#34:雨宿りとマフラー



飛んだ災難に見舞われた。

それもこれも、こんな寒空に似合わずな天候のせいだ。

つい先程まで晴れていた空は雲を見せ始め、次第に陽の光を隠していった。

別段、それは構わなかった。

元より、今日の天気は「晴れのち曇り」と予報されていたし、季節外れの台風の影響を受けて、強風又は暴風が吹くとも言っていたから、それも別に問題は無かった。

問題は、この雨だ。

「所によっては降るでしょう」とは聞いていたが、こんな暴風且つ叩き付けるような横殴りの雨なんて聞いていない。

いつも持ち歩いていた折り畳み傘など、ほんの気持ち程度しか意味を成さない。

背中から足元までびっしょり濡れ、おまけに、風は一方向だけでなく四方八方から吹くという無茶苦茶な吹き方のせいで雨を予定していなかった布地の靴はずぶ濡れだ。

おかげで、靴下の中までびっしょびしょである。


(本当マジで勘弁して欲しい…。私は、ただ大学が早く終わったからさっさと家に帰りたかっただけなのに…っ!)


ぼやいていたって仕方がない事は分かっている。

だが、ぼやきたくなるのも無理はない状況なのだ。

だから、こんなぐっしょりの濡れ鼠な姿で、盛大に一人ごちていてもスルーして欲しい。


『こんなに降るとか聞いてねぇよ!ドチクショーッ!!』


そう叫んだ声も、ドザァーッ!!と轟音を鳴らす雨音の前では無に等しく、無情にも掻き消されて虚無となった。

これは余りにも酷過ぎる雨だ。


(流石に、何処かに避難して雨宿りをした方が良さそうだな…。)


そう思ったが早いか、即行動に移した梨トは、丁度目の前に見えた雨宿り兼避難場所に成り得る洋館へ駆け込み、チャイムを鳴らした。

すると、インターホン口から若い男性の声が聞こえてきた。


<はい、どちら様でしょう…?>
『突然すみません…っ!此瀬です!少しの間だけ、雨宿りをさせてもらえないでしょうか?』
<梨トさん…?ちょっと待っていてくださいね。今、玄関の鍵を開けますから。>
『お願いします…っ。』


パタパタと門扉から玄関先まで駆けて行き、髪や衣服から雫を垂らしながらドアが開かれるのを待つ。


「どうも、こんにちは……って、凄いずぶ濡れじゃないですかっ!?」
『すみません…っ、突然押し掛けるような形で…!あの、タオルか何か貸して頂いても宜しいですか?』
「え、えぇ…っ。勿論、構いませんが…傘はお持ちにならなかったんですか?」
『折り畳みは持ってたんですが…この雨じゃ、ほとんど意味を成さないというか、風が強過ぎて……っ。』


ドアを開けて出迎えるついでに用意してくれたのだろうタオルを受け取り、髪から垂れる雫で濡れた顔を拭く。

しかし、顔を拭いたところで、全身びしょ濡れの状態では、家へ上がるにも上がれないだろう。

困った様子で取り敢えず雨雫を拭っていたら、様子を見兼ねた彼が心配した表情で申し出てきた。


「それとは別にもっと大きなタオルを持ってきましょう。ついでに、濡れたままの服では風邪を引いてしまいますから…僕の物で悪いのですが、梨トさんが着れそうな服をお貸しますので、それに着替えてください。脱衣所に案内しますから、どうぞ上がってください。廊下は濡れても後で拭けば良いので、お気になさらず。」
『何から何まですみません…っ、お気遣い感謝します。でも、流石に服まで借りるのは申し訳ないです…っ。』
「いえ、遠慮なさらずに……、ッ!?」


脱衣所へ案内する為、彼女の腕を取った彼は、彼女の酷く冷え切った肌に触れ驚きを露にした。


「かなり冷え切ってるじゃないですか…っ!」
『え…?あぁ、たぶん、かなり強い横殴りの雨でしたから…そのせいでしょう。そんなに驚く程冷え切ってましたか…?』
「これは、服を着替えるだけではダメそうですね…っ。急いで身体を温めないと、このままでは確実に風邪を引いてしまいます。服を着替える前に、先にシャワーを浴びてきてください。」
『え…っ?いや、何もそこまで大袈裟にしなくても…、』
「さぁ、早く…っ!」
『ええっ!?』


焦ったように背を押された梨トは、その勢いのまま浴室へと放り込まれる。

理解が追い付かないまま呆然と突っ立っていると、怒ったような表情で彼女を見た沖矢。


「梨トさんは女性なんですから、身体を冷やしてはいけませんよ。濡れた服は、脱いだらこの籠に入れておいてくれれば乾燥機にかけますので。代わりの服は、梨トさんが温まっている間に用意しておきますから。しっかり温まってから出てきてくださいね?」


