渇望
今日は国木田くんが非番。それ故に私はこのひょろひょろとした男とバディを組んでいる。
珍しく忽然と気配を消すことなく、私の隣にいる。
彼は真剣な顔をしながら空を見上げ、歩いていた。
「ねぇ」
「何?」
唐突にワカメ頭は閉じていた口を開く。
これは事務所を出て、数分後の会話。
喋らなすぎかもしれないけれど、あらかた事務所で話していたから仕事に支障はない。突然の呼び掛けに私は内心驚きつつ、素っ気なく問いかけた。
「一緒に心じゅ……」
「しないわよ、絶対に」
ワカメ頭こと、太宰治。彼は真剣な顔をこちらに向ける。そして、彼の口から紡ぎ出されるのは聞き覚えのある台詞だ。
またか。
私の心情はそれに尽きる。
最後まで言わせてやらない。
そんな感情が芽生え、伏せ目がちに彼の言葉を遮った。勿論、絶対的拒否の言葉で。
「本当になまえはつれないねぇ」
「それでつれる女がいると思っている時点でおかしいのよ」
彼は私が言うであろう言葉を分かっている。分かっているのにも拘らず、大げさに肩を落とした。それはもう残念と身体で表現をする如く。そして、やる気のない声音で私に文句を零した。
正論を言わせてもらえば、そんな女がいる訳ないじゃない。
いや、世の中、探せばいるだろうけれど。
彼が誘う女性は対外それと縁もなさそうな人ばかりを選ぶ……訳でもないか。
私は毎度誘われるが、真っ平御免だ。
「でも、心中してる男女だっているじゃないか」
「それは愛し合った男女がそれ以外に結ばれる方法がない場合でしょ。言わば、最終奥義よ」
彼は眉を下げ、私に語り掛けてくる。
目を合わせようと、少し腰を曲げて顔を覗き込んできた。
確かに彼の言い分は一理ある。
でも、それは今世では結ばれないからと死の世界で結ばれよう。
ロマンチックと言えば聞こえがいいが、私からすればそんなのは御伽話。
夢物語だ。
現実逃避の一つにしか思えない方法で、好みではない。
彼の言い分に深い溜息を付き、ぶっきらぼうに言葉を返すが、彼の顔を見る気にはなれなかった。
「つれないなぁ……」
「貴方の場合は、愛し合ってもない上に心中目的でしょ。つれるわけないじゃない」
彼は不貞腐れたように足を止め、唇を尖らせる。
いや、口を尖らせているか分からないが、声音からしてきっとそうしているはずだ。
子供か。
そう言いそうになったが、それは呑み込んだ。
いや、子供はそんなことを考えない。
こいつは異常者だ。
感情的になるのは体力の無駄遣い。
そう思い留まった。
そして、私は冷静になり、端的に彼の誘い文句がおかしいことを指摘する。
「なまえと愛し合えば、つれてくれるのかい?」
「残念、私は生きたいの」
彼へ目を移せば、不敵な笑みを浮かべて問い掛けて来た。なんともまあ、随分飛んだ問いかけ。
太宰と愛を囁く関係になるなんて、想像もつかない。
愛を求める癖に、愛するつもりがない奴が何を言うんだ。
私は眉根を寄せ、あしらう様に言葉を紡ぐ。
それが私の断り文句だ。
「どうして生きたいと思うんだい?こんな世の中で」
「こんな世の中だから、生きたいと思うのよ」
彼は盛大な溜息を付いて、呆れたように言葉を紡ぐ。
私の考えがまるで分からないという様に。
混沌としたこの世。
黒と白。灰色。
混ぜて混ぜて、もう悪という名の黒に染まるのは時間の問題。
そう思えて仕方ないこの世界。
彼が言いたいことは分かる。
それでも、私は
「全く分からないよ」
「……自分の命を手放すようなことをしたら、きっと怒るから」
太宰は肩をすくめ、両手を上に向けて言葉を口にした。
私と思考が違うんだから、きっと分からないでしょうね。
私は遠い過去に言われた言葉を思い出す。
それは懐かしい友人の言葉。
それを太宰に語り掛けると彼は眉をピクリと動かした。
「君を?誰だい?」
「分かってるくせに」
しかし、いつもの軽々しい態度に変わって惚けたように問い掛ける。
わざとらしいその態度に思わず、笑みを零してしまった。
彼は分かり易いんだか、分かりにくいんだか、いつになっても掴みづらい。
「僕が?買い被りすぎだ」
「織田くん」
彼は道化のようにそのフリを続ける。
役者になったら、名優になるんじゃないだろうか。
そんな馬鹿な考えがよぎる。
それでも、彼は分かっているはずの答えをはぐらかすから私はその答えを口にした。
私たちの友人…織田作之助。
無口で人を殺さない信念を持った優しい友人。
太宰はその名前を聞いた瞬間、進めていた足をピタリと止めた。
「………」
「きっと、怒るよ?」
彼はただ黙って、私を見つめる。
その瞳には暗い影が落とされている。
彼が何を考えているか分からない。
私は太宰に歩みより、首を傾げて問い掛けた。
「怒らないよ……
「……じゃ、私が怒ってあげる」
太宰は揺れる瞳でアスファルトを見つめると、低い声でぽつりと言葉を零す。
心中したい。死にたい。
太宰がそう言葉を零しても、
そうか。
織田作はその一言しか返さないだろう。
生きろ。太宰を頼む。
でも、織田作は私にそう言い残した。
私に生きろと。太宰を頼むと。
それは太宰に生きていてほしいと望んていたのだと思う。
だから、織田作が怒らないなら、私が怒るしかない。
それが彼から任された役目だ。
私は彼の顔を覗き込んで、ニッと口角を上げて言葉を投げ掛けた。
私としても、この自分の命に無頓着な人を死なせたくない。
「怒られたくないなぁ……君が怒ると怖いから」
「だったら、生きてよね」
「ええー……」
彼は力なく笑いながら、言葉を紡ぐ。
怖いなんて思ってないくせに。
そう思いながらも、今度は私が不敵に微笑む番。彼に投げ掛ける言葉は本心。
私の言葉に彼が放った言葉は不満そうな声を出した。
「私、死ぬような男に興味はないの」
「………ははっ…」
少し、いつもの調子が戻ってきたのか。
雰囲気的にそうだと感じた。
私はくるっと太宰から進むべき道へと身体の方向を変えると止めていた足を動かし始める。
愛を囁く関係になるのを想像できない。
そう言ったけれど、私は自分の命に無頓着なこの人を好いている。
でも、まだこの思いを彼に打ち明けるつもりはない。
大好きな彼が、いつか、心中という悲しい言葉を。
自殺方法を考えなくなることを祈りを込めて、厭味ったらしく彼に言葉を紡いだ。
言葉と気持ちが真逆なのはもう、今更だ。
素直になれない私でごめんね。
あなたが生に執着した時、私はこの思いを打ち明けるから。
彼はぽかんとした顔を浮べると力なく笑い声を上げた。
上げたと言っても、小さな声。
それは私の言っている意味を理解しての笑いなのか分からない。
それでも、この話題は納得してくれたと思う事にした。
彼もまた止めていた足を進め、私の隣に並んで歩き始める。
(全く……君は昔から狡い)
ふっと息を零していることに気が付いた私は太宰の横顔を見た。
どこか柔らかい笑みを浮かべていたが、何を思ってそんな表情になっていたかは私は知らない。
相互記念