小ネタ帳

此処は、お話に昇華出来なかった小ネタや、これからお話に昇華するかもしれないネタ達を書き留めた、所謂ネタ置き場です。主に、管理人の覚え書き処。名前変換物は*で表記。鍵付きについてはインフォページ参照。


▽『君に乞う物語/歓迎パレェドの幕開け』。

原作ドラマCDのノベライズ『Are you Alice?』全巻三巻を読み返し中に、当該作品に登場する『名無シの騎士』を思い付く。『アユアリ』に初めて出会い読んだのは十代の学生時代の頃だったが、当時から三巻の作中『鏡の国』にて登場する“白の騎士”が好きだった為、再度推す形となった模様。よって、CV:森川智之な“白の騎士”をモデルにベースを構成し、出来上がったのが『名無シの騎士(のちに改め、白亜の騎士/イメージCV:梅原裕一郎)』となる訳である。主に、彼と主人公を中心に物語を描いていく予定。
▼登場人物
*このお話の主人公。名無シの作家。女。彼等を生み出した作者であり、創始者。導師みたいな力を有していたらしく、或る日自分が書いた物語の断片に登場する人物を顕現させてしまった。自身が望んで生み出した以上、責任を持って最後まで面倒を見るつもりである。一人称は『私』だが、気が緩んでいたり素が覗くと『俺』と口にしたり。性格は、内気で臆病且つ短気で煽り耐性が低い。今のところ、本名は不明。
*名無シの騎士。改め、白亜の騎士(イメージCV:梅原裕一郎)。全身真っ白な男。色素の薄い髪と瞳に、白磁の陶器のような白さの肌を持つ。騎士と名乗るからには、誰かを守るのが自身の存在意義と定める。作者であり、創始者たる女の存在を崇拝するが如し敬意を払って仕えている。曰く、自分は彼女の従者サーヴァントな立ち位置らしい。女を、“我が主”“主人”“マスター”との呼称で呼ばう。自身の後に生まれた存在である黒耀の給仕婦を毛嫌いしている模様。顔を会わせるなり、顰めっ面を向け、嫌そうな態度を示す。彼女の前でだけ口が悪くなる。普段は生真面目の堅物みたいな雰囲気を纏っている。一人称は『私』だが、素が出ると『俺』に変わる。のちに、白を基調としたイメージから、『Weisヴァイス』との名前を貰う。名付け親は作者の女。尚、意味は独語で“白”という意味らしい。更にその後、先に渾名を付けてもらった黒耀の給仕婦を羨み、愛称を付けてくれと強請ねだる。そうして、『ヴィー』という愛称を貰う。
*黒猫の給仕婦。改め、黒耀の給仕婦(イメージCV:花澤香菜)。全身真っ黒な人型を取る雌猫。上品に整えられた毛艶の良い自慢の毛並みに、金色のお目めが特徴。普段は閉じており、おっとりうっすらとだけ開いたような糸目状(如何にも猫っぽく)。機嫌を損ねた際に開眼する模様。怒らすと恐いし、鋭い自慢の爪でバリバリ引っ掻いちゃうぞ。メイドに相応しくお淑やかに慎ましくを努めてはいるが、先に生まれた白亜の騎士の事を敵視している為、彼の前だけ内にひた隠す熾烈な性格を露わに。女を、“ご主人様”“可愛い子猫モン・シャトン”“マイ・レディー”との呼称で呼ばう。一人称は『ワタクシ』。のちに、黒を基調としたイメージから、『Noirノワール』との名前を貰う。尚、意味は仏語で“黒”という意味らしい。その後すぐに渾名を付けてくれと強請り、念願の愛らしい『ノア(ノーワ)』という愛称を貰う。
▼その他備考
始めの内は適当に呼んでいたが、のちに仏語もしくは独語で、白と黒という意味で呼び分けるように。
白→白亜の騎士→Weisヴァイス→愛称:ヴィー/黒→黒耀の給仕婦→Noirノワール→愛称:ノア……みたいな感じで。
対称的な存在で互いが互いを宿敵ライバル視している。

◇◆◇◆◇◆◇◆

 真っ黒な紙の頁には、白い字でこう記されていた。
【――此れは、とある一人の女が或る物語を書き始める、始まりのお話である。】
 以下は、白地の紙で物語は綴られている。


