互いに譲れぬもの
「主ってさ、案外惚れっぽいとこあるよね」
「黙らっしゃい」
「んでもって、一度惚れた相手には一途だったりするとか、意地らしくて可愛いよね」
「“Shut Up”て言うてんのが聞こえんのか? もう一度だけ言うぞ。今すぐその減らず口を閉じろ」
「照れて恥ずかしくなった途端に塩対応になるとこ、本当すこだわ〜。彼奴相手なら普通に効くから、試しに当たって砕けてみたら? 絶対落ちるから」
「大きなお世話じゃい」
唐突に始まった言葉の応酬。片やお仕事中、片や其れを手伝いながら見守り中な関係の図。近侍の男は机に片肘付いた状態で真向かいの審神者を見ていた。一方、審神者は書類捌きに齧り付いたままで全く彼の方を見ないというスタイルであった。最早、気心知れた仲であるから故の雑な応対の仕方である。まぁ、仕事が忙しい時にはよく見る光景でもある。
言葉の応酬はまだ続いていたのか、間髪入れぬタイミングで反発の声が返ってきた。
「何でさ。此れでも俺、応援してんのよ? 斎藤さんの刀なら気心知れた仲だし、信頼は厚い。だから、仮に主を任せるってなっても許せるかなって」
「気が早いっての清光や……まだそんなところまでも進んどらんぞ?」
此処で漸く書面から顔を上げて相手の顔を見るという対応に出た審神者。しかし、その顔付きは大層呆れたものであった。だが、名を呼ばれた近侍は構わず敢えて話を続ける。
「敢えてたたら踏んで進めてないの間違いでしょ? 主ってば、そういう事関連だけは奥手だもんねぇ〜。なぁんか、彼奴にやるの勿体無い気がしてきたなぁ……っ」
「別に俺は誰の嫁にも貰われに行く予定は一切御座いませんがね」
「えぇっ、やだよ。俺、今ある一生の内に主の白無垢姿見たいのに……っ」
「花嫁姿ってだけ言われんならまだしも、其処は白無垢で確定なんかいな……」
「ウェディングドレスのが良いって言うなら、主の為に最高の一着を用意するよ! 俺的には、先に白無垢着てもらった後のお色直しにドレスが良いけど」
「もう其処まで考えてんのかい。気が早いこって」
大した内容ではないと区切りを付けたのか、此処で再び手元へと視線を戻した審神者。しかし、彼より始まった会話はまだ終わる事は無かったのである。その証拠に、また間髪入れずのタイミングで口を開いた彼から反発の声が上がった。
「そりゃ当たり前でしょ? 俺と出会った時から、主は結婚適齢期のお嬢さんだったんだから……っ。初期刀として、其れくらいの甲斐性はありたいよ」
言葉尻へ行くにつれ、唇を尖らせて拗ねた風な声音で言ったのが分かる声だった。端的に言えば、分かりやすいとも言える。
自分の仕事は一足早く片付いてしまったからか、暇潰しに思い付きで始めた会話を投げたらしい。手が空いているのを隠そうともしない彼に向かって、処理の終わった書類を手渡すついでに真向かいに居る彼の方を見た。そして、つっけんどんな態度で「ハイ此れ、処理済みの書類」と突き付ける。分かりやすく言えば、此方の処理が済んだから漏れが無いかチェックしてくれの意である。面倒臭い会話を終わらす切っ掛けにしてやろうと寄越した、
だが、別に其処まで会話に乗り気という訳でないにしろ、言葉の応酬を続ける余裕くらいはあるとの意思で一応返事を返した。完全に拗ねられると後が面倒であると知っているからだ。何せ、付き合いの長さで言えば、弊本丸が始まった時より共に肩を並べて成長してきた仲なのだ。知れずといった対応でもあった。
「仮に、コスプレ紛いのテンションでフォトジェニック撮るだけって話なら乗ってやらん事もないけど。別に結婚願望なんざ無いからなぁ……色々と面倒な事が付き纏うの嫌だし」
彼も彼で素直に応じてくれる事を嬉しく思っているのか、顔にこそ出さなかったものの、自身の顔に向かって突き出された書類を受け取りつつ言葉を返す。
