が、一度愛してしまえば命を惜しくないと思えることもあるのかもしれませんね」


 何を考えているか全く読み取らせようとしないその顔にランは頬を引き攣らせ、顔色を悪くさせると素直に思ったことを口にする。

 それにジェイドは悲しそうな顔をして自身の頬に手のひらを添えて思ってもいなさそうな一言を零すとゆっくり瞼を上げ、頬に添えていた手をそのまま顎へと移して脳裏で出された自身の答えを呟いた。


「さあ…私にはそんな経験がないので分かりません」
「……実に恋というものは厄介なものですね」


 彼らしくない言葉が出てきたことに驚いた顔をすれば、彼女は困り顔して小首を捻る。

 ジェイドは俯き、表情を見せないようにしてぼそっと小さな声で呟いた。


「ん?何か言いましたか?」
「いいえ、何も……もう帰られますよね。送りますよ」
「……」


 彼の呟きはどうやらランの耳には届いてはいないらしい。
 しかし、何かを言っていたのは分かったのだろう。

 不思議そうな顔をしてそちらへ顔を向ければ、ジェイドはただ首を横に振るとベンチから腰を上げ、話をそらすように帰宅を促した。

 絵になるような立ち姿で手を差し出す彼に呆然と見つめる。
 ジェイドの言う通り、もう時刻は12時を過ぎており、風もまた冷たくなっている。


「どうかしましたか?」
「……いいえ、ありがとうございます」


 なかなか手を取らないランに彼はキョトンとした顔を向ければ彼女は首を横に振って手を取り、重い腰を上げながら、お礼を言った。



――…もし、ぼくが人魚姫の立場だったとしたら?



 他愛のない会話を彼女とし続けながらも、その疑問がふと脳裏をよぎったらしい。


(…………あなたに会いに陸へと向かうかもしれませんね……そして、どんなことをしてでも——…)


 自分自身が投げかけたその問いにジェイドは妖艶に微笑みながら、心の最奥の方で吐露したのだった。



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