予想外の朝


 なまえは規則正しい呼吸をしながら、深い眠りについている。彼女の隣にいる猫のような生き物もまた口を大きく開けて深い眠りについていた。
 しかし、微かに部屋の外から聞こえる音が意識を薄っすらと浮上させる。


「……………」


 なまえは眉間にシワを寄せて寝返りを打つが、先程より少し大きい音でコンコンという音が聞こえてきた。
 曖昧な意識が確実に覚醒してしまったのだろう。ぱちっと目を開けると目覚まし時計に手を取り、現在の時刻を確認する。
 目覚ましの音より先になにかの音で起こされたということに不機嫌そうな顔をしていた。


「………はぁい、誰…………」
「おはようございます、なまえさん。ああ…まだ眠っていらしたのですね」
「……………今何時だと思ってるんですか…ジェイド先輩」


 重い眼をこすりながら、ドアを開ければ目の前にいる男の姿になまえは一瞬固まってしまった。
 綺麗に着こなされた制服を身に纏い、うさんくさい笑顔を見せるたちの悪い先輩が立っていたのだから、無理もない。
 彼は朝の挨拶を澄ませると申し訳なさそうに眉を下げて言葉を続けた。彼女は深いため息を付き、全ての息を吐き出したのちにぼそっと小言を言う。


「5時10分ほどでしょうか」
「正解ですけど……こんな朝早くに何の用ですか」


 ジェイドはキョトンとした顔をして考え込むように顎に手を添えながら、なまえの質問に答えれば、彼女は先ほど目覚まし時計で確認した時刻と一致していることに肩を落とし、コクリと頷いた。
 いつもの彼ならば、この時間帯は寝ているはずなのにも関わらず、投稿準備を終わらせている姿になまえはロクなことが起きない予感がしつつも疑問を投げかける。


「部活の朝活があるのでお願いがありまして」
「起してまでですか?」
「はい、起こしてまでのお願いです」


 用件を聞いてくれた。
 そう言わんばかりの表情をするジェイドは自身の胸元に手を添えながら、順序良く話を進めるが、彼女はその言葉すら不服で仕方ないらしい。
 それもそのはずだ。もしお願いがあると言うのならば、前日に頼んでおけばいい。もしくはメールをしておけばいい話なのだ。
 次の言葉を紡ぐ前にみょうじは刺々しく質問をするが、ジェイドはにこやかに返答するだけ。


「要件早く言ってください」
「フロイドを起こしていただけませんか?」
「…………は?」


 彼に何を文句言っても無駄だと思ったのか、彼女はげんなりした顔をして用件を急かした。
 やっと聞く気になった姿にジェイドは口角を上げると首を傾げてお願いをするとみょうじは予想外の頼みごとにまた固まってしまう。
 まだ起きて数分も経っていないというのに本日二度目だ。


「僕はこれから朝活なので起こせないので代わりに起こしていただけませんか?」
「もう子供じゃないんだから自分で起きれるでしょう?」
「残念ながら、フロイドは眠りが深い方でして……なので、お願いします。それでは」


 話を聞き取れていないと思ったのか。彼はもう一度同じ願いを丁寧にすれば、彼女は力なく否定の言葉を口にする。
 しかし、ジェイドはここで引くような人間ではない。いや、人魚ではない。
 彼は困ったような表情を浮かべて口元はちゃっかり楽しそうに口角を上げながら、首を横に振れば、みょうじの意見を最後まで聞くことなくペコッと頭を下げて踵を返した。
 無理やりにでも引き受けさせるという強行突破に出た証拠だ。


「ちょ、っちょっと!?やるなんて言ってないんですけどー!!!」


 まさか言うだけ言ってそのまま去られるとは思っていなかったのだろう。
 彼女は手を伸ばして大きな声を出しながら、引き留めようとするが、その声はジェイドの耳に届いていないらしい。
 いや、届いていたとしても気が付かないフリをしているだけなのかもしれない。


「なんなんなのよ!もう!!」


 そのまま角を曲がり姿を消してしまった彼にみょうじは朝っぱらから振り回されてしまっていることに地団太を踏んだのだった。



◇◇◇



 あれから2時間経過した彼女はとある扉の前にいる。
 髪を整え、制服を身に纏った姿から察するに登校準備を終えたようだ。
 みょうじは強張った表情を浮べて、ノックを二回鳴らすが、返事は返ってこない。


「……フロイド先輩ー、朝ですよ!起きてますかー?」

 胸に溜まる二酸化炭素を吐き出せば、また新しい酸素を吸い込んで部屋にいる人間に声をかけた。


「んもー……勝手に入っちゃいますよ?」


 だがしかし、またもや返事はない。
 深いため息を付くと先程より大きい声で声をかけて扉についている取っ手に手をかけた。 


「うわぁ……腹出して寝てる…」
「……」

 ガチャッと音をッてて部屋の中へ入ってみれば、右には綺麗に整えられた寮服や靴、ベッドがある。
 その反対側にはぐちゃぐちゃにされた寮服と共に深い眠りにつきながら、腹を出しているフロイドがいた。
 彼は部屋に誰かが入って来ていることすら気が付いていないのか。腹をぽりぽりと掻き、口を開けている。


