小ネタ帳

此処は、お話に昇華出来なかった小ネタや、これからお話に昇華するかもしれないネタ達を書き留めた、所謂ネタ置き場です。主に、管理人の覚え書き処。名前変換物は*で表記。鍵付きについてはインフォページ参照。


▽『君に乞う物語/名無シの者達の語り場』。

※話の時系列は、【歓迎パレェドの幕開け】の直後に当たる続編。

◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――此れは、とある売れない作家の女が、或る一人の男との初邂逅を果たした、その後のお話である。


≫≫≫名無シの者達の語り場≪≪≪


 居間へと向かえば、既に用意の整った様子の朝食が卓上にて並べられていた。
 献立は至ってシンプルなもので、クルトンの入ったコンソメスープに、ベーコンエッグとポテトサラダ、其れに付け合わせのレタスに、こんがりきつね色に焼けたトースト。おまけには、ヨーグルトの掛かったコーンフレークまで添えられていた。飲み物には、ホットのカフェオレが付けられている。メニューからしたら、其れ程豪華な物では無いだろう。しかし、女の普段のものとを比べたら、朝から何とも豪華な朝食メニューが広がっていた。
 女がいつも用意している物よりも遥かに多い品数に、女は呆気に取られた風に立ち尽くす。その様子に気付いた男が、椅子を引き、席へ座るよう促す声をかけた。
「あぁ……丁度良いタイミングでした。朝食の準備が整いましたので、今呼びに行こうかと思っていたところだったのです。貴女の方から来て頂いたお陰で、呼びに行く手間が省けました。どうぞ、此方の椅子へお掛けくださいませ。あまり時間が無かった為に、有り合わせの簡単な物しか作れませんでしたが……買い出しのご許可を頂ければ、昼食はもう少し立派なお食事をご用意してご覧に入れましょう……!」
「いや……あの、既に十分過ぎる程っつーか……一回の食事如きに、そんな気合い入れなくても良いっつーか……。別に、豪華さとかは求めてないから…………最低限、腹に溜まってある程度味のある物が食べれれば、其れで……っ」
「何を仰いますやら。食事は、人が生きていく上でとても大切で、且つ必要な行為です。ただでさえ、我が主人(マスター)は食事を疎かにしておられる……っ。食事を摂る事まで無精してはなりませんよ。率直に言って、健康に悪いです。私が居る以上は、今後不健康で不摂生な生活は改めさせて頂きますよ」
「……確か、つい最近も、似たような事を担当の人に言われた気がするわ……。いや、まぁ、事実だからしゃあないんだけども……」
「そうでしたか。其れは大変失礼致しました。ですが、今のマスターの不健康さには、あまりにも目に余ります故、少しずつ改善させて行きましょうね? さて、お話は此処までにしておきましょう。お腹が空いておいででしょう? 定番の朝食メニューにはなりますが、貴女の為を思って作りました。どうぞ、冷めない内にお召し上がりくださいませ」
 そう言って、促された席へと腰を据えれば、流れるような自然さでテーブルへ寄せられた後、まるで執事然とするかのように側へ控えた。テーブルに並んだ料理は、二人分である。女は不思議に思って首を傾げ、傍らに控えるように下がった男の方を振り返り、見上げた。
「お前は食べないの……?」
「はっ……? 私は、主人たる貴女へ仕える従者サーヴァント、謂わばしもべです。しもべの身分で我が主と並んで食事など、もっての他……。どうか、私の事はお気になさらず。マスターはお食事を摂ってくださいませ」
「いやさ……折角せっかく作った料理が冷めちゃったら勿体無いだろ? お前を登場させる手前、“騎士”という設定で作ったキャラクターだったが故に、礼節がどうとかマナーとかを重んじる風になっちゃったのかもしんないけれども……ぶっちゃけ、私は全くそんなの気にしないから。寧ろ、そうやって側に立たれて食ってるとこ見られてる方が気になって嫌なんで。出来れば、一緒に食べてくれると有難いのだけども……」
「い、いえ、しかし……っ、やはり、私がマスターと共に食事など畏れ多く…………っ」
