
ヒルメス王子と捨て猫。
俺は、周りから良い目で見られず、子供の頃は常に孤独を感じていた。寂しいと思う事はあったが、それを口にする事はなかった…。
何故なら、周りの人間は、大抵の者が媚を売る者や、俺の存在を疎ましく思う者ばかりだったからだ。
「お父様っ!」
「おぉ、ヒルメスか…。」
「今日も大物の狩りに成功しましたよ!もう少しで獅子狩り(シールギール)の称号に届きます!俺、頑張るので、見ていてください…!!」
「うむ…。流石、我が息子よ。」
俺には、病で床に伏せる父が居た。
唯一、俺を愛してくれる親だった。
他にも父に遣えていた臣下達も居たが、今思えば、あまり心は開いていなかったように思う。
しかし、父と共に何かをする事は叶わなかった。
何故ならば、寝たきりであったからだ。
暇な時間が出来ると、いつも独りで過ごしていた。
―あの日もまた、独りで暇をどう潰そうかと、側近を誰も付けないまま宮殿内の庭を歩いていたのだった。
俺はいつも、自室の目の前にある小さな庭で過ごしていた。
風に揺られる花や草木を見つめていると、その穏やかな空気に荒んだ心が落ち着くので、その空間が好きだった。
(―誰も俺を心から支え、共に居てくれる者は居ないのだな…。)
そう思っていた時であった。
『みゃあ〜んっ。』
庭の隅で踞る影を見付けた。
鳴き声が聞こえたので、近寄ってみると、まだ幼き子猫が居た。
何処から迷い込んだのか。
こんな所に居ては、宮殿の者に見付かり、何をされるか分からないと考え、その子猫を抱き上げた。
草花に隠れるようにして踞っていた子猫は、産まれてから日が浅いのか、まだ小さく震え、乳の甘い匂いがしていた。
近くに母猫が居るのだろうと思い、辺りを見渡したが、それらしき姿は何処にも無かった。
こんな子猫一匹で、このような場所には来ぬだろう…。
名も知れぬ誰かが、宮殿の近くで捨てたようだ。
なんと哀れな事か。
心の奥で、きっと何処か自分と似ているのだと感じていたのかもしれない。
俺は、その子猫を傷付けないよう、優しく腕に抱え込んだ。
子供としては、早熟した考えを持っていた俺は、子供らしく誰かに甘える事など無かった。
…だからなのか。
自分と同じように独りぼっちなこの子猫を、重ね合わせていた。
「…おぬしも、独りぼっちなのか…。」
『みゃあ〜。』
「そうか…。」
其処いらにあった樹の根本に適当に座り込んで、子猫を外套で包み込むようにして抱く。
子猫は、もぞもぞと動き回り、ある程度落ち着くと、俺の手に擦り寄ってきた。
そんな愛らしい姿に、思わず顔を綻ばせた。
なんと癒される事か。
俺は、子猫を誰にも見付からぬように、この部屋の何処かで飼う事に決めた。
ともなれば、まずは名を付けねばなるまい。
俺は、どのような名が良いか、頭を捻った。
子猫を指で遊んでやりながら、その様子を眺める。
よく見れば、子猫は雌猫のようだった。
(ならば…女のような名か。)
そう考えていると、ふと思い浮かんだものが一つ…。
「……“ラル”、…ラルという名は、どうだ…?」
問いかけても答えが返ってくる筈もなく、意味の無い事だと分かっていたが、そうせずには居られなかった。
『みゃぅ…?』
「…!」
だが、子猫は予想とは違い、「自分の事呼んだの?」と言わんばかりに鳴き、俺の方を見つめ返したのだった。
俺は心から喜んだ。
それから俺は、暇さえあればラルと過ごしていた。
腹は減っていなくとも、小腹が減ったと嘘を付き、侍女に軽い食事や菓子を用意させ、ラルに与えてやった。
「どうだ、ラル。…美味いか?」
『ぅみゃんっ!』
「そうかそうかっ、なら良かった…!」
その愛らしい姿に、思わず顔を綻ばせた。
ラルは、日々健やかに成長していた。
出逢った初めは、両手で抱えても余る程小さかった身体が、今や両手からはみ出す程にまで成長していたのだった。
…動物とは、成長の早いものだ。
このまま順調に育てば、立派な大人の猫になるだろう。
優しい手付きでラルの頭を撫でた。
こんな風に、心安らぐ時間が続けば良いと…。
そう、ずっと思っていた。
だが、それは…ものの数日後に破られたのであった。
ラルが、他の者に見つかったのだ。
俺の知らぬ内に、部屋から脱走していたようである。
俺は、廊下を歩いている通りすがりに、兵士達の噂を聞いた。
その内容は、宮殿内に何処からか入り込んだ猫が、侍女に捕まえられたとの話であった。
俺は、もしやと思い、慌てて例の部屋へと駆け付けた。
案の定、部屋は空っぽで、いつもなら本棚の隙間にある、寝床に居る筈のラルだが…その姿は無かった。
俺は、先程噂を話していた兵士達を引っ捕まえ、ラルの…例の子猫の居場所は何処なのかを聞き出した。
そして、聞き出した場所へ全力で走った。
「ラル…!どうか無事で居てくれ………ッ!!」
そう願いながら、俺はラルの元へと走ったのだった。
駆けている最中、酷く胸騒ぎがし、嫌な予感がすると直感が警告を告げていた。
俺は、息も吐かぬまま、“猫を片付けた”という侍女の元へ来ていた。
「ヒルメス王子…!?そ、そんなに慌てて、どうされたのですか……?」
「…兵士達からっ、…猫を捕まえたと聞いて……っ。」
「あぁ、その事でしたか…!」
「それで…っ、その猫はどうしたのだ…?」
「それでしたら…近くに居た使用人に頼んで、片付けてもらいましたが…。」
「…そうか。して、その使用人とやらは…?」
「確か、彼方の方に…っ。」
俺は、迷う事なくラルが居るのだろう方向へと駆け出した。
後ろから、何やら侍女が己に呼びかけていたが、無視した。
(早く…っ、早く………!)
