ニヒルと煙草の匂い


 ちょっと一休みしようと休憩のつもりでベッドに横になったら、眠ってしまっていたようで。
 ふと目が覚めて、視界を開くと、目の前は視界いっぱいの逞しい胸筋という世界だった。思わず、寝起き宛らの思考回路で、“雄っぱいだ……”といった頭空っぽの中身スッカスカな感想を抱く。そのまま、ボンヤリとした頭で目の前の光景を見つめ続けていると、不意に頭上から聞こえてきていたガサゴソという物音が鳴り止み、目の前の視界が少し明るくなると共に圧迫感が軽くなった。
 次いで、自分のよくる人物の顔がひょこり、上から覆い被さる状態のまま此方を覗いて来る。
「おん? 何じゃおまん、起きちょったがか」
「いや……今、偶々寝落ちってたのからふと目ェ覚めたって感じで……」
「そうけ」
「以蔵さんは、何で…………?」
「おまんの部屋に煙草忘れたか思うて取りに来てみたら、すよすよ寝こけちゅうマスターが居ったきの。特別用がある訳でも無かったきに、なるだけ起こさんよう取る物だけ取ってぬるつもりやったがじゃけんど……起こしてしもうたかの? 折角せっかく気持ち良う寝ちょったやろうに、すまなかったすまざったにゃあ」
「う゛んにゃ……どっちみち、そんな寝るつもり無かったけね……。ただ、目が覚めて目蓋開いたら、視界いっぱいの雄っぱいにはちっくと驚いたにゃぁ……っ」
「おおの、そらすまんちや。取りに来た煙草が丁度おんしの頭ん上にあったきに、其れ取るんにちっくと邪魔したのぉ」
 恐らくベッドサイド辺りにでも置きっぱにしていたのだろう。其れにしても、何故私の部屋に。純粋な疑問が湧き出てきて、問う。
「なして私んとこに以蔵さんの煙草があんねやぁ……?」
どうしたどいたちも何も、前におまんの部屋来た時に置いてそんまんまじゃったんを忘れちょっただけやき」
「自分の物はちゃんと管理しぃやな……」
 そう言って体を起こした彼が、ベッドに横になったままの自身の側へ腰掛け、煙草に火を付ける。其れに対し、寝起き満載のしゃがれた声で苦言を投げ掛けた。
「ちょい……此処禁煙ですよ、お客様ぁ〜……? 喫煙の際は然るべき場所で行ってくださぁ〜い」
「一本くらいばぁえいろう? 大目に見とうせ」
「部屋煙たくなるの嫌なんだけど……。吸うならせめて窓際行って吸ってくんない? あと、窓開けて換気もヨロなぁー……っ」
「そがなケチ臭い事言いなや〜。おんしとわしの仲じゃろ?」
「煙草臭酷過ぎるのは御断り願いまぁーす」
 そんなこんなの他愛無い遣り取りを寝転んだまま交わしていたらば、不意に此方を見つめて目を眇めてきた彼が「ふぅん……っ」と一言漏らすなり、再び暗くなった視界。何かと思えば、先程の状態と似たような感じで再度覆い被さってきた彼のせいかと遅れて気付く。今度は何だと、そのままの体勢のままで居たら、何処と無く不穏な空気を纏った彼が口を開いた。
「おまんこそ、そがな風に油断しちょってえいんか? 女の部屋に、しかも寝台なんちゅー場所にまで男んわしを許いちょって? おまけに、こがに無防備曝け出いてしもうてからに…………相手が相手じゃったら、“据え膳宜しゅうどうぞ”言いゆうようなもんながやぞ。不埒な輩に喰われてしもうたきって文句は言えんにゃあ……?」
「……なぁに、其れだとまるで以蔵さんがその“不埒な輩”になって私を襲うみたいな言い分やないの?」
「余所見ばっかしくさって油断しちょったら、後悔するぜよ」
「はっ? そりゃどういう意味……ッ、」
 不意に、言葉を言い切る前に降ってきた口付けで唇を塞がれて、その先を封じられた。直後、煙草の苦い味が舌先に触れて、露骨に顔を顰める。すると、そんな私の反応を面白がる彼の口から愉快そうな笑いが漏れた。
「ふははっ、まぁだお子ちゃま舌のおんしにゃ慣れんかのぉ?」
「にっっっがッ…………こんなん何度味わっても慣れんわ……ッ」
「初めはそう思うろ……? やけんど、実際吸い始めたら案外慣れるもんちや。美味い煙草吸うて、美味い酒飲んで、美味い飯食うて、そんで美人な女子おなごまで居ったら、其れ以上に最高な事は無いきに……!」
