君の甘さも蕩けるようで

冬も終わりを迎える、如月のとある中頃の日。

屋敷へ帰ると、いつになく甘い匂いが屋敷の外にまで漏れて漂っていた。

中へ踏み入ると、其処は胸焼けしそうな程甘ったるい香りで充満しており、思わず足を止めて顔を顰めるヒルメス。


(―何故、こんなにも甘い匂いがしているのか…。)


思考を巡らせていると、調理場から出て来たのであろう。

これまた甘い匂いを纏わせた彼女が、腰に巻いた前掛けで手を拭きながら出迎えた。


『あっ、お帰りなさいヒルメス…!』
「………どうしたんだ、この匂い…。」
『あぁ〜、ちょっとね。私個人が作りたい物があって、調理してたの。』
「調理なら、下の者に任せておけば良かろう…?」
『私しか知らない食べ物だし、私じゃないと作れない物だったから…。出来る限りの材料を揃えて、前々から準備してたんだ!』


「えへへ…っ。」と照れ笑いを隠さずに、にこやかに笑うラル。

甘い香りがまだ気になり、相槌を軽く打って先を促すヒルメス。


「…で、何の為におぬしがそこまで拘ってやっておるのだ…?」
『えっとね。実は…私の世界では、二月十四日の日を“バレンタインデー”って言って。女の人が好きな男の人に対して、“貴方が好きです!”って意味を込めた、チョコレートを送る日なの。別に、好きな人限定じゃなくても…お世話になった人や、“いつも感謝してます”っていう意味での相手にも送ってOKなんだけどね!…最近じゃ、友達同士での交換し合ったりする、“友チョコ”とかも普通にやるし…。場合によっちゃ、“逆チョコ”なんて言う、男の人から贈るチョコレートなんてのもあるからなぁ…。一概にどうとは説明出来ないけど…まぁ、大体はお世話になった人に送る、って体の形が多いかな?取り敢えず、そんな訳で…せっかくだから作ってみよっかなぁ〜って思って作ってたんだ♪』
「…道理で甘い匂いが充満している訳だ。」
『あ…ヒルメスって、甘い物…苦手だったりする?』


ふと思い出したように不安げな顔をして自身の顔を覗き込んでくるラル。


「まぁ…好き好んで食そうとは思わん。…が、おぬしが作ってくれた物というなら話は別だ。」


ポン…ッ、と頭の上に手を置き、安心させてやるように柔らかな口調で返すと、不安が解けたのか、安堵の笑みを浮かべて微笑んだ。


『帰ってきて、吃驚したでしょう…?何でこんなにめちゃくちゃ甘い匂いがすんだよ、って。』
「嗚呼…屋敷の外にまで漏れていたからな。侍女か下人の者が何かやらかしたのかと思ったぞ…?」
『あはは…っ!こっちの時代?…つか、こっちの世界じゃあ、換気扇なんて物無いからねぇ〜。上手く空気が回らなかったんでしょ。』
「…そういうものなのか?」
『そういうもんなんじゃない…?たぶんネ〜♪』


「ふんふふ〜ん♪」と鼻歌を歌いそうな雰囲気で彼の外套や剣などの荷物を預かると、さささっと部屋へ片付け、調理場に引っ込んでいくラル。

残されたヒルメスは、居間にある長椅子に腰掛けると、用意されるであろうお茶を待った。

予想した通り、程なくして盆を手に持った彼女が楽しそうな雰囲気で戻ってきた。

上機嫌な彼女は、一度盆を卓の上へと置き、持ってきたお茶を彼の目の前に置く。

そして、その横に、彼からしたら初めて目にする…何やら濃い茶色の物体が乗せられた、可愛らしい器をコトリッ、と置いた。


『はい、ヒルメス…!バレンタインデーのチョコだよ。』
「…………何だ、この茶色い物体は…。」
『これが、さっき言ってたチョコレートだよ?カカオっていう食べ物に、めっちゃ砂糖やら乳成分とかを混ぜて甘くしたヤツ…!ちょっとしたお菓子だよ?』
「何か柔らかいんだが…。」
『あ、それは、生チョコだからだよ。普通のチョコレートは冷やして固めたりして作ってたりするんだけど…。作り様によっては、こんな風に柔らかい生チョコってものにもなるの。…普段なら、大量に湯煎で溶いて作るの面倒だから、ちょっとの量で済むチョコカップケーキとか作ってたんだけど…。偶には、チョコ作ってみてもいっかな…って感じで。』


