夜更かし



今日は、何だか眠れる気がしなくて、何となく起きていたいな…と思っていた。


―彼が、嘗て父と縁のある人物で、実は変装していた姿だったであると知ったのは、つい先日。

前々から怪しい男だと思っていたら、まさかのFBIの人間だったとは…。

母に関しても、表舞台から退いたにも関わらず、影ながら彼等をバックアップしていたという事実をその時知らされた。

全く、私の周りは騒がしく、秘密主義な輩が多いものだ。

まぁ、それは置いといて…。

彼、沖矢昴が赤井秀一だと分かってからは、母の居たFBIの人間という事もあり、身内も同然な気がして、彼の住まう仮宿の工藤邸へよく足を運ぶようになった。

奴等…黒ずくめの組織から、なるべく接触を逃れる為、隠れ宿として、この工藤邸にお邪魔している今日この頃。

最近では、探偵業も生業としている組織の人間、バーボンこと安室透にも自宅を探り当てられてしまっている為、身を隠すには丁度良い場所だ。

何気に居心地も良いので、今日みたいな日には、まさに打って付けなのである。

中身があの人なのに、意外にも紳士的(沖矢昴としてそう演じているのかもしれないが)で、作る料理は絶品ときた。

特に理由が無くとも居座りたくなる環境が揃い過ぎているだろう。

そんな感じの理由で、夕方からずっと居座り、夕飯もご馳走になり、更には泊まり込みもOKされた。

彼曰く、“夜分遅くに女性を一人歩きさせるのは危険ですから”らしい。

別に、格闘術も扱える私にとっては、大した事ではないんだが。

仮にも黒ずくめの一員をやっているのだから、特に心配をされるような事は無い。

…が、彼の側に居れば、身の安全は保障されるので、何も言わないでおく。


「もうすぐ日付変わりますけど…寝ないんですか?」
『んー…。あともう少ししたら、寝ます。』
「…そうですか。」


先程まで、お酒の入ったグラスを傾けながら本を読んでいた彼から声をかけられた。

この家で変装を解いていない限りは、彼は沖矢昴という人である。

口調や物腰も柔らかで、接しやすいといえば接しやすい方だ。


(別に、催促しなくても…もう子供じゃないんだし。)


二十歳手前の未成年とはいえ、もう大学二年生の女性なのだ。

あまり子供のような扱いはして欲しくないところだ。

まぁ、本来の彼であれば、弟と妹を持つ兄的存在なので…そういう発言をしてしまう気持ちは分からんでもない。

現に、本当の“弟”ではないにしろ、一応、私も姉の立場にあるのだし。

私は、リビングの一人座り用のソファーに座って、パソコンに齧り付いたまま、後ろを振り返る事もなくディスプレイを見つめる。

背後では、彼…沖矢昴が動く気配がする。

あっちへ行ったかと思いきや、向こうへ行ったり。

ご飯を食べた後、入浴や歯磨きも済ませているので、もしこのまま寝落ちしたとしても、別段問題は無い。

なので、催促を受けた後も、特にアクションを起こさないままでいた。

すると、再び就寝の催促に来た彼が、少し離れた位置から声をかけてきた。


「あの…まだ寝ないんですか?日付、とっくに変わってますけど…。」
『はぁーい…っ。今、寝まぁーす。』
「明日も時間は早いのでは…?学生なら、あまり遅くまでの夜更かしは感心しませんよ…?」
『分かってますよぉ…。これ、見終わったら寝ますんで。』
「そんな感じでさっきからずっと返事してますけど…寝る気配全く無いじゃないですか。」
『貴方は私の母さんか。』
「いえ…どちらかと言えば、兄…のような立場ではないでしょうか?いつ、何処に居ても目が離せませんからね。」
『………。(それって、嫌味なのか…?)』