「其れは対人間だった場合のケースでしょ。主は審神者なんだから、相手を人限定に決める必要なんて無いじゃん? 主ったら、変な時に頑固だよね。もうちょい女の子としての幸せ求めても良いんじゃないの?」
「現実見てると、そうも行かなくなってくんのよ。恋愛感覚が枯れてくるとでも言えば良いのかしら」
わざとらしく困った婦人ぽくポージングを決めて零せば、返ってきた台詞の後半に反応して大袈裟なまでのリアクションを返してくれた。恐らく、即反応という程驚いたと同時に軽く引いた上での対応の仕方でもあったと見た。
「ちょっと! 主まだ三十路手前の若さでしょ!? そんな年若くから枯れててどうすんの!!? 幾ら何でも早過ぎるから……ッ!!」
「――何が早過ぎるって……?」
噂をすれば何とやら。直接名前は出していないものの、察した如くのタイミングでひょっこり顔を覗かせた某刀。その顔触れに、今程見たくはなかったとぶすくれ顔を引っ提げた我が初期刀は口をへの字にひん曲げた。
こら、いきなり何の事情も知らない刀に向かってそんな顔しないの。端的に言って失礼だよ。
そんな意を含んでの視線を一瞥投げて寄越す事で咎めとするも、主を取られる事が嫌なのか、不機嫌な様を隠そうともせずに不遜な態度を取る。其れに対し、何の覚えも無い彼は不思議そうな顔で首を傾げた。
「何だ何だ、出会い頭にその顔はどうした? 覚えは一つも無いが、俺がアンタにそうさせる程の事を何かしたかね?」
「べっつにー……っ」
「孫六さん、ウチの清光がすまなんだやで……っ。今、清光は俺の所為で少々臍を曲げとってね。其れでちょいとばかし機嫌が悪いんだわ。ので、初期刀に代わりまして俺が謝りますわ。ほんま御免やで。どうか気を悪うせんといてな?」
「いや、然程気にしていないから良いんだが……わざわざ主人が代わりに謝る事もなかろうに……」
「そうだよ。主のお人好し……っ」
「ははっ……まぁ、お前を拗ねさせたのは俺だし。関係の無い孫六さんまで気分を悪くさせちゃあ其れこそ悪いだろ? だからだよ。単に持ち主としての責任を取ったまでさね」
「完全に関係無くはないんじゃないの……?」
「こらこら、清光や。其れは今口にするべきでないだろう? 良い子なら余計な口は挟むんじゃないよ。物事には何事もタイミングというものがあるだろう? 其れを誤るんじゃないよ。俺の事は俺が決める事だ。……余計な真似はすんなよ」
分かりやすく目を眇めて重ね重ね言い含めれば、効いたのか、見るからにシュンとした顔で渋々“分かった”との返事をくれた。一方、何となく空気の流れや言葉の流れで自身が口を挟む事では無いのだと察した孫六は、大人しく口を噤んで、審神者部屋へと訪れた目的として厨組から頼まれた差し入れを渡す仕事を終えるなりさっさとその場を後にするのであった。
その後、夜も更けた宵の刻。
秋らしくなってきたこのところ、少々肌寒くなってきたと寝に戻りに厠からの道をゆるりと歩いていると。前方に両手に酒瓶とお猪口を手にした男が立ち塞がっている事に気付いた。意図が掴めず小首を傾げれば、男は不機嫌面で酒瓶を目の前に突き出して言った。
「酒盛りするから付き合え。拒否権は無しな」
「酒は好きだし誘われれば断りはしないが……どういう風の吹き回しだ? 昼間はあんなにつっけんどんな態度を取ってた癖に」
「うるせぇ。文句なら酒飲みながら聞くから。兎に角付き合え」
「ハイハイ、そういう事ならご相伴に預かるとしますかね」
その男は、弊本丸においての最古参刀であり初期刀様であった。
――酒盛りを始めるや否や、早くも酔いが回ったのか。初期刀様はポツポツと語り出した。