「返事が聞こえない。もっとはっきりとした言葉で言いなさいな」
「っ……! 我が主のご意向とあらば、従わざるを得ないでしょう……。では、失礼ながら、御前の席へと座らせて頂きますね……」
 不承不承といった様子でぎこちなく向かいの空席へ腰掛けた男に、女は満足そうに口許に笑みを浮かべて口を開く。
「うん、其れでよろしい。折角せっかくお前が用意したんだから、これからはこうして一緒に食べる事。勿論、私が仕事で手を離せない時は、先に一人で摂ってもらう事になりそうだけれど」
「なっ……! マスターより先に食事を頂くなど、そんな真似は出来ません……っ!」
「料理が冷めたら、折角せっかく作ったのに台無しだろう? だから、今のは飽く迄もそうなればを想定しての仮定の話。他人がわざわざ時間と労力を割いて作ってくれた御飯だもの、出来る限りは冷めない内に頂くつもりよ。分かったのなら、早く食べちゃいましょっ。美味しそうな匂いで、もうお腹ペコペコだもの。さっ、お話も程々にして、御飯御飯……!」
 テーブルに並べられた料理は、何れも出来立てらしく、温かな湯気を立ち昇らせていた。如何にも美味しそうな匂いが、空腹を刺激して、グゥ、と腹の虫を鳴らした。
 女は手を合わせて食前の挨拶を告げる。
「頂きまっす……!」
「……どうぞ、召し上がれ」
 女の素直な態度に、幾許かは緊張を解した様子の男が、微かに口角を上げ、調理した者らしい言葉を呟いた。次いで、女に倣うように手を合わせ、「イタダキマス」とぎこちない発音で食事を摂る為に手を動かし始める。
 料理は何れも温かく、そして美味しかった。久し振りに触れた、他人からもたらされた優しさと温もりに、女は有難みを覚えると同時にその事に対する感謝の気持ちを抱き、噛み締めた。胃に落ちていく温かなスープが、栄養を欲していた体の節々へ染み渡っていくようだ。女は、ほぅ……っと息をくと、表情を綻ばせて呟く。
「美味しい……っ」
「……其れは、何よりでございます」
「最近まともな物食べてこなかったからなぁ〜…………こんなにまともな御飯は久々だよ。あったかい御飯を誰かと一緒に食べれるってのは、やっぱり素敵な事だよね。一人で食べる寂しい食事と違って、こんなにも美味しく感じちゃうんだから……っ、本当不思議」
「…………」
 何と返せば良いのやら、戸惑った風な顔で無言を返した男が、難しそうな顔を作ったかと思えば、しかつめらしい声を発して言った。
「マスターが望むのであれば、最初から従者サーヴァントなる立場の事など一度棚に上げてしまって従うべきでしたね……。お察しする事が出来ず、面目ありません……っ」
「えっ。何でお前が謝るの? 元はと言えば、“騎士”たる設定にした俺の責任だろう? 俺は謂わば、お前の生みの親なんだから。あんま気にすんなって。其れよか、今は美味しい食事に舌鼓を打つ事を楽しもうぜ」
「……はい、我が主の御心のままに」
「いやいや、たかが今のくらいでそりゃ重いって……っ。とりま、食事の件についちゃあ、今後は遠慮すんなって事さね。……にしても、品数おかずも多けりゃ量も多いとは、ちと困ったな。果たして全部食べ切れるか……?」
「すみません、一応マスターが食べれそうなくらいを想定して作ったつもりだったのですが、多かったでしょうか……?」
「うん……ちょっと多いかも。いつも食べる量は、もうちょっと少ない方だからさ。私、朝はあんま入っていかない少食タイプなもんで……。あっ、でも、食べ切れずに残した分はラップして冷蔵庫に仕舞って保管しとけば、後で温め直すなり何なりして食べれるからね! 無問題モウマンタイよ!」
「そうですか……。其れは安心致しました。しかし、分量を間違うのは、マスターに対しても失礼ですので、次回から気を付けるとしましょう。もし、宜しければ、その都度マスターのお好みの食事量を教えて頂けたら有難いのですが……」
「うん? 其れくらいの事だったらお安い御用さね。失敗を次に活かせるのは良い事だよ。そうやって、失敗をバネに次へ進んでいこうとするのは良い心掛けだ。ハハッ、まさか我が子に其れを教えられようとは思わなんだや……私もまだまだ未熟者って事だねぇ」