≫≫≫歓迎パレェドの幕開け≪≪≪


 とある処に、物書きが居た。
 その人間は、まだ年若い女であったが、随分とアナクロで地味な趣味をお持ちであったらしい。
 女は、何かしらの物語を想像し考えるのが好きだった。物書きをするようになったのは、其れが高じて故の事である。
 初めは、頭の中で考えるだけに留めていた。けれど、次第に考えが頭の中から溢れてしまい、留め置く事が出来なくなったのだ。そんな出来事を経て、女は物書きに転じた。元々空想をするのは好きだった為、自身の思い付く限りのお話を好きに書き殴るのは楽しかった。
 女は兎に角、物語や其れに成り得そうな断片を思い付くと、すぐに筆を取って何かに記録し、後で何時いつでも見返せるよう覚え書きとして書き留めた。其れ等が確実に何かの形で活かされるかという事は、一先ず置いておいて。思い付く限り、女は沢山の物語と断片を書き綴った。そして、其れを楽しみ、好きなだけ没頭していたいと思った。
 けれど、趣味だけで世の中食っては行けず、女の物書きの才能は其れ以上伸びる事は無かった。周りが否定したからだ。理解を示さなかったからだ。中には、素敵な才能だと褒めそやす人間も居た。女の数少ない友人である。しかし、たかが趣味で書いているだけの代物故に、金にも成らないのは事実で、何も間違ってはいなかった。実際、自分が書きたいだけ書いて満足しているだけで終わっていた為、食って行くのは端から無理だ、くだらないとそしられるのは分かっていた。其れでも、女は書きたかったのだ。自分の理想とする世界を。決して目立たぬありふれたお話だって良い、誰かの目に留まれば……そして、誰かの心の糧になれば――。其れだけの思いだった。
 書きたい事を書くのみであった為に、完結しない物語など山程あった。中には、きちんと最後まで完結に導けた物語も存在した。けれど、其れは女が書いたお話の中では数少ない物だ。沢山のネタや断片を思い付きはすれど、其れが形となり、はっきりと“物語”として成立するのはほんの一部に過ぎない。書きたいから書いているだけの代物に過ぎなかったからである。でも、其れだけで満足だった。自分が書きたいという欲求が満たされ、思った通りのお話が書ければ。
 しかし、現実は無情というもの。何時いつだって、現実は残酷なものだ。女の才能は、認められなかったのだ。所詮は趣味でしかない、その域を出ない、金にも成らない、くだらないお遊びだとして。そんな事に講じる暇があるなら、家事の一つでもこなすか金になる仕事をしろと、現実を突き付けてきた。事実、女は無職であったが為、この先を平穏に生きていくにはお金を稼がねばならなかった。以前は仕事に就いていたが、酷く体を壊して以来、辞めてしまった。元々体が丈夫ではない方だった事も所以してだろう。後は、まぁ諸々細かい事情が挟まるのだろうが、語ると面倒(二重線で修正)……キリが無いので、今は省く事にしておこう。
 取り敢えず、女は無職であったのだ。だから、何かしらの仕事に就いて、何でも良いから金を稼がねばならない立場にあった。女は努力し、趣味で書いていた作品を世に出してみる決意をする。物は試しのつもりでネットに掲載してみれば、思いの外、他人からの評価を得る事が出来た。この時点では、まだ趣味の域を出ないままであったが。其れでも、不特定多数の人の目に触れる機会を得た事で、今まで誰の評価も得られなかった作品達が喜ぶ声を聴いた気がした。益々、女はやる気を出して物書きに没頭した。作品が出来上がればネットに載せ、誰かに見てもらえるように努めた。評価を得れば、其れが創作意欲へ火を付け、益々作品に取り組むようになった。
 その内、何の因果か、自身が書いたお話が物好きな人の目に留まり、本にしてみないかとの話が舞い込んできた。どうにも、話を持ち掛けてきたその人が、実は出版社に勤める人間だったらしく、己の書いた作品を見て、才能があると思ったらしかった。女は兎に角認められた事実が嬉しくて、話を受け入れ、本格的に物語を書く事にしたのだ。
屹度きっと、物書きならば、誰だって憧れるものだろう。自分の書いた作品が本という形になって己の手に収まる光景は。もしかすると、念願の夢が叶うかもしれないのだ。
 女は衝動の赴くままに物語を書き綴った。勢いだけで書いた作品達は、芽も出ていない名も無き作家が書いたに相応しき拙さではあったが、何れも情熱だけは込められていたように思う。
