ふと、月明かりが眩しくて目が覚めた。
薄ら目蓋を開くと、寝室であるこの部屋の大窓を開け放った先の窓枠に腰掛け寛ぐ彼の姿が在った。
まだ盛夏の七月に入ったばかりで涼しげな夜に相応しい軽装姿であった。
時の政府から発表されたデザインが一目で気に入ったからと、滅多に着飾らない彼によく似合う雰囲気だったから思わず即購入をしてしまった軽装であったが…私の予想は間違っていなかったようで、ばっちりと言える程にめちゃくちゃ似合っていた。
着流し代わりに着ているところから見ても、どうやら彼も満更ではなかったようである。
目論見が成功して嬉しい限りだ。
月明かりに照らされてゆったり涼む彼の姿に見惚れて、ゆるりと布団から起き上がると、気配に聡い彼は衣擦れの音などで気付いたのか、首だけを巡らせてその黄金色に輝く眼を此方に向けた。
「何だ、どうした…?まだ夜更けだぞ。」
『…うん、知ってる…。何か、射し込んでくる月明かりがちょっと眩しいかな…って思って、目が覚めただけ…。よく眠れなかっただとか、夢見が悪かったとかじゃないから安心してく〜ださぁい……。』
「あ…っ、悪ィ。眩しかったか…?」
『んん〜…っ、ちょっとだけだから大丈夫。あとは、何でか意識覚めちゃったから起きてきただけ…。たぬさんのせいではないから、安心して。』
「そうか…。なら、良かったぜ。」
そう安堵した様子の彼の手には、見覚えの無い煙管が握られていた。
何時そんな物を買ったのだろうか。
少なくとも、私が知らぬ処で買った物だろう。
何時から吸っていたのだろうか。
彼が修行へと行く前から閨は共にしている身だが、今まで一度となく喫煙している場など見た事が無かった。
故に、不躾な程にまでジ…ッと興味深げに見つめてしまったのだろう。
その真っ直ぐに注がれた視線に気付いた彼が、些か気まずげに事の顛末を話し始めた。
「…あ゙ーっ、別にアンタに隠そうとしてた訳じゃないんだぜ…?ただ、アンタは煙草とかの匂いは煙たいって言って嫌ってただろ…?だから、たぶんコイツも苦手だろうな、って思って…アンタが寝てる隙にちびっとだけ吸ってたんだ。コイツ吸い出したのも、つい最近で…修行で行った先でこういうの嗜んでた奴も何人か居てな。其れでふと懐かしくなっちまったんで、万屋に置いてあったのを買って試しに使ってみたんだよ。まぁ、元主だった奴等を真似てみただけさ。…アンタが嫌がんなら、今すぐ止める。」
『別に良いよ、気にしてないから…。其れに、個刃の密かな楽しみ奪ってまで自分の趣味趣向を押し付ける気は無いからねぇ〜。好きにして良いよ。』
「でも…アンタ、煙草の類い苦手だったろ?嫌じゃねーのか、匂いが付いたりすんの。」
『ん〜…匂いが付く事自体は別に苦手って程ではないなぁ。友達の家が親が吸ってる事とか多くて、その友達から私物を借りたりなんてした時は何時も煙草の匂いが染み付いてたし。もっと言うたら、レンタルショップで円盤借りたりした時なんかは、大抵ケースから凄ェ煙草の強い匂いがしてたよ。だから、匂い自体には慣れっていうか…匂いそのものに直接的苦手意識は無いかな。私の場合、間近で煙草吸ってる人の煙そのものが苦手なだけなんだと思う。ほら、火で物を燃やすと煙るじゃない…?アレが目や喉に刺激してくるのがちょっと駄目なんだと思う。』
「じゃあ、やっぱり尚更、今の俺からは離れといた方が良いんでねーの…?匂い、キツいだろ?普通の煙草と違うし。」
『いんにゃ?今、たぬさんが吸ってるヤツの匂いは平気っぽいから、全然そのままで居てくれて構わないよ。』
