#33:気まずい会話



―まさか、こんな場所で奴等の仲間である男と逢ってしまうなんて…。

もしかして、もう私の正体がバレてしまったのか?

しかし、今は変装もしていない素の姿だ。

万が一、疑われたとしても誤魔化す事は可能だ…。


組織の人間、バーボンとの遭遇に驚きと焦りを禁じ得ない梨トは、目を瞠目させたまま硬直していた。

自分の正体がバレたか否かの思考が、この一瞬で駆け巡る。


「………あのー、大丈夫ですか?もしかして、驚かせてしまいましたか…?」


頭が混乱して何事も発せないでいると、少し困ったように眉尻を下げて言葉を発した色黒の男。


何故、組織の男であるコイツが此処に居るんだ?

探偵の仕事か、はたまた、その探偵であるが故の探求心か。

疑問は尽きないが、いつの間にか考え込み始めていた思考を振り払い、ハッとして立ち上がり、取り敢えず今の失態を取り繕うべく、呆然としていた事を詫びた。


『も、申し訳ございません…っ、突然背の高い男性の方から話しかけられた事に驚いてしまって…!あの、私にどういったご用件でしょうか…?』
「あ、やっぱり驚かせてしまってたんですね。突然声をかけてしまってすみません…っ。えっと、僕、この本の新刊を探してたんですが、何処にも見当たらなくて…。」


男は、先日任務で逢った時の雰囲気とは逸して、物腰柔らかい笑みを浮かべて、そう尋ねてきた。


『此方の小説ですね?只今、在庫の方を確認して参りますので、少々お時間を頂いても宜しいでしょうか?』
「はい、構いません。」
『では、彼方にてお掛けになってお待ちください。』


レジ脇にある相談カウンターの椅子へ案内し、急いで倉庫の鍵を借りて在庫を確認しに向かう。

隈なくしっかりと確認し、在庫にも無い事をチェックすると、梨トは足早に男の元へと戻った。


『大変お待たせ致しました…っ!只今、在庫の方を確認して参りましたところ、既に完売してしまっているようでして…誠に申し訳ございません。』
「そうですか…残念です。」
『現在、此方の商品は大変人気の作品となっておりまして、どの書店へ行かれても売り切れ続出しているシリーズ物となっているんです…。当店でも、つい数日前に入荷したばかりだったのですが、販売開始してからすぐにお客様が殺到した為、現在再入荷待ちのところでございます。せっかく来店してくださったのに、ご希望に添えず、申し訳ございません…っ。』
「いえ、大丈夫ですよ。また別の機会にでも来ますから。」
『もし、宜しければ…当店は、取り置きなども可能ですので、入荷してすぐにご連絡する事も出来ますが…如何なされますか?』


頭の中に入っているマニュアル通りの行程をサラサラと行う。

彼女の提案に、男は少し考えるような素振りを見せ、再び口を開いた。


「あの…もし、この近場に在る別の本屋に行っても無い、ですかね…?」
『そう、ですねぇ…。恐らく、何処の本屋も入荷待ちだと思いますので、他を当られても然して変わらないかと…。確か、このシリーズは、通販の方面でも注文が殺到しているらしくて、何処も在庫が間に合っていないそうです。』
「そうなんですか?だったら、この本の新刊を手に入れるのは先の事になりそうですね…。では、取り置きをお願いしても良いですかね?」
『はい…っ、畏まりました!では、恐れ入りますが、此方の用紙にお客様の氏名と住所、電話番号等をお書きください。此方の用紙が、商品お取り置きの専用用紙となっておりますので。』


サササッと用紙を用意し、書く為のペンも用意する。

男が手早く書き終えたところを、「有難うございます。それではお預かり致します。」と半ば事務的に返し、店員の仕事の一貫として、用紙に書かれた項目をチェックした。

用紙の氏名欄には、「安室透」との名前が記名されていた。

恐らく、彼…バーボンの偽名、表の顔での名前だろう。

それをしっかりと確認すると、笑顔で頷き、書き漏れが無い事を伝えた。


『それでは、商品が入荷されましたら、此方の番号宛てにご連絡を差し上げますので。それまで、此方のお客様控えの用紙を失くさないようにお持ちくださいませ。ご連絡が入りましたら、其方の控えをレジにてご提示ください。』
「はい、有難うございました。あの…失礼だったら申し訳ないんですけど、ぱっと見、随分仕事に慣れていらっしゃいますが、此処でのお仕事は長い方なんですか?」
『いえ…?私は、今年からアルバイトを始めたばかりの新人です。』
「そうだったんですかっ!?とても丁寧な対応で言葉遣いもきちんとされていたので、てっきり正社員の方かと…。」
『あはは…っ。お客様にそう思って頂けたなら、幸いです。お褒め頂き有難うございます。またのお越しをお待ちしておりますね。』
「はいっ。此方こそ、有難うございました。ご連絡お待ちしてますね。」


にっこりとした邪気の無い笑顔を浮かべて去っていった、バーボンこと安室透。

仕事が一段落付いた事で、深く息を吐いた梨トだった。


―数日後、取り置きしていた本が入荷されると、即時、彼に連絡を入れる。

すると、暫く経ってから、先日と同様に表の顔をした彼がやって来た。


『いらっしゃいませ、こんにちは。先日、お取り置き注文をされた安室様でお間違いないですか?』
「はい…!僕の事、覚えていてくださったんですね!」
『はい、何となく印象に残ってましたから。控えの用紙の方はお持ちですか?』
「はい、お願いします。」
『お取り置きしていた商品は、此方の商品でお間違えありませんか?』
「ええ、間違いありません。」


取り置きしていた物が合っているかの確認を取り、カバー掛けを頼まれたので、慣れた手付きで紙カバーを付ける。

手早く店のロゴが入った袋に梱包し、手渡した。


『有難うございました。またお越しくださいませ。』


そして、ペコリと頭を下げ、一礼する。

彼は、希望していた本が手に入る日をよっぽど待ち侘びていたようで、終始ご機嫌な様子で店を後にした。

その彼と入れ違いに、また彼女を悩ます人物の一人が現れ、レジへと並んだ。


『いらっしゃいませ、こんにちは…!』
「―…先程のお客さん、君の知り合いですか…?」
『え…っ?あ、お、沖矢さん…!?どうして此処に……っ。』


先程、あの男が去っていった方角を睨むようにして見つめたまま問う沖矢。

片手には、あの男が購入した物と同じ小説がある。

巷で人気を呼ぶ推理物のシリーズ本だが、そんなに面白いのか…。


「ああ、すみません。突然変な事を訊いて。今お見かけした方と、何やら親しげに話されていたようでしたので、てっきり知り合いなのかな?と思いまして。」
『いえ…つい先日、沖矢さんが今持ってる本を取り置き注文された方で、業務的に少し喋っただけですよ?』
「…そうですか。僕の知らない内に、悪い虫が付いてしまったのかと思いましたよ。梨トさんは、とても可愛らしい方ですからね。」
『何しに来たんですか…?本当…。』


逢って早々口説かれた事に呆れながらも、バイトとして仕事はこなす梨トなのであった。


執筆日:2016.08.28
加筆修正日:2020.05.15

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