慌てて来た様子の俺に、使用人達は驚いていた。
「おい、貴様…!猫を知らんか?侍女がおぬし等に任せたという、まだか弱き猫の子を…っ。」
「へ、へぇ…っ。確かに、私達が処理致しましたが……。」
「どうしたのだ!」
「は…?どうしたって…、王宮内に薄汚い野良猫など要らぬと仰せでしたので……。言われた通り、苦しまぬように殺して、土に埋めましたが…?」
「………な、に…?…殺した、だ…と…………っ?」
俺は、使用人に言われた事をすぐには理解出来ずに、絶句した。
―ラルが…っ、殺された………?
俺の大事にしていたラルが……死んだ?
頭が真っ白になっていくのが分かった。
ただ、事実を受け入れるだけなのだ。
何故、そこまで悲しむ必要がある…?
黒い感情が渦巻き始めたところで、感情の込もっていない抑揚の無い声で、「そうか…。」とだけ短く絞り出した。
そうやって感情を抑え込まないと、爆発してしまいそうだった。
俺は静かに部屋へと戻っていった。
小さな庭がある、ラルと短い数日間を過ごした部屋である。
扉を乱暴に閉め、誰も立ち入らぬよう、鍵を掛けた。
―あれは、正しいのだ。
普通は、皆、ああなのだ。
俺も、ただ気紛れに手を差し伸べただけだったのだ。
何も気に病む事など無い。
なら、何故、こんなにも悲しんでいるのか。
何故、涙が溢れそうになるのか…っ!
俺は文机に手を付き、震える拳を握り締めた。
―ラルを失い、あれから幾数の年月が経った。
俺は、もうあの時の子供ではなくなっていた。
すっかり大人になってしまったのだった。
ふと猫を見かけると、ラルではないかと目で追っている自分が居て、嫌気が差す。
『にゃあ〜ん…っ。』
「…チッ、猫か。…さっさと何処かへ行け!鬱陶しい奴め…っ。」
『ふぎゃあっ!』
足で蹴やる動きを見せると、向こうは驚き、飛び退いた。
そして、ソイツはすぐに去っていくだろうと放っていた。
しかし、猫は一向に去る事なく、じっと俺の方を見つめてきているのだった。
どうやら、今の俺は、猫にも恨まれる程に醜くなってしまったようだ。
そう…銀仮面の裏に隠した下で、皮肉に顔を歪めた。
まだ此方を見つめ続ける一匹の猫。
何故か気になり、困惑した頭で、浮かんだ名を振り払う。
(―まさか、そんな事ある訳がない…っ。)
だが、この目は見た事のあるものだ。
頭に過った僅かな希望に、馬鹿らしくも期待し、口が形を作る。
「―“ラル”……、だとでも言いたいのか…?」
知らず知らずの内に呟いた言葉。
それが、己の耳に届き、仮面の下で苦虫を潰したような表情になる。
猫の眸は、ひたと俺の目を見て離さない。
『―…にゃあぁん…っ。』
猫が、俺の呼びかけに答えたのだった。
まだ憎しみなどという黒き感情を知らなかった幼き頃に出逢い、すぐに失った小さな友…。
それは、今となって時を越え輪廻し、己の元へ再び還って来たのだった。
◆END
加筆修正日:2019.07.07
加筆修正日:2019.07.07