 しみじみと独りごちた女は、食事の手を止める事無く、食べ切れるだけの量を腹に納めた。残りは、別の器にでも移してラップをしたら、冷蔵庫に仕舞っておけば良かろう。
 女とは違い、しっかり全部綺麗に完食してしまった男は、食事が終わるなり席を立ち、汚れた食器をシンクへと下げに動いた。其れに倣った女も、口を拭いた後に席を立ち、男の後へ続くように動く。すると、気付いた男が背後を振り向き、口を開いた。
「わざわざマスター自らお下げになさらずとも、私の方からお下げしましたのに……っ」
「いや、自分が食べた食器くらい自分で下げるよ。いつもやってる事だし。其れに、今回は作ってもらった側なんだから、その後片付けくらいはするよ」
「そんな、マスターの御手を煩わせる程の事では……」
「良いから、此れくらいの事はさせてよ。生憎、今日の私は手が空いてて暇なんだ。其れに、ちょっとの事も動かなくなっちゃったら、マジで体固まっちゃうから……っ。創作に没頭し始めると、暫くずっと一ヶ所に留まって動かなくなるからね。ケツや腰が痛くなんのよ……。なもんだからさ、皿洗いくらいは私に任せてもらえると助かる。勿論、私に余裕が無かったり忙しくしてる時はお前に任せる。そんな感じでおk……?」
 代替案となる案を提案すれば、男は微妙な面持ちながらも頷き、肯定を示した。其れに満足した様子の女は、言葉短めに「ありがと」と感謝の言葉を告げる。此れに、また複雑そうな顔をした男は、「いえ……」とだけ返し、空になった食器を下げるのみに努めるのだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆

 食事を済ませ、後片付けも済ませた後は、いよいよ本格的な説明の場というか、互いを理解し合う為の話し合いの場を設ける事にした。食後の珈琲をお供に、女は口火を切る。
「生憎、私は口下手で説明下手な質なので、細かい部分は色々端所らせてもらうぞ。取り敢えず、最も気になっていた疑問を真っ先に問わせて頂くが……改めて問おう。お前は、何処の、誰だ? 何を目的として私の前に現れた?」
「始めにご説明した通り……私は、マスターが創りし物語の断片より生まれし者です。マスターとは、即ち、私自身を創造し生み出した貴女の事を指します。私にとって、生みの親である作者の貴女は、唯一無二の存在。絶対的存在なのです。何を目的とするか、につきましては……そもそもが私の存在意義は、貴女をなにものからも守る事。故に、貴女を害為そうとする対象が現れれば、即座に私が打ち払ってみせましょう。その為に、私は此処に居ります。全ては我が主の為に、我が身はマスターの為に在らん事を、此処に誓い、証明してみせましょう」
「ん゛〜…………うん、一応は理解したよ。有難う……。でも、控えめに言ってもちょっと重いから、もう少し気軽い感じで構えてくれて良いよ……?」
「重い、ですか……。マスターへと忠誠を誓うのであれば、当然の事と思いますが……?」
「あ゛ー、うん。まずは、根本的な部分の摺り合わせからして行こうか……っ。でないと、何か色々と不味い気がしてきた……」
 早くも何かを察したらしき女が、頭を悩ませた風に額に手を当てた。其れを黙って見つめる男は、ただ淡々とした態度を保っている。軽く溜め息をきつつも、女は話を続けた。
「よしっ……じゃあ、お互いを認識し直す意味でも、自己紹介しよっか。えっと、まずは言い出しっぺの俺からだな……。あーっと、名乗れる程の名前はまだ持ち合わせちゃいないんで、今は仮の体で“名無しの権兵衛さん”って事にするわ。事実、まだ芽すら出てない新人ぺーぺーの名も無き作家なんでな。俺を呼ぶときゃ、“名無しさん”でも何でも好きな呼び方で呼ぶと良いさ。……ハイッ、お次は君の番だよ、暫定“騎士”クン?」
「名乗れ、とのご命令でしたが……残念ながら、私には、まだ名乗れる名前など付いていないのです。私を創られた際に、貴女は名前を付けませんでしたから……。故に、名乗るとするならば、“名無シの騎士”となりましょう。其れから、今のお話に付け加えるならば、私が貴女を呼ぶ際の呼称は、主人マスター以外に有り得ません。貴女の名前をお聞かせ願えぬ立場上、我が儘など申せません。飽く迄も、私は貴女の従者サーヴァント。其れ以上でも其れ以下でもございません」
