
君に幸あれ
―己の誕生日である日…。その事をすっかり忘れていたヒルメスは、仕事を終えた頃を見計らい迎えに来てくれた彼女よりかけられた祝福の言葉に、首を捻った。
「は…?誕生日……?」
『もう、自分の誕生日忘れてたの?以前、私がふと訊いた時に教えてくれたでしょう…?』
「そうだったか…?」
『そうだよ〜。…まぁ、ヒルメスらしいっちゃらしいけどね!』
くすくすと楽しそうに笑う彼女が眩しくて、少し目を細めた彼は小さく笑みを作る。
不意に、彼女が手を差し伸べてきた。
『仕事…終わったんでしょ?なら、早くお家帰ろ!』
「あ、あぁ……。」
そう呼びかけられるとは思っていなかったヒルメスは、呆然としながらもその手に自身の掌を重ねる。
『あ、忘れない内に言っとかなきゃ…っ。』
「何だ…?」
『おかえりなさい、ヒルメスっ!』
「…!……、…ただいま……。」
未だ慣れぬ言葉に、ぎこちなく返すヒルメス。
それでも、彼女は至極嬉しそうに微笑むのだった。
目的である我が家へ着くと、何やらいそいそと忙しなく動くラル。
何かあるのだろうかと疑問に思っていた矢先、突然目の前に花束を突き付けられ、目を剥いた。
『誕生日おめでとう、ヒルメス…!!プレゼントの花束だよ!』
いきなり何をするのかと思えば、先程忘れていたと口にした己の誕生日を祝ってくれたらしい。
何故、男の誕生日に花束なのかを訊いてみれば…。
『ヒルメスにとって、花は大切なものでしょう…?だから、何を渡せば良いか迷った末、これに決めたのっ!』
わさわさと広がる大きな花束に、彼は様々な想いを巡らせながら受け取る。
包まれているたくさんの花をよく見てみると、全て自分が好きだと伝えた覚えのある花ばかりだった。
覚えてくれていた事に嬉しく思ったヒルメスは、わざわざ買いに行ってくれたのだろう彼女に礼を述べる。
ラルは、至って普通の事をしたまでだと返すだけだった。
普通である事が、何よりも幸せであるのだと感じていた彼は、その言葉だけでも十分に嬉しかった。
何気ないサプライズを受け、己の誕生日を祝ってくれた彼女に気持ちを伝えたくて、思い切り抱き締め、口付ける。
唇を離した途端、真っ直ぐに自身を見つめてきた視線に気付き、見つめ返す。
『今日という日に生まれてきてくれて、ありがとう。私と出逢ってくれて、ありがとう…!』
そう、華が咲くような笑顔でかけられた言葉。
ヒルメスにとっては、今まで生きてきた中、一度も言われた事の無い言葉だった。
彼女と出逢えたからこそ、今この時を生きる事が出来ている。
彼女が居たからこそ、有りの儘の自分で居れる。
“生まれてきてくれて、ありがとう”。
未だ深く残る過去の傷痕さえ癒し、溶かしてくれるような言葉に熱くなる胸。
堪らず、再度彼女を思い切り抱き締めたヒルメス。
彼女もそれを何も言わずにただ受け入れた。
きつくきつく、強く、決して手離す事など無いように…。
ぎゅう…っと抱きしめられたラル。
流石に息の苦しくなってきたラルは、少し力を緩めて欲しいと彼の胸を小さく叩く。
ゆっくりと腕の力を緩められ、顔を上げると、僅かに潤んだ翡翠の瞳と合う。
恐らく、それ程までに嬉しかったのだろうと思った彼女は柔らかく微笑んで、少し高い位置にある彼の頭を撫でた。
その時、彼がぽつりと小さく呟いた。
『―え……っ?』
聞き取れなかったラルは、もう一度言って欲しいと促した。
「―…俺は……望んでも良いのか………?其方と、幸せになる事を…望んでも、良いのか…………?」
泣きそうな表情で、必死に何かを堪えるヒルメス。
ラルは、彼のその意味を察し、優しく頷く。
そして、彼が今の今まで醜いと忌み嫌っていた、顔の半分を覆う火傷痕に触れる。
愛しげに目を細め、触れられた手に己の掌を重ねるヒルメス。
―彼女という存在が無ければ、今の俺は居ない…。
ラルという存在が、どれだけ自分を支えてくれているのかを改めて認識したヒルメスは、再び彼女を抱き締め、熱の集まる顔を隠すように…。
彼女の首筋に、顔を埋めた。
いつものように擽ったいと漏らすラルであったが、決して彼から離れようとはしないのである。
それが、どれだけ大切なのか、ヒルメスは心の底から溢れくる感情の中思った。
「…其方と、逢えて良かった………っ。」
掠れた声で、それだけを漸く絞り出した。
抱きしめられたまま、彼女がコクリと頷く。
より一層強く抱き締めながら、彼は言う。
「……愛している、ラル。」
全身全霊で伝えてくれる想いに、彼女も抱き締め返しながら。
『うん…。私もだよ、ヒルメス。』
照れ混じりではあるものの、彼女も精一杯で応えてくれる。
ゆるりと頭をもたげて、彼女の頬へと口付けた。
まだまだ足りなくて、髪や額、瞼へも口付けるヒルメス。
それをあたたかく、擽ったそうにしながらも、嬉しそうに受け入れるラル。
背伸びをして、彼女もお返しにと彼の頬へ口付けた。
今や隠す事のなくなった…火傷の痕が残る右頬へ。
またとなく眩しそうに目を細めた彼の眦に、一つの粒が浮かんで零れ、筋を作った。
彼女は、それをそっと指で拭ってやり、彼の頭を胸元へ抱き寄せる。
愛おしくて堪らない存在を抱き締め返す。
『…誕生日おめでとう、ヒルメス。』
告げられる言葉が、胸の内を熱くして、何も言えなくなる。
でも、それでも構わないのだ。
彼女には、伝わっているのだから。
『ずっと、側に居るから…。抱き締めてあげるから、だから…。』
“有りの儘のヒルメスで居てね…?”
また一筋、頬を伝った雫。
彼女の指が、優しくヒルメスの髪を梳く。
「…ラル。」
『ん…?』
「愛している。」
『私も、愛してるよ。』
普段は、照れくさくて口にしない言葉を彼女も伝える。
愛しくて、愛しくて、離し難いから…。
今だけは、こうして抱き合っていたいと想う、ヒルメスであった。
◆END
加筆修正日:2019.07.07
加筆修正日:2019.07.07