「え……何、以蔵さん既に酒何杯か引っ掛けてきてる系なの?」
「いんにゃ、わしゃまだ素面じゃけんども」
「いやいやいや、嘘でしょ……? 今のは絶対酔っ払いのテンションからの台詞って感じの流れだったじゃん。まさかの素面で其れかよ」
「まだまだ酒の味も知らんお子ちゃまのおんしにゃ、ちっくと早かったかの? クハハハハハッ」
 そう言って無駄に高笑いをする彼の笑い声が寝起きの頭に響いて、堪らず眉間の皺を寄せて無言で訴える。
 知らぬ存ぜぬの気付かぬなのかは謎だが、一人で好き勝手し出したかと思えば、不意に此方を気遣う様子を見せるが如く優しく前頭部を撫ぜてきた。そして、そのまま労るように慈しむように和らげた声で囁く。
「全く……ウチのマスターは油断怠慢で困るのぉ。護衛のひとっつも付けちょらんとは……えい歳した女子おなごなら特に気ぃ付けんとイカンやろうが。ほいやき、手の空いちゅう優しいわしが進んで護衛役なっちゃるんじゃ。感謝せぇよ〜」
「……だったら、せめてベッドの上で煙草吸うの止めて。布団の上に灰とか落としたらシバき倒すかんな」
「おーおー、おっかないやっちゃ。女子おなごやったら、もうちっくと慎ましゅう淑やかにせんと嫁の貰い手がのうなってしまうぞ?」
「余計なお世話じゃ」
 拗ねた声音でそう呟いて、不貞腐れたみたくそっぽを向けば、クツクツと喉奥から笑みを漏らす彼の声が尚も降り掛かる。
「そう拗ねるなちや。仮におんしを貰うてくれる人が出て来いでも、そん時はわしが貰うちゃるき。心配せいでも、おまんの貰い手は此処に居るき、安心しぃや〜」
「…………酒と煙草に博打好きの以蔵さんが相手とか、嫁さんは苦労が絶えなさそうやなぁ。金に困りそうで、控えめに言って嫌やな……」
「人の好意を無碍にするたぁ、マスターも非道い御人じゃにゃあ。こがぁ〜にもわしはマスターの事好いちゅうのに」
「わざわざ取って付けたみたく言わんでもよかやで」
「嘘やないがじゃけんど……わしんマスターも大概鈍ちんやきのぉ。まぁ、今はえいか」
 何がそんなに面白いのか、此方の一挙手一投足に愉快そうに笑む彼はずっとニヤケ顔だ。まぁ、元々ニヒルな質ではあるものの。今日は一段と御機嫌がよろしいらしい。其れだからなのか、煙草臭さを嫌がる私に気遣って早々に煙草の火を打ち消した彼に小首を傾げる。
 此方の思考を読み取ったのか、顔を上げてニマリと笑った彼が口を開く。
「煙草ん火なら、ちゃあんと消したき。此れやったら寝転んだちえいろ?」
「まだ半分も吸うとらんかったんやないん……?」
「煙草吸いながらもって寝たら、おんし怒るやいか。ほうやき、ちゃあんと消したんやぞ。わし、偉いろう?」
「下心という名の欲が見え見えじゃんなァ……」
「細かい事は気にしな」
 言い終わらぬ内に再び人の上へ覆い被さってきたかと思うと、またもや煙草味の滲む口付けを落とし、そのまま少しだけ唇を食まれ、舌を吸われた。またとなく口の中に広がる何とも言えない苦味に、宛ら苦虫を噛み潰したみたいな面になっていれば、また笑われ、頬を伝って首筋にまで口付けを落とされた。
 歯は立てられていないが、かぷり、唇で食むように食らい付かれた時は、流石に身構えて、制止の声を掛けた。
「ちょっと……ッ、」
「あ゛? 何じゃ」
「あの、歯は立てないでもらえると嬉しいのだけど……っ」
「心配しのうとも、歯を立てる気は無いきに。わしが噛み付いただけでも、おんしの柔肌は傷付きそうじゃきのぉ。代わりに、舌は這わすがにゃあ」
「好き者のスケベ野郎め……っ」
「げに嫌じゃったら、本気で抵抗してみい。ほんまの本気で拒絶する抵抗ん遣り方は、おんしならよう知っちゅうやろう……?」
 端から拒絶する気も無い以上は、敢えて何も答える事は無い。其れに気を良くした彼は、暫く私の耳裏から首筋や鎖骨に至るまでの場所へ執着したように口付け、跡を残した。
 気が済んだ後は、此方の不満げな声など意に介した様子も無く、大の大人の男が女の身の私を下敷きにしたまま寝付いた。しかも、人様の胸を枕にした状態である。しっかと腰に腕まで回された上での事では、身動きを取ろうにも取れない。