「成程。確かに私はお前に名前を与えなかったね。仮に作り出しただけのキャラクターだったから、敢えて付けずのままで居たんだが……そうか、そのままで現実世界へと顕現するに至った、という訳か……。色々と肉付けしていく前段階だったから、仕方がないと言えば仕方がないのか……? そもそもが、何でこうして俺の目の前にちゃんとした人間という形で現れているのか、って事自体に驚きを隠せないし、意味が分かっていないのだけれど」
「その事につきましては、私の憶測に過ぎませんが……恐らく、マスターには元から自らが書いた物語ないし生み出した人物等を顕現出来得る力が宿っていて、その力がマスターのご意志と共鳴したが故に私が顕現するに至った……、のではないでしょうか? 私が知り得る限り、私が顕現するに至るまでの道筋を考えますと、其れ以外に思い当たる事はありません。マスター自身はご自覚を持たれていない、マスターご自身すらも知り得なかった、内に秘めし力だったのかもしれませんが……。今回の事を切っ掛けに、貴女は元より有していた力を開花させるに至ったのでは……?」
「ふむ……。果たして、俺にそんな摩訶不思議なファンタジー要素満載な力があろうてか……? いまいち理解に苦しむというか、ぶっちゃけ信じられなさ過ぎて早くも脳味噌が考える事を放棄しつつあるんだが」
「僭越ながら申し上げますが、そんなにも簡単に思考する事を放棄されますと、私が困ってしまいます……っ」
「素直に御免、今のは俺が悪かったわ」
 率直な意見をぶつけ合いつつ、互いの認識を深めていく為、話をより掘り下げていく。
 一先ず、片方が一方的に喋っていくのはフェアじゃないだろう。女は思い付く限りの質問を挙げていくつもりであったが、一旦は男の方からも何か無いかと話を振った。
「取り敢えず、名前についての件と君が顕現に至るについての件は、今ので一旦納得するにしてよ。君の方から何か私へ訊きたい事は無いのかね? 有れば、答えられる範囲のみで答えよう」
「でしたら……何故、私を創られたのかの理由を、お聞かせ願いたく……」
「君を生み出した理由について、って事だね……? うーん……少し、いや、其れなりに複雑な事情が絡んでいるが故に、その……上手く説明出来るかは分からないのだけれど……其れでも良いのなら?」
「是非、お願い致します」
「めっちゃ食い気味に来るやんけ……っ。ん゛んっ……俺、自分の事話すの得意じゃないから、あんま上手く喋れる自信無いんだけど……。前置きしとくけど、たぶん、絶対分かりにくい話し方すると思う……! 其れでも聞きたいって言うなら、頑張って話してみま、す……っ」
「マスター自らお話されるという事でしたら、全身全霊で以て耳を傾ける所存です……!」
「プレッシャーが凄まじいっての! んな全力で期待しないで! 圧に押し潰されちゃうから……っ!!」
「申し訳ありません、マスター。では、程々のテンションで聞く事にしますね」
 真面目なんだかそうじゃないんだか、よく分からないテンポとテンションでそう言った彼の反応に付いて行けずに、半ば投げ遣り気味になりかけつつ口火を切る事になった。
 女は少し気落ちした様子で、ボツになった作品と途中で頓挫した作品とが書かれた紙の束を持ち出し、卓上へ置いた。そして、其れへ視線を投げながら、伏せがちの眼で語り始める。
「此れは、俺が書いた作品達のごく一部だ。担当者にボツを食らったネタや、書いていた途中で勢いが失速したが故にその先を書けなくなった話やら、諸々の内でな。俺は、好きで作家になったが、世に名を馳せるような本物・・の作家には足元にも及ばない、程遠い存在だ。基本的、作家っつーのは、世の中が認める作品以外世に出す事が出来ない。出したところで、一冊も売れなきゃ金の無駄になるからな。故に、俺は周りの求める作品だけを書けと強いられざるを得なかったんだ。売れもしない、名無しの新人作家なら、誰もが通る道だわな。……まぁ、そんなこんなで、理想と現実の差に打ちのめされた俺は、精神を病んじまって、終いにゃまともな話すらも書けなくなって、作家人生も終わりか……ってな空気に陥ってたのさ」