気恥ずかしそうにもごもごと話すラル。

彼女の話はまだ続くようだ。


『社会人になってからは…手作りのチョコなんて、そんなにあげる人居なかったしね。あげたとしても、仲の良い友達限定って感じだったし…。仕事で忙しいから、つい市販のヤツに頼っちゃうんだよね〜。そんなこんなで、本日作りましたチョコ…実は久し振りのお菓子作りなのです。一応味見はしたけど、お口に合わなかったら…ごめん…っ。』


地味に長い説明だったが、要は食べてみなくては分からないという事である。


「…よく分からんが、頂きます。」
『うん…っ、どうぞ召し上がれ。』


彼の反応が楽しみなのか、ワクワクとした空気で彼の隣へと腰を下ろし、言葉を待つ。

特に何も言わないまま、無言でチョコレートを食すヒルメス。

「まだかな?まだかな?」と、余程気になるのか、うずうずしている様子が見て取れる。

また一つ、チョコレートを摘まんで、パクリと口の中へと放り込んだ彼。

小首を傾げながら待つ彼女は、完全に油断し切っている。

ふと、外に居る侍女達の様子が気になったのか、一度彼から視線を外したラル。

少しばかり扉の向こうを見遣り、また彼の方へと頭を戻す。

その瞬間を狙っていたヒルメスは、彼女が此方に向いたと分かった途端、自分が口にしていた物と同じチョコレートを彼女の口へいきなり押し込んだ。


『むぐ……ッッッ!?』
「どうだ、美味いか…?」
『(モグモグモグ…、ゴックン)……う、うん…っ、美味しいけど…。』
「けど、何だ…?」
『その…いきなりは、やめて欲しいかな…。』


小さな声で恥ずかしそうにもごもごと喋ったラル。

チョコレートの味は、前以って自分で味見して確かめていた通り、我ながらの出来にしては美味しかった。

そう思いつつ、口端に付いた食べかすを指で拭っていると…。

前置きも無く、これまた突然に彼に腰を抱かれた。

今度は何だと彼を見上げたところで、顎に手を添えられる。


『あの、ヒルメス…?何すん……っ、』
「おぬしが作ってくれた味を、もっと味わわせてもらおうか。」
『は……?今何て…ッ、んむ………ッ!?』


熱く柔らかいものを押し付けられたと理解したと同時、ねっとりとした舌が絡み付く。

呼吸もままならないまま口付けられ、苦し紛れにヒルメスの胸に縋り付き、身を捩った。


『んぅ……っ。…ふ…、っぁ………んんぅ………っ!』


幾度となく角度を変えて食まれ、上手く呼吸の出来ない彼女が目に涙を浮かばせる。

くちゅり…っ、と厭らしい音が耳朶を打って、羞恥に顔を赤らめさせた。

その扇情的な表情は、彼女を独占する彼にとっては堪らないものがある。

己の口付けに酔いしれる彼女に気分を良くした彼は、目を細めて口角を上げた。

唇が離れた際、何方のものとも付かぬ糸が艶かしく映り、引いた。

最後に、仕上げだというような風で、ペロリと唇を舐め上げたヒルメス。

満足気な表情で顔を離した。

一方、彼に翻弄された彼女は、肩で息をしながら、不覚を取ったと悔しげに睨む。

しかし、その目は涙で潤んでいる為、全くといって良い程効果は無い。

寧ろ、煽りでしかない為、逆効果である。

全く反省の色を見せないヒルメスに、何か一つでも文句を言ってやろうとして開いた口だったが、次に言われた言葉に、ラルは何も言えなくなってしまう。


「…ふむ。やはりこっちの方が、数倍甘いな。」
『ッッッ……………!』
「ん…?どうした、急に黙り込みおって…。顔が真っ赤であるぞ?…まさか、今のだけで惚けたのではあるまいな…?」
『…………不意打ちだけは、本当…勘弁してください………ッ。』


何とかそれだけは絞り出したラル。

顔を真っ赤に染めた彼女は、たった今口付けられていた口許を覆い隠し、彼からの視線から目を逸らした。

クツクツと喉の奥で愉快そうに笑うヒルメスは、至極楽しそうだ。

いきり立ちかけている彼女を宥め透かすように柔らかな髪を優しく撫でていく。

それを心地よく感じてしまうラルは、更に悔しく思うのである。

口の中には、未だ後を引くような甘さが残っている。

「次仕掛けられたなら、今度こそ自分が彼を翻弄してやる…っ!」と、決意に燃える彼女の心情など露知らず…。

その身を抱き上げ、自身の膝の上へ股がらせる彼は、頗るご機嫌なのであった。


◆END
加筆修正日:2019.07.07
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