「フロイド先輩!起きてください!」
「んん〜ヤダぁ……」
「ヤダじゃないんですよ!!」


 いまだに起きる様子がないフロイドに彼女は深いため息を付いて大きな声で呼びかけながら、肩を揺さぶった。
 しかし、彼は目を開けることはなく、眉間にシワを寄せて寝返りを打つだけ。
 返ってきた言葉にイライラしてくるのだろう。
 みょうじは頬を引き攣らせながら、更に大きく揺さぶった。


「…………」
「返事しておきながら、寝言ですか!?」
「……」


 フロイドは起きる気配はなく、なんならまた寝息を立てている。
 その様子に驚愕したようだ。呆れた声をひっくり返してツッコミを入れるが、返ってくる言葉はない。
 ついでに起きる気配も、やはりない。


「…………ちょ、これ以上遅くなったら遅刻しちゃいますよ!!ご飯食べれなくなっちゃ……っ!!」


 肩を脱力して腕時計を見れば、長針は7時を短針は23分を指している。
 まだ朝食も取っていない状況でこれ以上時間を無駄に過ぎてしまえば、いよいよ遅刻決定だ。
 彼女は慌てて乱暴に肩を叩き始めるとパシッと腕を掴まれ、そのまま引き寄せられて唇を奪われる。


「……」
「……っっっっ!!!」


 下唇を食まれる感覚に加えて、ギザギザな歯がチクリと当たる感覚。
 薄っすら開いた唇からねじ込まれる熱いものになまえはギョッとして後ろに下がろうとするが、もう片方の手で後頭部を固定されているがゆえに下がるにも下がれない状況になされるがままになっていた。


「ぷはっ…!」


 どれだけの時間、唇を奪われているのか。十分以上か、それ以下か。それすら分からなず、頭が混乱していた彼女が唇を解放されたのは爆発一歩手前のこと。
 酸素が足りなくて苦しそうにしていると途端に重なっていたものが離され、思い切り息を吸い込んだ。


「……あれぇ……小エビちゃ…?なあにしてんのー……寝込み襲いに来たの?」


 重い瞼を薄っすら開ける彼のボヤけた視界に映るのは監督生の姿。
 何故、彼女がここにいるのか。寝起きの頭で考えるが、分からないようだ。
 ヘラっと笑って問いかけるが、内容が内容すぎる。年頃の女子に聞くようなことでは決してなかった。


「…………ジェイド先輩に起こして欲しいって言われて起こしに来たんですよ!少しは感謝してください!!」
「でも、俺起きらんなーい」
「はい!?」


 唇を奪われてしまったことは衝撃が大きいが、ちゃんと頼まれごとは遂行しようと思っているらしい。
 顔を真っ赤にさせて小言を言いながら、やっと会話ができるレベルに起きているフロイドに声をかけるが、彼は以前と起きようとはしない。
 今度は故意的に。
 それが流石に理解できなかったのだろう。なまえは声をひっくり返した。


「あっ、目覚ましのキスしてくれたら起きるかも〜」


 フロイドは何か良いことを思いついたとばかりにニヤリと口角を上げて笑いながら、とある提案をしはじめる。


「…………………」


 何を言ってるんだ、こいつは。
 ドン引きした様子で蔑むように彼を見つめるが、言葉を失ってしまったらしい。
 彼女は返す言葉が見つからずに、頬を引き攣らせていた。


「ねえねえ、早く〜」
「……もうそんだけ起きてたら起きれます」


 彼は上機嫌に両手を伸ばして催促するが、なまえにとっては既にジェイドから頼まれたことはクリアしている。だからこそ、話に乗る気はないのか。
 プイッとそっぽ向いてフロイドの頼みを断った。


「……俺また目閉じちゃったー」
「………さっき自分からキスしといてせがまないでください!」
「いっっって!!」


 少しムッとした顔をすると諦める気がない彼は目を閉じてキスを強請る。
 不意打ちで既に唇を奪われていっぱいいっぱいなのにもかかわらず、今度はキスしてと強要されることにキャパシティーオーバーしたようだ。
 彼女はわなわなと肩と声を震わせながら、ベッドから落ちている枕を拾ってフロイドの顔面に投げる。
 まさかそれが顔面ヒットするとは思っても見なかったのだろう。
 彼は目を閉じて何も見えていない状況だからこそ、余計に痛覚が鋭くなり、痛みを瞬発的に訴えた。


「私は起こしましたからね!!」
「〜〜っ、……ははっ、ウケる」


 それで少しはスッキリできたのか、否か。それは分からないが、なまえは真っ赤な顔をしてそのまま踵を返せば、捨て台詞を言ってジェイドとフロイドの部屋を後にする。
 彼は鼻頭を赤くさせ、痛みに耐えていたが、チラッと見えた彼女の耳が赤かったことに嬉しそうに笑い声を上げれば、上体を起こし始めたのだった。



――その日一日、なまえがフロイドの顔を見ないように避けていたのは言うまでもない。

ALICE+