「マスターが自ら身を削り時間を割き、文字通り血と汗と涙を流しながら書いた作品は、何れも素晴らしい物です。誰が何と言おうと、私は声を大にしてそう言えます」
「そりゃ、ありがとさん。でもな、売れない本は幾ら書いたとて所詮ゴミ箱行きなんだよ。どんなに熱意を込めたって、誰の目にも留まらなければ、其処には何も無いも同然……。結局、俺には大した才能は無かったって事さね。だから、大半がまともに完結する前に終わってんだ……。書き切れたとしても、精々が短編物ぐらいで、数えられるだけだ。そんなんだったから、俺は、作家を辞めようとも考えた。元々、親の反対押し切って出て来た身だったしな……。ここいらで、もうちょいまともな収入の安定した仕事に転職するかなぁーって、ぼんやりとだけど考えるようになって…………。でも、結局、俺は作家を辞めれなかった。話を作り、想像し、文字で書き起こす事が好きだったから」
 女は語り続けた。男も、話の続きが気になるのか、黙って話に聞き入っていた。
「例え、夢物語な机上の空想論に過ぎなくとも……俺は、そんな世界が好きだったから……だから、何でも良いから、自分自身の支えになるような物語を書こうと筆を取ってみたんだ。思い付く限り、書きたいという衝動の赴くままに書き殴った、一晩クオリティーでしかない物語の断片だったが……俺は嬉しかったんだよ。ネタ止まりでも、話の欠片となる物を生み出せたんだから。勢いある内にもっと具体的に具現化出来ないかと、手短にあったクロッキー帳に、その時あったイメージを描き起こしもした。そうして生まれたのが……お前という存在だったんだろう。ほんの一握りでしかない希望を、願いを込めて、俺はお前を生み出した。兎に角、何かに縋りたかったんだろうな。俺の事を本当に理解し、寄り添ってくれるような、そんな存在に……」
 女はそう言って、一つの物語の断片と絵を見せた。男は目を瞠って、其れ等を食い入るように見つめた。己が生まれるに至った根源を目にし、男は漸く合点が行ったと言わんばかりに表情を和らげる。
「嗚呼……やはり、私は、貴女の元で在れとして創られ、生み出された存在だったのですね……。貴女の事を、心から支えるべく存在として」
 寝る直前の女がしていた時と同じように、男は自身が生まれるに至った原点たる物へ手を伸ばし、触れた。そうして、愛しげとも見えなくもない様子で描かれた絵の上を撫ぜ、微笑んだ。
「私は、貴女に感謝しなくてはいけませんね……。何せ、貴女がこの世に居てくれたからこそ、また、こうして生み出してくれたお陰で、私は此処に存在する事が出来ているのですから……。改めて御礼を述べさせてください。我が身を創りし創始者よ、貴女は私へ命を吹き込んでくださった。この恩は、我が一生を尽くしてお返し致すと誓いましょう。我が主よ、私に動ける体を、話せる声を、命をくださり、有難うございます。この命は、生涯貴女だけの為に……。どうか、御身はずっと貴女のお側に置いてくださいませ。さすれば、貴女を害すものは何であろうと打ち払ってみせましょう。私は貴女を守る騎士だ。そう在れと定められ、また其れを受け入れたが故に、私は真の忠誠を貴女に誓いましょう。私の主は貴女一人のみ。貴女以外の人間には一切振り向きません。マスターこそ、私の唯一の主です。夢から目覚めてすぐの時は、あまりに混乱されていたご様子でした故、拒絶された理由も分かりましょう。しかし、互いに落ち着き払っている今ならば、受け入れてもらえるでしょう……?」
 徐に席を立った男が、向かいの席へ座っていた女の足元へかしずく。そして、朝一で為した時同様に女の手を取り、甲へと口付けた。女は其れを半ば呆然と眺めていた。
 男はそのままの姿勢で面を上げ、薄く微笑みすら浮かべて言った。
「我が愛しのマスター……我が身は貴女の為に。どうぞ、これから末永く宜しくお願い致しますね」
