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他人の空似



朝食を終え、帰る支度をと鞄に仕舞ったままだったスマホを取り出し、開いてみると凄まじい事になっていた。


『うわ…っ!?スゲェ数の通知と留守電が来てる…!!家と姉ちゃん、交互に通知来てんだけど。めちゃくちゃヤバいヤツじゃんコレ…。絶対怒られるよ。』


半ば心が挫けそうなくらいの数の通知に、早速現実逃避したくなった璃子。

留守電からメール、SNSといった連絡ツール三種より、それぞれ合わせて数十件の通知が来ていた。

恐らく、昨夜連絡を入れていなかった事が原因だろう。

おまけに、姉からも連絡が来ている事から、姉の方にも連絡が行ったという事だろう。

よって、姉宅にも泊まっていない事が判明し、アンタ今何処に居るのよ、と心配の連絡が入っていたと…。

不可抗力ではあるが、その全てを総無視(他意は無い)してしまったのだ。

帰宅した時の反応が恐ろしいものである。


(やべぇ…ッ、マジでどうしよう…。今連絡すんの嫌だなぁ〜っ!でも、連絡しなきゃマズイよなぁ…。いっぺんぐらいは、連絡入れといた方が良いよなぁ…っ。)


スマホの通知画面を睨み付けながら、思考する璃子。

その表情は、端から見たら、面白いくらいに百面相していたのだった。


「…どうかしたのか?」
『え…っ、あ、いや…ちょっと、親や姉から連絡が来ていまして…っ。』
「姉が居たのか、アンタ…。」
『え?あ、はい…。姉が一人…私は妹で、二人姉妹なんです。親は、両親二人で、一般的家庭の四人家族ですね。』
「そうなのか…。それで、何にそんなに困っているんだ?」
『いやぁ…っ、昨日、一人カラオケする為に出掛けに此方まで来てたんですけど…帰りは遅くなるか、若しくは姉の家に泊まるという体で話して出て来てたんですよね…。結果、どちらにも帰ってない上に、一切の連絡も入れていなかったので、両方から心配の連絡が来ていたという…。』
「嗚呼、それでか…。(此奴、貧血で倒れる寸前まで、カラオケ行ってたのか…それも一人で。意外だな。)」
『…ので、一応は生存のお知らせを…というか、ちゃんと無事ですよー、という連絡をしといた方が良いかなぁと思って、悩んでました。大体の予想は付きますけど、絶対怒られますよ…連絡入れた瞬間の反応が目に見えてる…。ゔぅ゙っ、掛けるの嫌だなぁ〜…っ。』
「だが、掛けない方が厄介なんじゃないのか…?」
『そうなんですよね…。ハァ…ッ、腹括るか…。』


たった一本の連絡を入れるだけで、この気合いの入れ様。

お前は、これから何と闘いに行くつもりだ。

心の底より深い深い溜め息を吐いてから、覚悟を決めたように、一言断りを入れて、いざ親へと電話を掛ける。

朝早い時間だったが、大丈夫だろうか。

数回のコールを鳴らした後、誰かが出る音がした。


<もしもし…。>
『もしもし、母さん?私だけど…、』
<アンタ…ッ、今まで何処で何してたの…!!何で一度も連絡寄越さないのよ…!?>
『ッ…!!そ、それにはごめんて…っ!実は、偶々逢った友達と飲む事になっちゃって、それで、友達ん家行って飲んでたんだけど、お互い酔っぱらっちゃって、気付いたら潰れてて…っ!ので、連絡が今になっちまいまして…本当、ご心配をお掛けしてすみません…っ!!』
<そういう事……っ。もう、凄く心配したのよ…!?何か遇ったんじゃないかって!椎名のトコに連絡しても来てないって言うし…っ!全然連絡繋がらないしっ!!本当心配したんだからね!?>
『だから、ごめんって…!!ちゃんと反省してるし、今度からは気を付けるから…っ!』


玄関先で、わたわたと焦ったように電話越しに謝る璃子。

僅かに漏れる電話越しの声から、かなりの心配をしていたのであろう親らしき声が聞こえてきた。

その様子を離れた処から見つめながら、彼女がちゃんとした生活を送っており、家族に愛されているのだという事を察した彼は、安堵した。


(アンタの事をちゃんと心配してくれる家族が居るのなら、一安心だな…。一人じゃないのなら、それで良い。)


