真っ直ぐに射し込む光は眩し過ぎる


 少しだけ背が足りなくて、自身の頭より一つ二つ高い位置にある本に手が届かなかった。
一生懸命に背伸びをして手を伸ばすものの、指先は本の背表紙を僅かに掠めるだけ。
知らず知らずの内に小さく「うぅ゙…っ、」と呻きを漏らしている事にも気付かずに、精一杯に手を伸ばして爪先つまさき立ちで立っていた。
何れくらいそうしていただろうか。
時間にしては数十秒、数分といったところであろうか。
だが、実質体感的にはもっと掛かっていた気がして、数十分は格闘していたのではないだろうかという程そうしていた。
 別に、どうしても取れないのならば諦めて他の本でも探しに行けば良いのだ。
もしくは、何処か近い場所に在った踏み台を持ってくるなり、店員を呼ぶなりして取ってもらえば良いだけの事。
しかし、そうまでして今手を伸ばしている本を手にしたい訳ではないような気もする。
ただ何となく、頭上にある本が気になって気になって、手に取って読んでみたいと思ってしまっただけなのである。
矛盾していると、誰かは馬鹿にし嘲笑するかもしれないだろう。
そんな事で恥をかくような真似事をせずとも良かろうに、と。
馬鹿でも良いのだ。
純粋に、己が気になると思った物に手を伸ばした…、ただ其れだけの事に過ぎない。
まぁ…その手を伸ばした先の物が、偶々思った以上に高い場所にあったというだけなのだ。
 長くも短くもない足を伸ばして、必死に手を伸ばし本を取ろうと藻掻く。


(……っく、…あとちょっと………!)


 指先が背表紙の底を捉えて、座標の物を微かに浮かせ、本棚の外側にその身を引き寄せた。
少しだけ力を緩め、力を込めて伸ばしていた手足の疲れを和らげる。
そうして、もう一度、目的の物へと手を伸ばして背伸びする。
 その瞬間、カクリとバランスを崩して体勢がぐらつく。
思わず「ぁ…っ、」と目の前の本棚に手を付いて体勢を立て直そうとした時だった。


「――この本が気になるのか?」
「ぇ――…っ?」


 自身のすぐ側…至近距離という近さの横合いから誰かの手が伸びてきて、自身が取ろうと藻掻いてもなかなか取れなかった本をあっさりといとも簡単に抜き取っていった。
そして、その本の全貌が突如として目前に現れる。


「ほい、ほらよ」
「……あ、有難う、ございます…どうも…っ」


 思わぬ展開に頭が付いていかず、一先ず感謝の言葉を述べねばと口を開いたものの、何処かぎこちなくちぐはぐとしていて、伝えようとしていた言葉も変に順番が逆になってしまった。
そんな小さな些細な事に気付き、一人内心で恥じ、猛反省をしていると。
声をかけ本を取ってくれた長身の男性が口を開いた。


「その本が欲しかった、って事で合ってるよな…?」
「え…っ?あ、はい、そうです……」
「良かった。もし間違ってたなら悪いな、と思ったんでな。…そんなにその本が欲しかったのか?」
「え………、」
「あ…っ、いや、すまない。いきなり話しかけた上に初対面でのタメ口は悪かったよな…。おまけに不躾だった、失礼」


 男性は、そう改まって咳払いをすると、居住まいを正して改めて口を開く。


「俺、此処でアルバイトをしている者です。突然お声掛けしてしまってすみません。少し前にお客様をお見掛けしまして、本を取ろうとして体勢を崩されるのを見て、危ないと思ったので。…思わず身体が動いてしまい、勝手ながらも手を出してしまいました。お怪我をなさったりなどしていませんでしたか…?」
「…い、いえ、何ともありません。大丈夫、です……っ」
「それは何よりです。再度お伺い致しますが、お客様がお求めだった本は、本当に其方の本でお間違いなかったでしょうか?」
「え、っと…どういう事でしょうか……?」
「ああ、いえ。お受け取りになった時の反応が、少々気になってしまったもので…っ。お気に障られたのなら申し訳ありません」
「そ、そういう事でしたか…。すみません、此方こそ…っ。勘違いをさせてしまうような態度を取ってしまって。…その、正直に言いますと、私自身曖昧な気持ちで取ろうとしていた本でしたので、さっきみたいな反応に…」
「そう、だったんですか…?」