「………………様になるなァ、イケメンがやると…………。やっぱり、イケメンって大事な要素だよな……。身目麗しいだけで得しちゃうんだから……」
 ようやっと口を開けるようになったと思って吐き出した言葉は、何ともその場にはそぐわぬ、ズレた内容であった。男は傅いたまま、目を瞬かせ、不思議そうに小首を傾げる。
「あの……、マスター……? 如何なさいましたか?」
「ん……? あぁ……御免。人間驚きが連続し過ぎると、処理能力が著しく落ちるを通り越して何も考えられなくなるんだなって思って」
「えぇっと……とどのつまり……?」
「オーバーヒートからの頭パンクしちゃいました。うん、一遍に色々起こり過ぎちまったからさ……俺の狭小な脳味噌じゃ対処に負えなかったらしくって、控えめに言って何かもう無理ッス」
「マ、マスター……ッ!? お気を確かに……!!」
「うわぁー……人間混乱が過ぎるとマジで訳分かんなくなっちまうんだな。頭パンクして何も考えらんねぇーわ……っ。やべぇ、気付いたら何か目から汁垂れてきてんだけど……ははッ、何かウケる……ッ」
「嗚呼、一度に沢山の事を考え過ぎて限界が来たのですね!? 我が主の限界値を計らずに捲し立てして申し訳ありません……っ!! ひ、一先ずは一旦落ち着く為にもブレイクタイムを……! あ゛ぁっ、しかし、折角せっかくお淹れしていた珈琲もすっかり冷め切ってしまいましたね! 只今淹れ直して参りますので、少々お待ちを……っ!!」
「いや、良いよ。わざわざ其処までしてくれなくったって。捨てるのとかも勿体無いし。元々猫舌で熱いの飲めなかったから、冷めたくらいが丁度良いよ」
「で、ですがっ! マスターたる御方に粗末な物をお出しする訳には……って、もう口を付けていらっしゃいますし……あああ……っ、結局最後までお飲みになられて……っ」
 久々に沢山お喋りをして喉が渇いていたのだ。おまけに、此処のところ、こんなに長く誰かと話す事もしていなかったせいで、少し疲れた。女は、冷めた珈琲を一気に呷って飲み干した。空になったカップをソーサーの上へ戻すと、男に向き直って再び口を開く。
「おかわりの飲み物、貰ってもよろしいかな……? 出来れば、今度は別の甘い物で」
「……ええ、仰せのままに」
 女の言葉に素直に応じてみせた男は、至極嬉しそうに笑った。女も、そんな様子を眺めて嬉しそうである。
 男はキッチンへと行き、手早く主人のご希望とする飲み物を用意する。目的が済むと、再び女の元へと戻り、新たに淹れてきた飲み物を差し出した。
「お待たせ致しました。此方、マスターご注文のカフェラテになります。疲れを癒す甘いお飲み物となっております故、どうぞ、お心の行くまでごゆっくりとお過ごしください」
「有難う。汲み取るのが上手くて助かるよ」
「私はマスターの為に在りますから……マスターのお心を汲んでみせるのも、勤めの内です」
 女はカップを受け取り、口を付けた。そして、仄かに薫る豆とミルクの匂いに、口許を綻ばせて笑った。
「……うん、甘くて美味しい」
「お気に召されたようで、何よりでございます」
「何か、お前相手だったら、何も言わなくても思ってる事伝わりそうだな……」
「左様ですか。マスターがそう在れと仰るのでしたら、そのように致しましょう。……ですが、ほんの少しの我が儘が許されるのでしたら……時々は、貴女のお声を、生きた声を、直にお聞かせ願いたく存じます。貴女の存在は、謂わば母なるものと変わりありません。故に、生みの親たる母の声を望んだとて、可笑しくはないでしょう……?」
「まぁ……確かに言えてるわな。言うてしまえば、私は君の生みの親であり母なる存在になる訳だから。でも、さっきのは言葉の綾みたいなもので、本気で全く一切喋らなくなる訳じゃないから安心おしよ」
「其れを聞けて、心底安心致しました……! 我が主の肉声を、もう聞く事が叶わないのかと思いました故……っ」
「大袈裟過ぎるだろう……っ」
 嗚呼、なんてヘンテコでキテレツで奇想天外な日なのだろう。まさか、自身の書いた(描いた)物語の断片が、こうして目の前で動く日が来ようだなんて。一体、誰が予想出来ただろうか?