一安心したところで、彼も出掛ける準備をし始め、鍵や自身の携帯を手に取る。

電話を終えたのであろう彼女も、部屋へと戻ってきた。


「電話は、もう良いのか…?」
『はい、もう済みました。姉へは、SNSの方に返事を返したので、大丈夫です。』
「そうか…。」


些か疲れたような顔をして、彼へと返事を返した璃子。

恐らく、電話越しにこっぴどく叱られたのだろう。

疲れた笑みを浮かべた後、溜め息を吐いていた。


「ところで…何で、さっき嘘を吐いたんだ?」
『え…?』
「さっき、電話越しに友人から飲みに誘われたとか、言っていただろう。どうして事実を言わなかったんだ…?」
『あ゙ー、それはですねぇ…。貧血で倒れたっていう事を抜きにしても、見知らぬ他人の、それも男性の家で寝泊まりしていたという事を知らせるのは、憚られたというか…。ただ単に、後から父に何言われるか解らないから、敢えて黙っておこうかな、と。ウチの父親、男関連の話題を出すとうるさいんですよ…。』
「…そういう事か…。(要は、箱入り娘…ってところか。)」


妙に納得出来る理由に、静かに頷きを返した廣光だった。

元より、持っていく荷物は少ない、準備と言えどもすぐに終わった。

彼女の方も、持っていた荷物は少なく、店で買った物を入れたエコバッグと鞄が一つだけである。

簡単に自身の支度を終えた廣光は、彼女に問うた。


「もう帰るんだろう…?」
『あ、はい。早いトコ、帰っておいた方が無難かと。これ以上、此処で長く居座るのも、ご迷惑かと思いますし。』
「まぁ、迷惑かはさておき、アンタが早く帰るに越した事はないだろうな…。家族が心配しているんだろう?」
『そうですね。これでも、一応成人はしてるんですけど。ウチの親は、心配性な上、少し過保護なところがあるので…っ。』


答えた璃子は、困ったように笑って言った。

確かに、幾ら連絡も無しに一晩帰らなかったと言えども、既に成人を終えた彼女は、立派な大人なのだ。

それ程心配せずとも良いように思えるのだが…まぁ、家庭の彼是は、他所様によってそれぞれであろう。

彼女が男ではなく女、という事もあるのだろう。

何時だって、何処の家庭であったって、娘は大事にされるものだ。


『あの、何か出掛ける準備らしい事されてるっぽかったですけど、これから何処かへ出掛けられるんですか?不躾だったら申し訳ないですけど…。』
「別に、帰るのなら送っていこうと思っただけだ…。バイクで悪いがな。」
『え…っ?今日も大学、あるんじゃないんですか?』
「今日の講義は休みだ。今日ある講義は、俺は取っていない。」
『あ、そうなんですか…。あれ…でも、昨日、私を此処までどうやって…?』
「歩いて運んできた。駅から家までは近いからな。徒歩で歩ける。」
『え……じゃ、何でバイク…。』
「昨日倒れたばかりの奴を、一人電車で帰らせるのは気が気じゃないんでね。送れる処まで送ってやるよ。」
『ええ…っ!?い、良いですよ、そんな…!!駅までで結構です…っ!』
「介抱しといて、ハイ終わりでまた倒れられたら、元も子もないんだがな…。だから、送っていく。アンタは素直に送られておけば良いだけだ。」