 このレンタルショップと併設した本屋のバイトさんだと言う店員の男性が、キョトンとした顔で不思議そうに首を傾げた。


「あ…誤解しないでくださいね?この本が気になっていたのは確かなので…!ただ、理由はそこまで積極的に欲しいから、とかではなくて…単純に“ちょっと気になったから”というものでして……っ。その、わざわざ取って頂いたにも関わらず、失礼な事を言ってしまってすみません…!」
「いえ、良いんですよ。俺の事は気にしないでください。俺は、ただ暇してた時に偶々見掛けただけに過ぎませんから…!」
「えっと、改めて有難うございます…。私じゃ届かなかった処にあった本を取ってくださって」
「なぁに、これぐらい大した事ありませんって!」


 彼の明るい言葉に、少しだけ頬を緩めながらペコリと軽く会釈して、「では…、」と話を切り上げその場を去ろうとしていたら。
不意に腕を掴まれて、「待った…!」と声を掛けられてしまった。
今度は何なのだろうかと、内心恐々として振り返ると、何故か興味深げに此方を覗き込む視線とかち合ったのだった。


「…ちと興味が惹かれた。――なぁ、アンタさえ良ければ、この後、時間空いてないか?少しばかり話がしたい」
「はぇ……っ?」


 思いもよらぬ状況であった。
先程まで丁寧だった口調が、また唐突として敬語の抜けた口調でのお誘いを口にしたのである。
驚いてぱちくりと瞬きをし、呆けたまま彼の方を見つめる。


「もし暇で空いてるなら、何処か手頃な処で待っててくれないか?俺のシフト、もうすぐ終わりなんだ。仕事から上がったら、アンタと近くでお茶でもしたいと考えてるんだが…どうだ?」


 にこやかに笑んでいたが、心なしか、目には真剣な色が宿っていたような気がした。
其れが何なのかは分からず、ただ彼の纏う雰囲気に気圧されて、気付けば戸惑いつつも肯定の返事を返してしまっていたのだった。


「…わ、分かりました…。じゃ、じゃあ、私すぐ其処にある椅子に座って本読んでますので…終わったら声を掛けてください……っ」


 何とも微妙に場にそぐわない返答を返したものである。
しかし、彼は了承の返事が返ってきた事に満足げに頷いて去ってしまうのだった。


「決まりだな。そんじゃ、また後でな!」
「は、はい…っ、また後で……」


 妙な居心地で会話を終えて一時解散したところで、ふと気付く。


(あれ…私、今の人と初対面だったよね…?何かナチュラル(?)に話して約束事みたいな事しちゃったけど…今思えば、私…今の人の名前すらも聞いてないんだが……良いのか、其れで?…てか、何か流されてないか?空気に…)


 次いで、奇妙な関係で縁が繋がった事で次の展開が始まろうとしている事に、ハタと気付く。


「ん…?ちょっと待てよ…。今のって、軽いナンパだったんじゃないのか?」


 軽いどころか、ナンパそのものだった訳なのだが…如何せん、そういう事柄には疎い性分故、鈍い上に気付くのも遅い。
そして、至った事実に、当然として今更ながら混乱するのであった。


(ぇえええ…っ!?私なんかがナンパ……!?…いやいやいや、嘘でしょ。何かの間違いだって。そうだと言ってくれ、誰か…!ヲタクで普段引き籠ってるような奴にナンパなんて、嘘なんだと………ッ!!)


