愛らしさすら滲む愚図りを慈しむ


「……また泣いていたのかね?」
 そう、寝起きてすぐというばかりの彼女に対して声をかけた。
 予想はしていたが、今しがた投げた自身の言葉に返ってくる返事は無い。正確には、返す余裕も無い程心掻き乱されている最中だったのだろう。
 れくらいの時間泣いたのかも分からない程に泣き腫らした跡の残る真っ赤な目尻に、哀れみと同情の気持ちを抱くのと同時に、労りの念を以てして触れた。毀れ物に触れるが如く慎重さで触れた眦は、未だ湿り気を帯びており、散々泣き腫らした事による熱を持っていて、其処だけ異様に熱かった。
 これ以上傷付けまいと伸ばした指先の甲で撫でれば、赤く腫れたせいで開きにくくなってしまったのだろう目蓋をゆっくりと瞬かせる。其れを、触れる許しを得たと解釈して、緩く優しく労りの気持ちのもと撫ぜていると。ただでさえ潤んでいた眸に泪を浮かべて、ぷわり、溢れ落ちた一粒の滴が触れた指先に伝う。
「全く……君という奴は……っ、其れ以上泣いてしまっては、目が開かなくなってしまうぞ」
 控えめに言って今以上に泣く彼女の姿は見ていられなくなって、気休めに軽い諌め言を口にするが、もう一粒、二粒と熱くて透明な滴を溢した彼女が小さく口を開く。
「……抑えようとしたけど、勝手に出て来るんだもん……。仕方ないだろ……っ」
 漸く聞けたと思った、発された声は、涙声で情けなく震えていた。其れが嫌で、格好が付かな過ぎて、やはり嫌で仕方なかったのだろう。気まずげに視線を逸らした彼女の纏う空気を察して、努めて優しい声を発する事を意識した。
「誰も君の今の現状を咎めたりなどしないさ。少なくとも、俺はそう思うよ」
 労りの念を含めた接触を止める事はしない。彼女が嫌がらないまでは、目元をさする事を許して欲しいとさえ願った。
 そして、そんな自身の浅はかでちっぽけな願いは聞き届けられたかのように、彼女に受け入れられた。此方の労りの念を素直に受け入れる方向に決めたのか、存外思っていたよりも柔く擦り寄ってきたのだ。
 その愛らしい様を独り占め出来る事を、今更ながら役得だったなと思う。現状の状況を思えば、場違い且つ不謹慎な事だとは理解していたが。例え浅はかであろうとも、想い焦がれずには居られまい。男という生き物としてこの世に生まれたからには、本能的な欲――謂わばさがなるものに囚われてしまうのは当然とした事象なのだから。……と言えど、今や己はエーテルにより構成される人為らざる者――一英霊に過ぎないのだが。元々の器がとある人間の男のものである故か、些か人間寄りの甘い思考となっても致し方ないものだ。
 本音を言えば、ただ目の前の哀れな女を心底愛し、慈しみたい……其れだけの事である。其れを口にする事は、立場上憚れるだけに惜しくてならないが。今抱く浅はかで醜い感情を悟られまいと、表面上の態度には出さずに抑えて見つめた。
 可哀想な位に赤く腫れ上がってしまった両目目蓋を労るべく、大人しく触れる許可をくれた彼女に告ぐ。
「此処まで腫れてしまっていては、少し冷やさねばいかんだろう……。暫し待っていてくれ。今、何か冷やす物を持って来よう……――っ、」
 ベッドの縁に腰掛けていた腰を上げた途端、不意に、上着の裾を引かれたような気配がして、腰元へ目を遣る。すると、彼女の華奢な手が弱々しくも意地らしく裾を掴んでいるのが視界に入った。
 次いで、彼女の言葉に完膚無きまでに打ちのめされるのである。
「待って…………っ、まだ、行かないで……此処に居て欲しい…………っ」
 そんな風に彼女に求められるだなんて思ってもみなかったが故に一瞬驚くも、そういえば今の彼女は心身共に弱り切っていたのだったか――なんて今更みたいに思い出して。自分の事ばかりに気を取られがちになっていたせいで、すっかり見落とすところだった。英霊なんて姿になったとて、まだまだ未熟な自分を恥じた。
 子供じみた我が儘を言って怒られるか、はたまた、幻滅されるかと怯えて待つ彼女を安心させるべく、上げかけた腰を元の位置に戻して、再び彼女の目尻に手を伸ばして触れる。
「……分かった。君がそう望むのなら、君が大丈夫になるまで側に居よう。だが……本当に其れで良かったのか? 今のままでは、あまりに痛々しいというか、瞬きもしづらい程に腫れて開けづらいだろう? 少しでも冷やした方が君の為になると思ったのだが……」
「んーん……今は、まだ良い……。アーチャーが離れた隙に、別の誰かに今の現状を見られる事の方が嫌だから……」
「成程……確かに、不様な姿を曝す相手は、なるべく少ない方が心の傷も軽かろう。……しかし、今更ながらではあるが、君の弱った姿を見る許しを得るのが俺で良かったのだろうか?」
 未だ不確定だった事項を確認するように其れとなく問えば、彼女は寝起き宛らのあどけない表情で以てして答えた。
「逆に訊くけど、アーチャー相手では迷惑だった……?」
「いや、迷惑などという事は決してないが……っ、しかし、本当に俺なんかが相手で良かったのだろうかと不安に思ったのでね。此処には数多あまたという沢山の英霊が居る……其れを鑑みても、この場に相応しい相手が他に居たのではないかと。……まぁ、その考えは、君の反応を見るからに杞憂に過ぎなかったようだが。本当に俺で良かったのかね? 今からでも、誰か別の者を呼ぼうと思えば呼んでくるが……」
「ううん……っ、今は良い……。今は、アーチャーが側に居てくれたら、其れだけで十分だから…………アーチャーが、良い」
「っ……、そ、そうか……。では、君の望むように」
 彼女がそう望むのであれば、彼女の気が済むまで側に居続けよう。自分以外の何者も近付けさせぬように。
 真っ直ぐな好意をぶつけられる事に慣れずも、好き慕う相手から求められる事がこんなにも幸福だとは知らなかったと、表面上は色々と取り繕いながらも本心を隠し切れはしないのだった。
 だって、泣き顔でさえ可愛く、愛おしくてならないのだから。どうにも、自分は彼女に溺れて仕方ないようだ。一度惚れた相手には敵わないとでも言うように、頭が上がらなくて。英霊にもなってこんな気持ちになるのだから、未来なんて世界は計り知れないのだ、屹度きっと

XRIA・XRIEさんの件で復旧作業期間中、心身共に辛い事があったので、癒しを求めて・第二弾。第一弾目であった士郎お相手夢のお話と繋がってなくもないけれど、単体で読めますんでね。赤い弓兵さんの紳士然としたところがスッキ……。
※尚、アーチャーの一人称が“俺”なのはFGO公式設定の曖昧な部分を採用し、本作品の表現上に合わせて敢えて使用しております。


執筆日:2023.04.21
公開日:2023.05.04
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