「無理しなくて良いんだからな…?」
『いやいや、別に無理してるとかじゃあないから…。純粋に平気だからそう言ってるんだってば。』
どうも、此れ迄の私の煙草への対応の仕方から信じ切れないようだ。
本当の事なんだけどなぁ…。
仕方なく、信じてもらう為の証明として、直に煙管を持つ手の方に鼻を寄せてクンクン、と匂いを嗅いでみせた。
すると、途端に煙管を持つ手を遠ざけた彼に苦笑が漏れ出る。
驚いたからって、何も其処まで慌てんでも良かろうに。
少なからず私を気遣ってくれての行為に、私は密かに嬉しく思った。
『ほら、平気だったでしょ…?本気で苦手だったら、演技でも私此処までしないよ?』
「…だからって、いきなり匂い直接嗅ごうとしてくんなよ…っ。コイツも立派な煙草なのは変わりねぇんだからさァ…。」
『もしかして、煙草が躰に悪いの気遣って言ってくれてんの…?だったら今更なんじゃない?窓開けてるとは言え、同じ一室に居るんだからさ。』
「ぅぐ…ッ、其れはそうかもしんねぇけども、だ……っ。やっぱり、アンタの目の前で吸うのだけは駄目だ…!アンタの健康害してまで吸いてぇもんでもねぇーしな。」
『ったく、頑固なんだから…。でも、その匂いすぐ消されんの勿体ないなぁ〜っ。私、その匂い好みだから。』
「は………っ?」
『今、たぬさんが吸ってる煙管の匂い、好きな匂いの類いだって言ったのー。何か、其れ…ちょっとしたお香みたいな感じだし、悪くない匂いだよね。』
先程よりは遠慮した距離から鼻をスンスン、と動かしてもう一度嗅いでみるが、やはり自分好みの匂いっぽいのは変わりなさそうだ。
私の意外な反応に毒気を抜かれたのか、溜め息を吐き出した彼は、より匂いを嗅ぎやすいように煙管から漂う煙を扇いで私の方へと送ってくれた。
しかし、やはり直接間近で嗅がれるのだけは避けたいらしいところが、何とも意地らしくて笑えてくる。
取り敢えずは、現状で満足する事にし、彼の手扇ぎで送られてきた香りを堪能する事にした。
『んふふ…っ、やっぱり良い匂いだなぁ〜、此れ…!煙草の匂いというよりは、お香とかそういう感じの類いって言われた方がしっくり来るかも…っ。何だか落ち着く匂いだなぁ〜…。』
「…あんま深く吸い込み過ぎんなよ…。匂いだけとは言え、躰に悪ィもんなんだからよ。」
『分かってるって…あんま吸い過ぎないようにする。けど、吸った後にたぬさんに染み付いた匂いは嗅ぎまくるかんね…!』
「何でだよ…っ!」
『え?好きな匂いで落ち着くから…?最近たぬさんから匂ってたお香みたいな匂いは、此れだったんだねぇ〜。いやぁ、気になってた事が一つ解決して満足満足…!』
此れ以上近くに居過ぎても彼が吸いづらいだろうと思って、一旦距離を置く。
すれば、不安要素が少し薄れたのか、彼は再び溜め息を吐くと吸うのを止めていた手を動かし、再び煙管を吸い始めた。
その様が何とも様になっていて、いっそ格好良過ぎるせいで唸りが出てしまう程に決まっていた。
『…ぐんぬぬぬぬ……ッ、』
「何だよ…急に唸り出したりなんかして。」
『ふぐぅ…ッ、今のたぬさんがめちゃくそ格好良過ぎるから困ってんだよチクショウ……!テライケメソ過ぎんだろお前ェよォ…ッ、直視出来ねぇじゃねーかどうしてくれる……!!もし、お前のイケメンさに目が潰れたら責任取ってくれよなァッッッ!!』
「意味が分かんねェーし、其れだけで目が潰れるかよ…。」
『あぅ…っ、ツッコミが何時もながらに冷めた感じで寂しいのですん………っ。』
格好良過ぎると褒めたのに、掠りもしてくれないどころか軽くスルーされてしょんぼりなう。