ツーンとした態度を取り続けていると、諦めたのか…寝室の方へ去って行く足音が聞こえた。

少しして、また戻ってくると…。


「僕はもう寝ますが…、まだ寝ないつもりですか?」
『あー……っ、あの…ホント、あともうちょっとなので…。』
「はぁ…。その動画を見終えたら、ちゃんと寝てくださいよ?睡眠を取らないと身体に悪いですから。」
『はぁーい、分かってまぁーす…っ。』
「…本当に分かってるんですかね?…まぁ、僕はもう寝ますので。おやすみなさい。」
『おやすみなさぁ〜い…。』


最後の催促だろう言葉を残して、本当に就寝に就いた昴さん。

あれから、見ていた動画を見終えたが、何だかまだ寝る気にはなれず。

適当にパソコンを弄り倒して、別のサイトを開いて眺めていた。

部屋は軽く明かりを落として、彼の睡眠の邪魔にならないよう配慮しておく。


―数刻経っただろうか…。

流石に、そろそろ眠くなってきたなぁ〜と、欠伸を噛み殺していると。

背後で何やら不穏な空気を察し、ビクゥッ!と思い切り肩を跳ねさせた。

ゆっくりとぎこちない動きで背後を振り返れば、明らかに不機嫌な空気を纏わせて怪しく眼鏡を光らせる彼が居た。


『ッ…!?す、昴さん…っ?ど、どうしたんです…?あ、トイレですか?それとも、喉が渇いたから水を飲みに来たとか…っ?』


引き攣る顔を何とかしながら、当たり障りのない言葉を選んで話しかける。


「……………。」


しかし、彼から返ってくるのは、ひたすらの無言。

その沈黙と見つめてくる眼鏡の反射が地味に痛く、ちろ〜ん…と視線を外そうとした。

その瞬間、耳に届いたのは、いつも聞くものよりも数倍低い声だった。


「………僕は、一時間程前にも、君に早く寝るよう忠告した筈ですが…?」
『ぅ゙…っ!す、すみません………っ。』
「あの時、君は、もうすぐ寝るからと言って返事を返してきたのに…。まだ寝ていらっしゃらなかったんですね…?」


視線を外したら外したで、今度は恐怖から彼の方を見る事が出来なくなり、必要最低限の対処として俯く事しか出来ない。

どんなお叱りを受けるのか、怖くなって目を瞑り、次の言葉を待った。

聞こえてきたのは、彼の深い溜め息。

流石に呆れられてしまったかな…、と不安に思い、謝ろうかと考えていると。


「……全く、」


不意に鳴った、ピッ、という小さな機械音。


「―悪い子だ。」


その後に発せられたのは、昴さんのものではない方の声。

呟かれた言葉の意味に、「え…っ?」と顔を上げかけるが、その前に伸びてきた彼の手が私の膝の裏と背中へと回った。

そして、気が付いた時には、目前に映る彼の鎖骨と寝間着代わりの黒いYシャツ。


『え…っ!?ちょ…っ、昴さん………ッ!?』


慌てて身を引こうも、私の身体は既に彼の腕の中である。

咄嗟に、降ろしてくれと藻掻き暴れるが、伊達に鍛えられちゃいない男の力。

当然、敵う筈などなく…。

呆気なく押さえ込まれた私は、微妙な距離感で顔を引き攣らせていた。


『…あの、昴さん…っ?何処に連れて行く気なんです…!?』
「勿論、君が寝るべき寝室の方だが?」
『そっ、それなら自分で歩けますから!お、おお降ろしてください…っ!!わざわざ抱えて連れていかなくても大丈夫ですからぁ……っ!!』
「すまないが、その希望は断らせてもらおう。幾ら言っても言う事を聞かなかった君が悪い。」
『ぇ゙え゙っ!?いやいや、何で断るんですか!!訳が分かりませんよっ!?…ってか、昴さん本性出てますって…!!』


ジタバタと再び身を捩るが、意味は成さず、いつの間にやら着いていた寝室のドアの前。

昴さんの姿をした赤井さんは、乱暴にもそれを足で蹴り開け、中へと入っていく。

そんな彼の行動に、些かまだ不機嫌なのかと不安になる。

しかし、見た目とのギャップが激し過ぎるだろう。


『ちょ…っ、昴さん、開け方乱暴……って、おわぁっっっ!?』


ドアの開け方に抗議していると、突然、何の前触れもなくベッドへと放り投げられた。

思わず出た声は全くと言って良い程女子力が無かったが、スルーしよう。


―というか…こちとらか弱い女性なんだから、もう少し丁重に扱ってもらえませんかね…ッ!!