淡々と言葉を口にした彼は、必要な物はもう持ったと、窓の施錠やコンロの元栓を確認する。

彼が其処までしてくれる事に、未だ戸惑い気味の璃子はオロオロとして彼を見つめた。

何故、自分に対して其処まで親切にしてくれるのか。

意外だと思いつつも、素直に受け止められないのである。

彼女の支度も済んでいるのを確認した廣光は、彼女を促し、外へと出る。

鍵を掛けて、しっかりと閉まっている事を確認すると、ズボンのポケットへと鍵を仕舞った。

代わりに、バイクの鍵を出して、手に握る。

さあ出るか、と階段へ向かい、エントランスまで降りて駐輪場の方へ向かおうとしていると、思わぬ人物と出くわした。


「あれ…っ?伽羅ちゃん、今日は早いね!いつもなら、もうちょっとゆっくりしてるのに。珍しいね?今から何処かに出掛けるの…?」
「げ…ッ!光忠、何で此処に…っ!?」
「え?何でって…今日休みだから、遊びに行くついでに、朝御飯作ってあげようと思って。君、休みの日は、適当に御飯済まそうとするだろう?だから、材料買ってきて、今から向かおうと思ってたのだけど。」
「良い…っ!!朝飯なら、もう自分で済ませた!というか、そんな事一々やらなくて良いと何時も言っているだろうっ!?余計なお世話だ…っ!!」
「そんな事言われたって、心配なものは心配なんだもの…。君ってば、放っておいたら、すぐ一人で野垂れ死んじゃいそうだからね!……って、あれ…?後ろに誰か連れてる…?」
『ぁ………。』


遅れて気が付いたのだろう、彼がひょこりと廣光の背に居る彼女の事を覗いた。

そして、その背に居たのが女の子だと解り、目を見開く。

お知り合いだろうか、と黙って彼等の会話を聞き、空気を薄くして廣光の後ろ背に控えていた璃子は小さく反応する。

ある意味で驚いた彼は、思わず口許を押さえて、廣光の事を凝視した。


「か、伽羅ちゃんが…っ、女の子連れてる…!?」
「チ…ッ!(クソッ、厄介な奴に見付かった…!)」
「あ、あの馴れ合わないで一匹狼だった伽羅ちゃんが…!女の子連れてる…っ!!え!?どうしたの、君…!?ついに心境の変化が!?とうとう君にも春が来たのかい…っ!!?というか、今一緒に居るところを見ると、一緒に出てきたって事だよね…?一体全体、いつの間にそんな関係に!?嗚呼、こうしちゃ居られない…っ、早くお赤飯炊かなきゃ…ッ!!そして、鶴さんや貞ちゃんを呼んでパーティーしよう!!今日はお祝いだね、伽羅ちゃん…っ!!」
「ッ〜〜…!!っもう良い黙れ…!!何も言うなっ!!」


タイミングの悪い事に出逢ったが最後、色々と余計な事を暴露された廣光は、恥ずかしさのあまりに彼を殴りかかった。

だがしかし、元より廣光より体格の良い彼に、容易に受け止められてしまう。

そして、何故か、どうどうと宥められてしまうのだった。


「嗚呼、ごめんね伽羅ちゃんっ。あまりの衝撃に吃驚しちゃって、ついね?いやぁ〜、君にもついにその時が来たんだねぇ…っ!君が立派な男になってくれて嬉しいよ!!」
「ッ…、もう良いから、今すぐその口を閉じろ…っ。然もなくば、殺ス…!」
「はいはい、僕が悪かったよ。だから、照れないで?」
「殺ス…ッ!今すぐ殺ス…ッ!!」
「もう、落ち着きなよ〜。相変わらず、血の気が多いなぁ…っ。いざ殺しに掛かってきたとして、この僕に勝てると思ってるの?」
『………。(Oh……ッ。)』


突如始まった押し問答に、驚きを隠せない璃子はただただ呆然とソレを見遣った。

散々な言われ様である。

思わず、内心で彼の気持ちに同情するのであった。


「こんな彼だけど、どうか誤解しないでね?本当は、根は優しくて真面目な子なんだよ。あ、僕は長船光忠って言って、彼の古くからの友人、幼馴染みさ…!宜しくね!」
「おい…っ、何勝手に自己紹介なんかして…!」
「まさか、伽羅ちゃんに彼女が出来るだなんてねぇ〜…!いや、驚いたよ!こんな素敵で可愛い子が彼女だなんてね…っ!!」
『…、えっと…っ。』


マシンガントークである。

口を挟む隙が無く、ひたすらに困り果てていると、不意に、彼と視線が真っ直ぐ合わさった。


「それで、君の名前は…………っ。」


突如、言葉を閉ざした彼は、彼女を凝視して固まった。

その目は、明らかに先程よりも見開かれている。


「え…………っ、君……もしかして…、主かい………?」


場の思考が、一瞬で硬直した瞬間だった。


執筆日:2018.09.30