せめてもうちょい何かしらの反応が欲しかった。
少しだけしょんぼりとした様子を見せていると、ガリガリと頭を掻き上げた彼は私に向かって手を伸ばしてきて、私の頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でた。
たぶん、面と向かって言われたのが気恥ずかしくて照れたのだろう。
その証拠に、半ば押さえ付けられるように撫でられた手の隙間から彼の方を見遣れば、そっぽを向いた彼の頬と耳の一部が赤く染まっているのが見えた。
こういう事に関してはまだ素直じゃないんだから、可愛らしい。
彼の武骨で雑な撫で方に嬉しそうにニコニコしていたら、其れを指摘されてついにへらとやに下がった顔で受け答えてしまった。
『えへへ…っ、御免、つい嬉しくて顔に出ちゃった…。たぬさんの雑な感じの撫で方、私地味に好きなんだよなぁ。何かこう、如何にもたぬさん!って感じの扱いな気がしてさ〜…。丁寧に女らしく扱われるのも嬉しいけど、今まで通りちょっと雑な感じに扱われるのも純粋に嬉しいや…っ。変かもしんないけど、落ち着く気がするんだよにゃぁ〜…!』
「へーへー、そうかい。そりゃ、ありがとサンクス。」
『雑な返事だなぁ…ま、良いけどさ。取り敢えず、この煙管の匂いは気に入ったから、遠慮せず此れからも吸って良いからね?』
「わぁーったよ…。此れからはアンタが起きてる内も吸ってやる。…だが、寝る前だけだからな。其れ以外では俺も吸う気無ェから、頼まれても吸わねぇぞ。」
『うん。何も其処まで強要するつもりは無いから。自分の好きなタイミングで喫煙してくださいな。』
それぞれが納得する形で一度会話を終了させると、会話は途切れ、夜独特の静けさというものが私達を取り巻いた。
その静寂は心地好いものだったから、別段苦には思わなくて、落ち着く匂いが漂っている事も相俟って、再び眠気が思考を蕩けさせた。
冴えていた筈の頭はとっくに眠気を取り戻したように靄が掛かり始める。
途端にうつらうつらと舟を漕ぎ出す私は、何て単純な生き物か。
そうこう必死に眠気と戦っていると、再び眠くなったらしい私の様子を察したのか、彼から気遣わしげな声がかけられた。
「アンタ眠ィんだろ…?無理しねぇでさっさと寝ちまえよ。俺ももうすぐ寝るからさァ。」
『…ん゙ん〜っ、でもまだ起きてたい気分……っ。』
「元々寝入ってたとこ起こしちまったんだから寝て良いんだよ。煙管なら、また明日の夜アンタが寝る前に吸ってやるから。今日のところはもう寝ちまえって…。明日も早いんだろ?」
『ゔぅ゙〜…っ、でもやっぱりまだ堪能してたいんですぅ〜……ッ。』
「そんなに此れ気に入ったのかよ…。」
『だって…、たぬさんにしては珍しい物持ってたから…気になってぇ〜………っ。』
「良いから、アンタはさっさと布団に戻って寝ろ…ッ。」
『ん゙ぎぃ〜…っ、嫌だぁ…まだ寝たくないぃ〜……っ、寝るならせめてたぬさんと一緒が良いですぅ〜………ッ。』
「本当しょうがねぇ奴だなァ、アンタは…。」
呆れて物も言えない程に愛想尽かされてしまっただろうか。
流石に、今のは調子こき過ぎてしまっただろうか。
不安になってしまった途端に口数少なくなってしまう私に気付いてか否か、彼は煙管を脇に置くと窓枠から腰を上げ、足元で蹲っていた私へと近付く。
近付いて何をするのかと思い顔を上げれば、顎を掬われてそのまま口付けられたのだった。
軽く舌を交わらされて、少しだけの接吻はすぐに離された。
