ゲッシュのプロポーズ


 爽やかな初夏の風が吹き抜けた。
 少しだけ生温なまぬるく、湿り気を含んだ微風そよかぜがびゅわり駆け抜けて、目の前を歩くケルトの大英雄・アルスターの番犬の尻尾を揺らす。目に映える、男にしては長い鮮やかな青髪が風に弄ばれる様は、まさに喜色を滲ませた犬の尾の其れのようだった。
 きらり、太陽の光を受けて反射した彼の耳飾りにぼんやりと視線を投げ眺めていたら、流れる血潮を思わせるような赤が此方を振り向く。合わさった視線にぱちりと瞬かせると、歩みを進めていた足を止め、彼が此方を見た意図を図ろうと首を傾げた。
 刹那、目の前の男が、猛犬と大差無い野性味を彷彿とさせる牙を見せ、パカリと口を開いた。
「なぁ、マスター。今、暇か……?」
「……はぁ?」
「まぁ、今に至るまで何をするでも無しに、適当にただ俺の後を付いて歩いてたとこを見ると、どうやら暇みてぇだな。……丁度良い。ちっとだけアンタの時間、貰っても良いか?」
「えっ……良い、けれども……改まってどうしたの、ランサー?」
 自身の槍は彼一人だけと思うが故の呼びかけだった。しかし、彼にしてみれば、自身の其れ・・には一種の特別な意味をもたらしていたのである。気付かぬ己は、何知らぬ顔でキョトンと不思議げな目を向けて見た。その視線を真っ直ぐに受け止め、見つめ返してくる彼の視線は熱かった。其れこそ、体内にて巡る血潮の如し熱を持って。
 不意に、目の前の彼が己へと手を差し出し、言葉を告ぐ。
「汝、我が槍を、お前の一生を護り抜く物としたく、此処に問う。――お前を、須桜を、我が伴侶にと貰い受けたいとするが……お前は如何どう応える?」
 一瞬、我が耳を疑った。彼は、今、何と言った……?
 直ぐ様、今しがた彼に言われた言葉を脳裏に思い浮かべて反芻する。そうしてやっとの事で理解した言葉の意味を噛み砕き、ゆっくりと噛み締め数十秒間熟考した上で、返事を返す為の口を開いた。
「伴侶に、って事は……つまりは、プロポーズの意として受け取って良いんだよね……?」
「応よ。急かしはしねぇ。必要なら、考える時間を与えるさ。だが、最終的には必ず応えを寄越せ。一度しか言わねぇからな」
「うん……。つかぬ事を訊くようで悪いのだけど、此れって……ランサー的な言い方で表すと、所謂“ゲッシュ”――誓いってヤツになる訳かな?」
「嗚呼、その通りだ。俺は、端からそのつもりで口にした。だから、今から交わすのは互いを結び縛り合う誓いであり、一度と破ってはならぬ契約だ。……そうと分かった上でも尚、お前は俺を、俺の言葉を、受け入れるか?」
 血のように赤き瞳が、燃えるような情熱を込めて訴えかけてくる。“お前を離してなるものか”――、と……。
 心の底からぶわりと震い立つようだった。手足が緊張でピリピリと痛む。恐らく、今、触れて確認したらば、屹度きっと冷たく冷えている事だろう。其れ位には、無意識に緊張していた。
 知らず知らずの内に入っていた肩の力を抜いて、深呼吸を挟んだのちに、心を決めて。いざ、口を開いて告げた。
「私の槍は、何時いつ何処であろうと、お前だけよ――私のただ一人のランサー、クー・フーリン」
「俺の想いに応えると言うか?」
「端から断る気など無いと分かっていた癖して、わざわざ訊くのね? そんな律儀で真面目な面を持つところも、私がお前を好いた切っ掛けよ。義理堅いのは、何時いつとて変わりないようで嬉しいけれど……っふふ、」
「あのなぁ、こちとら真面目に真剣な問いかけしてるんだぜ? 今ばかりはちゃんと聞いてくれや……っ」
「あら、心外ね。私、此れでもちゃあんとお前の話を聞いてるわよ……? まさか、こんな海辺だなんて場所で“ゲッシュ”の誓いを持ち出されるとは思いもしなかったけども」
「今なら、まだ引き返せるぜ……?」
 敢えて楔は打たず、心臓を穿たずに逃げ道を用意してくれる。此れが仕事で、相手が敵で獲物ならば、屹度きっと今みたいな考える猶予など残される事無く貫かれている筈だ。故に、考える余地を与えてもらっているこの時は、彼の私に対して限定の甘さというやつであろうか。
 そうであったなら良いなと、何とは無しに思って、私は目の前の彼の手を取った。
 もう、後戻りなど出来ない。否、そんな気は更々無いのだが。
 一呼吸分の息継ぎを挟んで、私は告ぐ。