 仕方なく、何とか動ける上半身を捻って枕元に置いていた本を手に取り、手短に読書でもしながら彼が起きるまでの暇な時間を潰す事にするのだった。


 ――それから、一時間半程が経過しての頃。
 彼を探しに来ての事だったのだろう、部屋を訪ねに来た龍馬がひょこり顔を覗かせて来た。
「休んでるところに御免ね、マスター。以蔵さん、そっちにお邪魔してないかなぁ? 辺りを探してたんだけど、一向に姿を見ないから、もしかしてと思って……っ」
「あー、うん。お察しの通り、現状、誰かさんのせいで身動き取れない状況で困ってます……」
「わぁーっ、やっぱり〜……! ご、御免ね! 今、上から退かすから……!」
「いや、無理に退かさなくっても良いよ。自然と目が覚めて起きるまでそのまま放置でも構わんから」
「え……でも、その状態のままじゃあ、マスターが休まらないだろう?」
 必然的回答を寄越した龍馬に、一つ小さく笑みを零して返す。
「此れでも、一応は護衛の体で付いていてくれてるから、大丈夫。私の事は何も気にしないで。……其れに、ほら、こんなにも執着される程ご執心みたいだからさっ」
 そう言って、チラリ、開いた首元から覗く肌に付けられた赤い鬱血痕を指差せば、僅かに顔を赤らめた龍馬があからさまな態度で目を逸らして咳払いをする。
 君のご友人は、どうやら思った以上に嫉妬深いらしいぞ。暗にそう言う風な意味を込めた視線を送れば、何とも言い難い表情で以て謝罪の言葉を口にしてきた。
「ウチの以蔵さんがどうもすみませんでした……ッ。起きた後此方で回収したのちに、程々にするようにってキツく言い含めておきますんで……!」
「あははっ、別に其処まで気にしてないから良いよ。強いて言うなら、人の部屋で煙草吸うのだけ控えてもらえれば、そんだけで十分だから」
「あーもうっ……ウチのマスターも大概お人好しなんだから……っ。以蔵さんのやらかしにも目を瞑ってくれるような優しいところは寛大で嬉しいんだけどねぇ〜……。其れと此れとはちょっと別問題になるというか……ッ」
「ナメクジに手を焼いたら、何時いつでもお竜さんを頼って良いぞ。何なら、今すぐその生意気なナメクジ喰ってやっても良いんだぞ?」
「いや、食べちゃ駄目だってば……っ」
「私はマスターと同じ女だからな。同性のよしみだ、ナメクジに何か酷い事されたらすぐに言え? 私が仕返しに倍返しで懲らしめてやろう」
「有難う、お竜さん。その時が来たら、是非とも頼らせてもらうね。坂本さんも、心配してくれて有難う。でも、今のところは本当に平気だから。本気で嫌だったら、そもそもこんな距離感許してない訳だし」
「君がそう言うんなら……一先ずはそういう事で納得しておくよ。けど、もし以蔵さんがまた次やらかした時は、僕からも少し言わせてね。あまり行き過ぎるようでは、監督者として僕も看過出来ないから」
「勿論、その時は素直に正直に其方さんにこの人の事差し出しますとも」
 軽口を言い合って互いに納得し合ったところで、お暇する事にしたらしい二人は切り出す。
「其れじゃ、以蔵さんの事宜しく頼むね。起きたら起きたで愚図るようだったら、こっちで回収するから。どうもお邪魔しました」
「うん。色々気遣い有難う。起きたら坂本さんが探してたって伝えとくから」
「休める内にゆっくり休むんだぞ、マスター。どうしても其奴邪魔だったら、突き落としでもして退けて良いからな」
「はははっ。流石に其れは可哀想だから、起こす時はちゃんと起こすよ」
 私達の邪魔をしないようにと、速やかにそそくさと去っていく二人の様子にクスリと笑みを漏らして、再び静かになった部屋で彼が起きるまでをのんびりゆったり待つのだった。

以蔵さんお相手となると、どうしてもセットで出したくなる坂本ご夫妻(笑)。三人トリオの空気感が大好き故の性ですな!
※尚、龍馬氏に対する呼称が、地文と台詞文で異なるのは敢えてです。個人的な拘りからの表現です故、悪しからず。


執筆日:2023.04.13
公開日:2023.05.04
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