 しかし、勢いだけで書いた物は、長続きしなかった。趣味の走りで書いていた折よりスランプを経験して以来、長いお話を書けなくなってしまっていたのだ。仮に途中までは書き出せても、勢いを失えば其処までで、最後まで書き切る前に頓挫して終わった。女は短編物を書く方が向いていたらしい。その事を女も理解していたようで、担当にはなるべく短くきちんと終われるお話を書く事に努めると話していた。
 最初の内は楽しめた。好きな事を仕事に出来たのだから。だがしかし、次第に理想と現実の差に押し潰されるように翻弄され、思うような物語を書く事が出来なくなったのである。忽ち、女は思い詰め、精神を病み、以前の如く筆を取る事が出来なくなった。担当者からは、〆切の催促の連絡が入る。けれど、出版社が望むようなお話を書ける自信が無い。度重なる厄介事に心も体も限界が来ていた。
 そうして、女は、或る日、閉じ籠ってしまった。何もかもに疲れてしまったのだ。折角せっかく、自身の思うまま好きなように物語を書ける環境が整ったというのに。周りが求める速度に追い付けなくなったのだった。元々そんなに強い器も持てない、弱い人間だったのだ。急に強くなるなんて事は出来なかったのだ。女は嘆き悲しんだ。自分のちっぽけでしかない、何も為せない才能を疎んだ。好きだった筈の物書きを嫌いになりかけた。でも、本当の本気で嫌いにはなれなかった。何故ならば、根っからの空想好きであったから。頭の中に収まり切れないから、何かしらへ書き留めるようになったのが始まりだったのだ。
 徐に、女は筆を取って何かを書き出した。何だって構わない、自分を癒す為に、自分の理想とする何かを生み出したかった。女は思い付くままに書き綴った。自分をなにものからも守ってくれるような、そんな人が居てくれたら良いのに……。そう、願って。或る一つの人物の形が、作り上げられていく。例え、其れが物語の中に出て来る登場人物キャラクターでしかなくたっても構わない。所詮、机上の空想上でしか生きれないものであっても。女は其れに縋りたかった。自分が作り出した、自分だけの世界の一部に――。
 女は物書きの他に絵心の才能も持っていた為か、手持ちのクロッキー帳を開くなり、頭で思い描く人物像を書き出していった。女が描いた絵は、下手の横好きレベルであったが故に大して上手くも何ともない。其れでも、はっきりと輪郭を帯びて現れた人物は、紙の上で生きていた。女の文字と絵によって。
 一頻り筆を動かして満足した女は、自身の書いた(描いた)人物を、まるで我が子を慈しむように撫ぜて思った。こんなに理想とする素敵な人が、側で支えてくれたなら……と。だが、どうせこんなものは金には成らないのだ。金に成らぬ事は無駄とされる運命であり、打ち捨てられる宿命なのだ。どんなに自分が壊れようとも、周りは急き立てるばかりで誰も慰めちゃくれない。何でも良いから、自分を繋ぎ止めておくだけの何かが欲しかった。ただ其れだけの事だった。
 久し振りに頭を使ったせいで疲れた女は、碌に御飯を食べる事もせずに床へ向かって眠りに就いた。次に目を覚まし起きた時は、少しはマシな世界であれと祈って、女は深い眠りの底へと沈んでいく。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 翌日、女は目を覚ました。あまりスッキリとした目覚めではなかったが、一応は目が覚めたという事で、完全に頭が覚醒するまでは寝転んだままでいようと、枕元に置いた携帯端末の画面を見る。
 現在の時刻を確認してみれば、朝の午前七時過ぎを指していた。朝の目覚めには何とも健康的な時間だ。実際は、不健康で不摂生なナリであったが。
 作家となった事を切っ掛けに、最近買い替えたばかりの新型の携帯端末に慣れない女は、覚束無い手付きで画面を操作した。すると、編集部からその後の進捗を窺うメッセージが送られてきていた。女は気が滅入る思いで、一応の気持ちでメッセージへ目を通す。だが、返信を送るのは後回しにした。既読を付けるだけで精一杯だったからである。
 女は深々と溜め息をいた。次いで、思うように行かない現状に押し潰されて、ついつい泣いてしまいそうな心地になった。恐らく、今鏡を覗いたら、不細工に歪んだ半べそをかいた自身の顔がくっきりと映り込む事だろう。そんな自分の顔は見たくない。出来れば、気持ちが落ち着くまでを待とうと、深呼吸をするに努めようとした。
 一度、目蓋を閉じて、深く深く息を吸おう。人間、生きる上で呼吸が最も大切である。何故ならば、息が出来なくては生きていけない生き物だから。そんなこんな、深呼吸をして波立ちかけた気持ちを凪ぐ事に集中しようと努めていた折だった。
 不意に、声が聞こえてきたのだ。
「…………マ……ァー……、マス…………マスター……?」