「俺さぁ……主には本当の本当に幸せになって欲しい訳……。あの人、審神者になる前から苦労多くて、審神者なってからも苦労ばっかで自死を選ぼうとしたくらいだからさ……放っとけないんだよね。いつも何かと強がってひた隠しにしてるけど。俺達には比較的心開いてる方だから、割りかし素直なんだよね。だから、余計に心配になるんだけど……」
「成程……初期刀様は、俺達の知らぬところで主人の事で思い悩んでいたという訳か」
「大事だからこそ、あの人には幸せになって欲しい……。だって、自ら死を選ぼうとするなんて、余程の覚悟が無きゃ出来ないでしょ? 其れを、あの人は本気で考えて、実行に移そうとしたんだから……初期刀として支えてきた身としちゃ堪んないでしょ」
「ん? ちょっと待て待て……ッ、そんな重要な話初耳だし、何か今サラッとぶちまけられたが聞き捨てならん事を言われた気がしたぞ!?」
「だって言ってなかったもん。今初めて話したんだから……」
「なんたってまたそんな話を今しようと思ったんだ……?」
「……強いて言うなら、主の為かな……。あの人、言いたくない事はとことん隠すし。本当は言いたくても言い出せずに引っ込めたままでいる事多いから……。ウチの主はさ、繊細な心の持ち主なんだ。その所為で、些細な事で傷付いてきた事なんてザラにある……。でも、あの人、変に我慢する事に慣れ切っちゃってるからさ。口に出そうともしないんだ。言ったら、その場の空気を悪くするだとか、お互いに気分悪くなるだろうからって……自分の事よりも周りを優先してばっか。最終的に大事なのは自分の身だろうに、主ったら
抑え切れなかったのであろう粒の涙をぼろぼろと溢して机に伏せる彼の後頭部を、何とも言えない目で見つめる。絡み酒かと思いきや泣き上戸だったか……。
孫六兼元は明後日の方角を見上げながらぐい呑みを呷った。今宵の酒は、些か辛味が強めかもしれない。キレ味のある純米酒が喉を焼いてヒリヒリとする。度数が幾らするかなどは一度も確認していないが、此れは其れなりの高さを誇る酒なのだろうと思った。ついでに、お値段的にも其れなりにするのであろう事は、舌に触れた味で分かった。其れを、自分なんかの新刃風情と飲み分けようなんて言うのだから、どういう風の吹き回しかと思えば、酒が回るなりクダを巻き始めた辺りで察した。
どうも、この初期刀様は、新刃だからこその自分と飲みながら語り合いたかったらしい。同じ縁を持つが故に、らしいと言えばらしい振る舞いだった。まさか、酒の肴となる話題が
酒の辛味を舐めながら、隣の男の口から挙がった人物を思い浮かべた。普段の様からなら思いもしない、“自死”だなんて言葉。其れを未遂とまで遣り抜こうとした覚悟とは、一体何があったのか。推し量らずとも、察して知るべきだ。あの清らかで清々しい程の竹を割ったようなさっぱりさの何処にそんな重苦しい陰を隠していたのやら……。
そういえば、以前言葉を交わした際に“自己評価が低い”との事を自ら漏らしていたが、其れが所以しての事だろうか。だったなら、此方も迂闊な口を利いた自覚がある分、気まずい思いはある。もっと思慮深く接するべきであったと、今更ながらに反省した。自戒したところで後の祭りだが、しないよりはマシというもの。兎にも角にも、今後彼女と言葉を交わす際は細心を払って物を言うようにしよう。そうしよう。
また
「……一つ訊いても良いかい?」
「……何」
「何で、その話を俺に……?」
「……アンタには、知っておいてもらいたかったから……迷惑だったなら、悪かったけど」
「迷惑だなんてひとっつも思っちゃいないさ。だが、わざわざ俺なんか相手に酒片手にして話す話でもないだろう。何か悩み事があるってんなら話くらい聞くが……?」
「なら……今生のお願い、主の事嫁に貰ってやってくんない?」
「ブッフォッッッ!!」
予想だにしない斜め上からの返答に思わず盛大に吹き出してしまった。良い酒なのに、勿体無い事をした。其れは兎も角、今奴は何と言った……?