彼の唾液に混じって香った後味が、恐らくきっと先程まで口にしていた煙管の味だろう。
匂いと同じで、悪くはないものだった。
煙草独特の、ちょっと苦味のある感じだけれども。
その軽い接吻だけにすっかり意識を奪われてしまった私は、一瞬で惚けた面を晒した。
『………にゃ…、な…で、いきなりキスしてきたの……っ?』
「ぁあ?そりゃあ、アンタが物欲しそうな目で見てきたからだろ…。」
『ぇ………私、別に物欲しそうな目でなんて見てない……、』
「ごちゃごちゃうるせェー事抜かすなら、もういっぺんその口塞ぐぞ。」
『や…だから、私物欲しそうになんて見たりしてな……ッ、ンむッ。』
またしても、いきなり油断してるところを唇を攫われてしまった。
今度は先程よりも深くて、濃厚な口付けだった。
既に先程の接吻で蕩けていた思考はものの見事奪われ、呼吸さえも奪われる。
深く口付けられた事で、より一層強く感じる彼の纏う匂いにクラクラと酔ってしまう程だった。
文字通り骨抜きの腰砕きにされた後は、お決まりの流れで、ご丁寧にも布団の上へと運ばれて、その後は敢えて語らずとも分かる事であった。
煙管の匂いを纏った彼は、格好も相俟って普段に無い色気を放っていて中てられてしまったのだと、素直に白状するとしよう。
其れで彼が納得し満足するかは、別の話であるが。
執筆日:2020.07.03
【後書き】
希望テーマに「煙草」を選んだ理由に、何時も見てる私の好きな某声優さんがゲーム実況動画内にて「煙草にもお香みたいに良い匂いの物があって良いよね〜。」的な事を仰られていた事がきっかけになります。
私の周りで喫煙している人は居らず、私自身も煙草の煙たい匂いが苦手で喫煙はしていなかったので、初めて知った知識でした。テーマの概要欄にも書いてあった事なのですが、「煙草」というキーワードには憧れみたいなものを抱きますよね…!決して自分は吸いませんけども(笑)。
ただ純粋に格好良いなぁ〜、と思うのだけは許されるかと。今回は、そんな思いも込めて書いてみました。
後書きを締め括るにあたりまして、素敵な企画を用意してくださった左上様・鈴木様には、大変感謝致します。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。
この度は、素晴らしき企画にて私の稚作な作品を並べてくださり、誠に有難うございました。
※尚、当作品のタイトルは、企画サイト様指定のものをそのまま使用させて頂きました。
希望テーマに「煙草」を選んだ理由に、何時も見てる私の好きな某声優さんがゲーム実況動画内にて「煙草にもお香みたいに良い匂いの物があって良いよね〜。」的な事を仰られていた事がきっかけになります。
私の周りで喫煙している人は居らず、私自身も煙草の煙たい匂いが苦手で喫煙はしていなかったので、初めて知った知識でした。テーマの概要欄にも書いてあった事なのですが、「煙草」というキーワードには憧れみたいなものを抱きますよね…!決して自分は吸いませんけども(笑)。
ただ純粋に格好良いなぁ〜、と思うのだけは許されるかと。今回は、そんな思いも込めて書いてみました。
後書きを締め括るにあたりまして、素敵な企画を用意してくださった左上様・鈴木様には、大変感謝致します。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。
この度は、素晴らしき企画にて私の稚作な作品を並べてくださり、誠に有難うございました。
※尚、当作品のタイトルは、企画サイト様指定のものをそのまま使用させて頂きました。