 男の人の声のようだった。耳に心地好く響くみたいな、低く優しい、耳障りの良い音。聞き覚えがあるようでない、そんな声が、何だか近くの場所から聞こえてきているように思えた。
 まさか、そんな馬鹿な。今この家に居るのは、自分一人しか居ない筈だ。今しがた確認した限りでは、編集部の誰かがウチを訪ねに来るという気配も無かった。ならば、今のは、家の外から聞こえた声だろうか? 其れにしては、だいぶ近い距離から聞こえてきたような……。
 目蓋を閉じたまま、そんな風に思案していれば、また先程の声が聞こえてきた。
「マスター…………マスター……? お目覚めですか……? 目が覚めたのなら、顔を洗って朝食を摂ってください。昨日も、碌に食べもしないまま布団に入って寝たでしょう……? いけませんよ、御飯を食べないままでは。せめて、何かお腹に入れないと、健康に悪過ぎます。貴女には、健康に生きていてもらわなくては……っ」
 何だかさっきよりも随分と近い距離から聞こえてきた声に違和感を覚えた。同時に、ふっ……と目蓋の向こうが暗くなったのを感じて、ゆっくりと閉じていた目蓋を開く。すると、至近距離という近さに、色素の薄い真っ白な人の顔があって、声も無くギョッと驚いた。正確には、声も出せない程驚いたのだ。人間、驚き過ぎると何の声も出ないとは聞くが、まさか自分もこんな形で身を以て経験する事になろうとは思わなかった。
 兎に角、滅茶苦茶吃驚仰天する出来事が其処にはあった。見も知らぬ、初対面の筈の男が此方を覗き込んで、一瞬前まで感情の読めなさそうな顔をしていたのに、其れを綻ばせて小さく微笑んだ。
「――嗚呼、目が覚められたのですね。おはようございます、主人マスター。お加減は如何ですか?」
 女は飛び起き、謎の男から距離を取ろうとして、ベッドの縁に頭を強かに打ち付けた。
「ッ〜〜〜!! ……イッテェ……ッ!」
 痛みに思わず呻き声が口から漏れ、打ち付けた頭を抱えて悶える。端から見て、何とも滑稽な絵図であった。しかし、男は笑いもせず、逆に心配を露わに気遣う様子を見せた。
「大丈夫ですか!? 主人マスター……ッ!」
「ッ……、気安く触んな……! つか、誰だよテメェ!! どっから入った!?」
「えっ…………。もしや、現状にお気付きでないと……? 此れは大変失礼致しました。でしたら、まずは自己紹介から始めませんとね」
 突然の事に戸惑い怯えの姿勢を見せていたらば、男は女の言葉に一瞬虚を突かれたように目を丸くして、きょとんと小首を傾げた。続け様に言われた事にも訳が分からずに居れば、男は慇懃な態度でこうべを垂れ、謝罪の言葉を口にした。
「いきなり混乱させてしまい、申し訳ありません。私は、主人マスターが創り生み出した、正真正銘貴女の為だけに存在する者です。残念ながら、今は未だ名も無き存在です故、“名無シの騎士”とだけ……。私の存在意義は、貴女をなにものからも守り、安らかで健やかな生活を送らせる事。物理的であろうと、精神的であろうと、貴女に害を為す対象は全て排除してみせます。……ですから、どうか私の前では、笑っていてくださいませ。貴女に涙は似合いません。勿論、涙する貴女もお美しく綺麗ではありますが……其れは、私の本心から望む景色ではないでしょう。故に、嘆き悲しむ間の慰めも、どうか私に……。貴女が望むのでしたら、幾らでも我が胸をお貸し致しましょう。全ては、我が主の為に――」
 そう言って、男は徐に女の手を取ると、忠誠でも誓うかのように甲へ口付けた。依然として、女は現状に付いて行けていないのか、呆然と目の前の光景に驚き続けている。そんな様子に、男は控えめな笑みを浮かべて再び口を開く。
「まだご理解が及ばないのかもしれませんが、此れは現実の事ですよ。まぁ、普通に考えれば、戸惑うのも無理はありません。だって……本当であれば・・・・・・有り得ない事・・・・・・ですからね。ただの机上の空想でしか生きれなかった物語の登場人物・・・・・・・が、こうして現実世界にはっきりと姿形を以てして現れる事など……。でも、私は今、実在しています。主人マスターである貴女様のお陰で、こうして体を、声を得る事が出来ました。私は、貴女を守る為に生まれた存在……。故に、貴女の好きなように使ってくださいね、我が主、我がマスター」
 見も知らぬとは、語弊があった。実際は、記憶にはある存在ではあったものの、理解しようとする事を脳が拒んだからである。最早、理解の範疇を超える出来事であった。目の前に居る謎の人物は、昨夜(正確には、日付が変わって暫く経っていた事から今日の真夜中の事だが)自身が床で寝付く前に、おのが為の存在であれとの思いを込めて書いた(描いた)……一物語の断片に登場する人物キャラクターだったのだ。全ては、男の口にした通りである。