そんな意味も込めて睨み返したが、赤井さんは何処吹く風。


『扱いが雑だなぁ、もう…。って、あれ…此処、私が割り振られた部屋じゃないですよ?』
「当然だろう?此処は俺が使わせてもらっている寝室の部屋だ。」
『………は?』
「君があまりにも言う事を聞かないのでな。無理矢理にでも寝かし付けようかと思って此処に連れてきた。」
『いやいやいや…っ、可笑しいでしょう!?何で赤井さんと寝なくちゃいけないんです!?』
「今は沖矢昴のままだ。」
『なら、口調と声を戻してくださいよ…!!違和感半端ないです!!』
「―…これは、配慮が至らず申し訳ございません。」


昴さんの姿で赤井さんの声に口調とは、違和感が有り過ぎて居心地が悪い。

思い切って指摘してやると、律儀にも彼は声と口調を戻してくれた。

案外、彼自身が優しいのか…。

放り投げられて微妙な体勢になっていた私は、楽な姿勢を取り直し、軽く上体を起こして彼を見上げる。

眼鏡を直す彼と視線が合って、若干気まずくなる。

さて、この場をどうしようものかと考えていれば、唐突に自身へ覆い被さってきた昴さん。


『…って、何やってるんですか!!?』
「え…?何って、僕も眠りたいんですが…。」
『だからって、何で私に覆い被さるんですか…!一人で寝てくださいよ!!』
「あぁ…、すみません。どうも眠気がピークに来てまして…。」
『そんなところは可愛いですけど…、っじゃなくて!!退いてください…っ!』


彼が覆い被さってきた為に、背中はベッドに付いてしまい、中途半端な体勢である。

その上、彼が真上に居るせいで身動きが取れない。


「何だか、もう面倒なので…このまま寝ますね……。」
『は?』
「昨夜は徹夜気味でしたので、凄く眠いんです…おやすみなさい。」


カチャリ、と外した眼鏡をベッドサイドに置かれたテーブルへ置く。

そのまま私を抱き込んだかと思うと、巻き込みも良いところで…。


『………ち、ちょちょちょちょっとぉ…ッッッ!?私は抱き枕じゃないですよ、赤井さぁああんっっっ!!』


両目を閉じた彼の胸板を叩き、起きろ離せと叫んでいると、片目を開いた彼に、頭を胸に押し付けられて「うるさい。」と一言。

いやいや、“うるさい”で済ませられるかい!?

「むーっ!!むぅーっ!!」と抗議の声を上げるも、くぐもった音しか出せず、返ってくる返事も無い。


(え…?これがアメリカンスタイルなの…?訳わかめ。意味不。謎だらけぇ〜っ!)


暫くの間、もごもごと身動ぎしていたが、次第に静かになっていく部屋。


―うぅ…っ、煙草臭いけど…でも、何でか落ち着く匂いだ…。

何処か懐かしい温もりで、昔が恋しくなるような…そんな感じ。

しょうがないから、今日だけですよ…?


もそもそと楽な姿勢になると、そのまま彼に寄り添って寝入る。


―翌日、案の定寝坊をした私は、講義に遅刻した。

くそぅ…っ、先に起きてた癖に起こしもしなかったな?あの人ぉ…っ!!

急いで出掛ける際に見た彼は、完全に我関せずといった様子で悠然と珈琲を飲んで寛いでいた。


執筆日:2016.06.21
加筆修正日:2020.05.15

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