「私を、貴方の伴侶に望むのであれば、喜んでお受け致しますわ。我が愛しのランサー、ケルトの大英雄ことクランの猛犬よ。私の命をあげるから、精々生涯可愛がって頂戴な?」
「……んっとに、アンタは食えねぇ女だぜ!」
「そんな女に惚れたのが貴方でしょうに」
「ははっ、言えてらァ。――本気で良いんだな?」
 ほら、また敢えてわざと逃げ道をくれる。逃げる気など無いと示した筈なのに。
 いい加減焦れったく思えてきた矢先に、ふと思い至って、いつの間にやら顕現させていた深紅の槍を持つ彼の手の甲に触れ、迫った。
「喉から手が出る程に欲しいと望んだのは、お前でしょう……? だったら、此れ良いと望んだ私へのこれ以上の問答は無意味でしょう。まだ何か言い募りたいのなら話は別だけれど、私へと逃げ道を作りたいのなら余計なお世話だから止めて頂戴。私は、お前一振りだけを望んだ。応えは、其れで分かり切っていてはなくて……?」
「ッかぁー……! 末恐ろしい女だ事! お前がそう望むのならば、もう逃しはしねぇよ。汝、この時を以てして、お前を我が伴侶と貰い受ける。……我が槍は、お前の一生を護りし物だ。我が槍に誓って、俺は、お前を一生愛し抜くと誓う。此れにて、ゲッシュは果たされた! 我が槍と命はお前の物、お前の命は我が物だ」
 誓いの言葉を交わしたのちに、彼は口付けを求めてきた。其れに、私は素直に受け入れ、求めに応じる。一度ひとたびの間ばかり、彼の血の如し赤き瞳は閉じる。私も倣うように両目を閉じて、彼から贈られる誓いの口付けを受け入れた。
 正真正銘、私達は夫婦となるのだ。ゲッシュの誓いによりて結ばれた以上は、簡単には破れぬ縁で堅く結ばれた事だろう。私はうっそり微笑んで口許に笑みを浮かべた。
「ふふふっ……此れで、私、正真正銘貴方の物なのね」
「嬉しそうで何よりだが、儀式はまだ終わっちゃいないぜ? 最後の仕上げと行かなくっちゃな!」
「あら、仕上げって何の事かしら……? 式でも挙げる算段とか、そんなところかしら?」
「そんな事よりもまず先に遣る事があんだろうがよ……っ」
「あら。他に何があったかしら? てんで思い付かないわ……」
 彼の言う“仕上げ”なるものが一向に分からなくて首を捻らせていると、徐に取られた左手の薬指に、何やら冷たい感触が嵌められるのを感じて目を遣った。すると、其処には、シルバーの輝きを持った金属の輪っかが此方を映し返していた。
 婚約指輪という物であろう。実物をこうして自身の指に嵌められた上でまじまじと拝む事など無かったせいで、接ぐ筈だった言葉を失った。
 改めて彼へと視線を投げれば、先とはまた違った色を宿した瞳が受け止める。
 次いで、再びパカリと口を開いた彼の口許で鋭き牙が覗いた。
「一応は、分かりやすく形として繋ぎ止める物があった方が良いだろうと思ってな。仮の物だが、用意した。……気に入ってくれたか?」
「気に入るも何も……こんな素敵な贈り物されちゃあ、何も言えなくなるじゃない……っ。もう、ランサーの馬鹿……っ」
「へへっ、そう言ってもらえりゃ僥倖ってな……!」
 アルスターの番犬が、今、私だけの為に笑った。彼の耳元を飾る色と同じ輝きが、今、私の左手薬指を飾っている。
 左手薬指への指輪は、祝福等といった意味を含むんだったか。幸福に満たされて止まない胸の内で、そんな事を考えるのだった。
 私は嬉しさ余って彼の懐へと飛び込む。其れを、彼は飛びっきりの笑顔で受け止め、抱き上げるのであった。

四年前の2019年・秋の頃という大昔に書いたネタ文を読み返していたら、何だか続きを書けそうな気がしたので。思い切って続きを書いて一つのお話として完成させてみた次第なる。ジューンブライドに寄せて書き走ってたネタだった為、まだちょっと季節的に早取りし過ぎな気もしたけども、この機を逃したら永遠に頓挫したまま完成しないだろうなと思えたので。思い付いた当初は重度のスランプに陥ってた事もあり、ほんの冒頭付近までしか書く気力が無かったけれど、時を経て、こうして改めて書き上げる事が出来たのは幸いに他ならない。また、クーニキーズ達の中で最も気安く一緒に居て楽しそうだと思ったのは、第五次聖杯戦争時のランサーかなと思った事が、たぶん、このお話を書く切っ掛けになったんじゃないかと思う(覚えてないけども)。クーニキ大好き。


執筆日:2023.05.04
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