そう矢継ぎ早に早口で述べた彼は、ピシャッと浴室の戸を閉めた。

いきなり態度を変えられた事に驚き、未だに呆然と突っ立っていると、流石に身体は冷え切っていて…。


『ふぁ…っ、くしゅん!っくしゅん!!ふぇっくしゅん…っ!!ゔぅ゙………っ。』


盛大にくしゃみを連発した。


(やば…っ、本気で寒くなってきた…。)


ずずず…っ、と鼻を啜り、すっかり身体が冷え切っていた事を自覚すると、急いで身体を温める為、シャワーの蛇口を捻った。

彼に言われた通り、暫くの間シャワーに掛かり、身体がしっかりと温まってから浴室を出る。

見ると、脱いだ時とは別の籠に、彼が用意したのだろう代わりの服が入っていた。

下着は、奇跡的にも濡れていなかったので、そのまま着用し、その上から彼より拝借した衣服を身に纏う。

上は少し大きい程度で済んだが、下は余りにもサイズが合わなかった為、元より所持していた変装用にと準備していたレギンスを穿く。

備えあれば憂い無しとは、まさにこういう事か…(違う)。

拝借したネックとセーターはダボダボとしていて大きめだったが、冷えていた身体には丁度良く、温かかった。


『……あの、服とシャワー、お借りしました…。ズボンは、サイズが大き過ぎたので、持っていた自分のレギンスを穿かせてもらいました。』
「ああ、梨トさん。しっかり温まれましたか?」
『はい…その、色々と有難うございます…。』
「いえいえ。これくらい、当然の事ですよ。本当は、お風呂を沸かした方がゆっくり浸かれて良かったのでしょうが…何しろ急だったもので。急ぎシャワーとなってしまい、申し訳ない…。お茶を用意しましたので、どうぞ温かい内にお召し上がりください。」


リビングへ行くと、先程とは打って変わって、いつも通りの優しげな彼が居た。

ソファーに腰を落ち着けると、淹れ立ての紅茶を渡され、口を付ける。

身体の芯から温まる温度で、思わず「ほぅ…っ、」と息を吐いた。


「落ち着きましたか…?」
『はい。色々とご迷惑を掛けてしまって…すみません。』
「良いんですよ。雨が弱まるまで、此処でゆっくりしていってください。」
『有難うございます…。』


自分の身を省みなかった事に反省しつつ、しょんぼりと紅茶を啜っていると…不意に彼が徐に口を開いた。


「……今の梨トさんを見ていると…不謹慎ながらも、何だかイケない気分になってきますね。」
『え……?』
「ああ、すみません、変な事を言ってしまって…っ。今更ながらに気付いたんですが…急遽僕の服をお貸しした事が、何だか彼シャツみたいになっていたので…思わず。元よりそんな意図は無かったのですが、偶然って怖いですねぇ?」
『…はぁ…。』


何を言い出すんだ、この人は…。

若干の呆れを浮かべながら、彼の方を見遣った。


「話は変わりますが…梨トさんが着ていた服は、かなり濡れていましたので、乾くまでもう少し時間が掛かるかと。」
『…そうですか。』
「まぁ、まだ雨は酷いですし。服が乾くまで、もう暫く温まっていってくださいね。」


にこりと微笑んだ沖矢。

状況がよく分からないが、彼の厚意を受け取りつつ、暫くはゆっくりと雨宿りさせて頂く事となった。


―十分に身体を温まらせてもらい、雨と風が弱まった頃合いを見て、帰宅する事を申し出た梨ト。

外に出たら、思ったよりも冷え込んでいて、それを察した彼が自分のマフラーを貸してくれると言う。

「風邪を引いてはいけませんからね。」と付け足されつつ、首に巻き付けられたマフラーは長めで温かい。

そして、微かに懐かしい匂いがふわりと香った。


(あれ…?この匂い……。)


鼻を掠めた懐かしい匂いに、思考が過去を辿ろうとする。

首に巻かれたマフラーを見つめたまま固まっていれば、彼は、身体が冷えない内にと帰宅を促した。


「お貸しした服と同様、其方のマフラーも後日一緒に返してくれれば良いので。…では、お気を付けて。」


珍しく、送る事も無かった彼。

変な気分である。

気になる点は幾つかあったものの、今は、マフラーから香った匂いに思考は傾くのだった。


執筆日:2016.09.19
加筆修正日:2020.05.15

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