 そう考えた後、否、もしかしたら揶揄いだったのかもしれないとの思考に至り、寧ろその可能性の方が線が濃いのではと思い直す。
もし、揶揄い混じりの事だったとしたら、例え彼の仕事が終わったとしても待っていても来ないのでは…?
まぁ、其れなら其れでこの場に用は無くなるので、欲しい物があればさっさと買って帰ってしまえば良いのだ。


(よし、その方向で行こう。大丈夫。きっと揶揄い混じりにちょっと声をかけてきただけなんだ、名前も知らぬあの人は…)


 そう思い込む事にして、一先ずは彼に取ってもらった本に目を通してみようと手短かな椅子に腰掛け、ペラリと本の頁を開いた。


 ―其れから幾許かの時間が過ぎ、手にしていた分厚い本の四分の一程を読み終えるくらい経った頃だろうか。
少し離れた距離から、誰かが小走りで駆けてくるような足音が聞こえてきた。
その足音に、ふと下げていた視界を上げ、其れらしき方向へと首を向ける。
すると、先程“話がしたい”と約束したであろう男性が此方へ向かってきているところであった。
口八丁な嘘じゃなかったのか…、と彼に対し大変失礼極まりない事を思いながら、「本当に来たぞ、あの人…」と何処か他人事のように捉えて小走りで駆けてくる彼を呆然と見つめる。
 何事も無かったかのように私の元に来た彼は、駆けてきたにも関わらず少しも息の乱れた様子を見せない状態でにこやかに声をかけてきた。


「お…っ、良かった良かった。さっき言ってた場所から移動してなくて…。バイト、終わったんで、これから俺とお茶しません?」
「………マジで本当に来るとは…」
「え……っ?」
「あ…や、すみません…っ。まさか本当の本当に来るとは思わなくって……」
「なっ…!それじゃあ、俺が誘ったのは冗談や揶揄いの類いだと、ただのナンパだと思ってたんですか…!?」
「ひぇ…っ!すっ、すみませんんん……っっっ!!だ、だって、私…普段そういったお誘いを異性の方からされる事なんて無くて…っ。ましてや、見も知らない初対面の方からなんて、想像も付かなくって………!」
「アンタなぁ…っ。誤解が無いように言っておくが、俺は本気でアンタを一目気に入ったから声をかけたんであって、軽い気持ちでお茶に誘った訳じゃないからな…!それと、アンタはアンタが思っている以上に身目整った美人なんだから、もっと自信を持てっっっ!!」
「なんて無茶苦茶な自論なんだ…っ!?其れに、元より自分に自信を持ててたならこれまで苦労してませんわ!要らない指図、余計なお世話です…っ!!」


 何故か唐突に人が気にしている事を指摘され、恥も忘れてつい勢い余って素に近い強気な言葉で返してしまい、直後しまったと気付く。
彼とは少し前に知り逢っただけで、互いに名前も知らぬ初対面な関係であるのに、と…。
しかし、言ってしまった後に気付いたとしても後の祭りというもの。
瞬時に顔を青くして、相手の動向を窺った。


「ぁ……っ、や、その…今のはつい勢い余って返してしまったというか、何というか……っ。ご、ごご御免なさい!初対面の人にいきなり失礼な態度でしたよね…っ!?」
「………何だ。アンタもそんな風に喋れるんじゃないか」
「え……っ?」
「ははっ、ちょっとだけギャップはあったが…まぁでも、思った以上に面白そうで気に入ったわ。よし…!そうと決まればまずは自己紹介からだな!」
「………はぇ?」


 爽やかにニッと快活に笑った青年は、胸を張って自信満々に言った。


「俺の名は、アキレウス…!得意な事は槍術と誰よりも疾く走る事!サークルは陸上部。この近くの大学に通うしがない留学生アルバイターだが、宜しくな!!…アンタの名前は、何て言うんだ?」


 よくよく冷静になって彼を見てみたら、これ以上に逢った事が無い程に整った顔付きの青年だという事に今更ながら気付いた。
次いで、そんな眩しいくらいのイケメン男性にお声をかけられたという事実に思い至り、内心爆発し、変に顔が火照り始めてきたのを感じながら答える。


「あ…えと、吾妻須桜、です…っ。趣味は読書と音楽鑑賞…。専門出で、まだまだ未熟な駆け出しの社会人歴浅い者ですけど、宜しくお願いします…」
「おう…っ!スオウ、だな…?アンタに似合う良い名じゃねーか。アンタにピッタリの名前だな!」


 そんな台詞を物凄く格好良い顔でさらりと言い放たれて、私はただただ顔を赤くするしかなかった。


執筆日:2019.06.12
加筆修正日:2021.10.03
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