 男は慇懃な態度に改まると、再び向かいの席へ腰掛けて口を開いた。
「もし、お許しが頂けるのでしたら……もっと貴女のお話をお聞かせ願えませんか?」
「ふふっ……私なんざの話を聞きたがるなんて、物好きだねェ」
「私にとって、マスターの存在は唯一無二の存在ですから。お仕えする以上は、何処までも理解しようと努めて当然でございましょう」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね……。気持ちに対して気力と体力が追い付かないから、今暫くは間を置いてくれないとしんどいんだが……っ」
「此れは、思い至らずに申し訳ありませんでした……!」
「いや、別に気にしてないから良いよ……うん。ただ、既にもう喋るの疲れちゃったから、一旦休ませてもらっても良いかい? こんなに沢山喋ったの、久し振り過ぎたもんだから……控えめに言って喉が疲れちまったんだぜ」
「でしたら、いっその事、お部屋へ戻られて一休み致しますか? 説明や互いの認識を確認する為の摺り合わせだったとは言え、沢山話して体力を消耗してしまったのでしょう。お昼までには起こしに参ります故、其れまでゆっくりとお休みくださいませ。昼食が出来る頃には、ちゃんとお呼び致しますから」
「んー……っ。じゃあ、今飲んでるコレを飲み終わったら、お言葉に甘えてそうしよっかな? 夢見悪かったりしたせいで、あんま眠れてなくって寝不足だったし」
 女はそう言って、男の提案を受け入れるなり、カフェラテをじっくり味わいながら飲み干した。その後、男がソーサーごと二人分のカップを片付け、女は自室兼寝室へと戻っていった。

 ――部屋へと戻る手前、男は、女へ或る願い事を口にした。
「あの、マスター……っ。差し支えなければで構わないのですが、もう暫く此方を預からせて頂いても……?」
「えっ? 別に構わないけれども……どして?」
「貴女の書いた(描いた)自分自身の姿を、もう少しだけ目に焼き付けていたいと思いまして……」
「あぁ……まぁ、そういう事なら、好きなだけ見てて良いよ。物語の続きを書くのに必要になったら返してもらうけども。大した文才も画力も無い代物に過ぎないけど、誰かに見て気に入ってもらえるのは嬉しいからさ。……んじゃ、ちょっくら一寝入りさせて頂きますわ。私が寝ている間の留守居役は頼んだよ」
「ええ。それでは、暫しの休息を……。おやすみなさいませ、我が主人マスター
「うん、おやすみぃ〜……っ」
 女はそう告げて、後の事は男に任せ、部屋へと寝に戻っていった。男は一人居間に残り、女の記した自身への想いを静かに受け取る。
「貴女の事は、何があろうとも、私めがお守り致します……。我が主を脅かすのならば、其れが物理的であろうと無かろうと容赦はしない。何故ならば、私はマスターを守らんとして創り生み出された騎士であるから。命に代えても、生涯守り抜くと決めたのだ……。我が一生は貴女の為に……。私の唯一無二のマスターよ。どうか、貴女の人生に幸多からん事を願って……我が人生を、貴女に捧げます」
 そう呟きを落とした男は、まるで誓いを立てるように、女の手より預かった大切な物語の断片へと口付けを捧げた。其れは、仕えるべき主人に対する、最大の忠誠心であった。男は、愛しげに手元の紙の束とクロッキー帳とを胸に抱き、恍惚とした笑みを浮かべて一頻り目蓋を閉じる。創始者たる女への感謝の念と忠誠心を強く抱いて。

執筆日:2023.05.13

2023/05/16(05:11)

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