 女は、ただただ困惑の極地に立たされていた。現状をどう処理すべきか、考えようとはするものの、混乱が酷過ぎて全く頭が働かなかった。混乱のあまりに身動きの取れぬ状態に陥っているのを知ってか知らずでか、男は落ち着き払った様子で女に尽くそうと努めた。
「恐らく屹度きっと、私に対して山程質問したい事で頭がいっぱいなのでしょうが……朝起きてまず遣る事は、朝食を摂る事からです。さぁ、顔を洗いに移動しましょう。もし、マスターが動くのもお辛いようでしたら、私が洗面所まで運んで連れて行って差し上げます。少々背中と膝裏失礼致しますよ、……っと」
「えっ――? えっ、ちょ……ちょ、待って……! お、降ろして……っ!」
「おっと。暴れないでください、マスター。暴れては危険です、危ないですよ。大丈夫、私は決して貴女を落としたりなどしませんから。安心して、私に身を委ねていてください」
「いきなりの事でそうも易々と信用も安心も出来るかっての……! 良いから、一旦降ろして!! 早く!!」
「……分かりました。私は、謂わばマスターの従者サーヴァントのような者ですから、マスターのご意志に従います……」
 一先ず、この場は一旦解散……であったなら、どんなに良かったか。あろう事か、名無シの男は、女を横抱きに抱きかかえようとしたのである。当然、此れに女は拒絶を示し、男は渋々承諾したかのように抱えかけた身をベッドへ降ろした。その隙を逃さず、女は再び男から距離を取り、警戒姿勢を崩さずに言った。
「何だかよく分かんないけれども、取り敢えず今は無理矢理納得する事にするから……っ。変に接触しようとして来ないで。率直に言って怖いから……っ」
「怖がらせるつもりは無かったのですが……結果的にそうなってしまったのでしたら、申し訳ありませんでした。心より御詫び申し上げます、マスター」
「あと、その“マスター”っての……? 意味分かんないから止めてくれる? 何で私の事そんな呼び方すんの?」
「其れは……貴女が私を創った創始者であり、我が主だからに他なりませんよ。其れ以外の理由はございません。我が愛しの主人マスター
 そう言って、男はまた小さな微笑みを浮かべて慇懃な態度を示した。もう、どっから突っ込んで良いのやら分からなくなってしまった。一先ず、考える事を放棄したらしい女は、男を制すように手を掲げ、口を開いた。
「えーっと……取り敢えず、起きれば文句は無ェのよね? じゃあ、起きるから……一旦部屋から出てって」
「顔を洗わなくてよろしいので……?」
「その前に服着替えたいから……兎に角出てけ」
「お召し替えでしたら、私がお手伝い……、」
「しなくて結構! 着替えくらい自分一人で出来ます! ので、アンタはさっさと部屋から出てって!!」
「……はい、畏まりました。では、マスターのご支度が整うまでの間に、私は朝食の準備を整えて参りますね。何かありましたら、何時いつでもお声がけを」
 渋々女の指示を受け入れた男は、少々哀れなくらいにショボンと肩を落とした様子で部屋を出て行った。どうやら、己が慕う主人に袖にされた事が堪えたらしい。思った以上の落ち込み具合に、後でフォローの何かを差し入れるべきか。いや、しかし、面と向かって会う・・のは初めてな相手に、初っ端から心を砕けという方が無理な話である。
 取り敢えず、自分は彼の意向に添うように動けば良いらしい。一先ずはそう思う事にして、寝間着パジャマから部屋着ルームウェアへと着替える為のそのそと動き始める。朝っぱらから飛んだハプニングのアクシデントだ。こんなの、予想しろという方が無理だろう。
 女は着替えが終わるなり、身支度を整える為に洗面所へ移動を始めた。顔を洗う前に、先に髪の毛をどうにかしなくては。寝起き感満載で盛大な寝癖を付けたままだったので、正直、今思い返せば地味に恥ずかしい。というか、何時いつから彼処に居たのやら……。もし、まだ目覚める前の出来事からであったならば、軽く死ねる勢いでやはり恥ずかしかった。
 髪のセットやら洗顔やら何やらを済ませている内に、朝食の美味しそうな良い匂いが漂い始める。嗚呼、お腹が減ったな。久々に、誰かと共にまともな食事を摂る事になりそうだ。別に、悪い気はしないのだが、其れが何だか不思議だった。

執筆日:2023.05.12

2023/05/16(04:32)

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