自身の耳を疑って酷く噎せ込んで涙目となった顔を隣へと向ける。すると、奴自身も涙と鼻水でベショベショになった顔を向けて此方を見ていた。顔は酷い有り様だが、その目だけは真面目で真剣な眼差しである事を認めて、居住まいを正した。そうして、改めて問う。
「――ゲホッ! ……そいつぁ何でまた? 俺なんか相手でなくとも、この本丸には数多の御刀様で溢れてるだろう。本丸に来たばっかりだって輩相手に頼むにゃ、ちっとばかしお門違いでねぇーかい?」
「いんや……アンタ相手で間違ってないよ……。だって、主が惚れてるの、アンタだもん……っ」
「――へっ……? 嘘だろう……??」
これまた我が耳を疑う言葉が飛び出してきたもんだ。
――主人が俺に懸想している、だと……?? そんな事があって良いものなのか。
主人の愛刀でもある初期刀様を目の前にダラダラと大量の冷や汗を垂れ流し始める。やばい。何がやばいって、そりゃあ推して察するべきだろう……! たかが来たばかりの新刃も良いところのペーペーが請けて良い話では無さ過ぎる! まだ本丸に顕現してひとつき足らずだぞ!? どう考えても蝶よ花よと数多の刀共に愛され可愛がられてきたであろう女を身請けても良い相手ではない!! 仮にそんな話を安々と請けてみろ、皆の耳に入った矢先に先輩方のお怒りを買って末恐ろしい事になるのが見え見えである。想像だに難くない未来に身震いをして全力拒否の返事を返そうと身構えた。
――が、その一歩手前で初期刀様であるあの加州清光が真摯な態度で腰を折って頭を下げるのが目に入った。
「アンタからしたら、何もかも全ていきなりの事過ぎて驚きしかないよね……っ。でも、この願いはマジな話でのお願いだから……一度くらいは考えてみて欲しい。初期刀である俺からの今生一度きりのお願いだ」
「最早驚きしか出て来なくて二の次を継ぐ言葉すら出て来んが…………?? その、酒に酔った勢いでの戯言とかではない、んだよなぁ……?」
「は? 俺がそんな簡単に酒に呑まれるそこら辺の雑魚とでも思ってんの? だとしたら、その考え大間違いだから訂正しといてやるけど……俺、初期刀としての務めあるから、こう見えて結構酒強いよ。……まぁ、周りが酒豪だらけだったから強くならざるを得なかっただけだけど。ウチの主は下戸で飲めないってのに酔っ払った勢いで飲まそうとしてくる低俗な輩が定期で湧くからさぁ。其れ防ぐ為に飲んでたら、いつの間にか耐性付いて強くなってたんだよねぇ〜。だから、ちょっと強いくらいの酒一杯や二杯引っ掛けたところで酔ったりなんかしないから。イコール、俺は最初から全部本気で言ってるかんね」
成程。此れは一杯食わされたと思った。酒の場に持ち込めば、酔った勢いと見せかけて相手の油断を誘えるからだろう。まんまとその罠に嵌ってしまった訳だが……。そういえば、此奴も自分と同じ志士の愛刀として語り続けられているんだったかとの事を改めて思い出して後悔する。
流石は初期刀様々だ。何もかもの点で
「今一度訊こう……。何で俺なんだ?」
改まった態度で再度同じ事を聞き返せば、初期刀様は唇を噛んで悔しそうにそのかんばせを歪ませて宣った。
「だって……主がアンタに惚れてるから……だったら! 主を幸せにするのはアンタしか居ないって思ったんだよ……! 主は女として自分に自信を持てないから、結婚は望んでないとかって口にするけどっ……俺、知ってるんだから……。主と同級生の友達が結婚して幸せ満帆だって話した時、ほんのちょっぴり羨ましげにしてたの……。主って女だとか男だとかあんまり拘らない分、そういうのには関心薄い感じで受け取りがちだけど、人並みに幸せになりたいって感情はあるみたいでね。結婚に憧れが無い訳じゃないんだって。ただ自分を見初めるような相手が居ないのと、そういう相手に出会ってないからだって言ってた。でも、ぶっちゃけ本音言うと……主、年齢的問題を挙げると、定期的に親に催促じみた事言われちゃうみたい。そりゃそうだよね……主くらいの年齢なら、普通に結婚適齢期で下手したら子持ちだって居るんだから。まぁ、今世は深刻な少子化からの子供不足だからって、幾ら親だろうと“やれ女は結婚して子供作って増やせ”は流石にセクハラのマタハラの
「何もかも初耳ばかりで驚きを隠せないばかりなんだが……最後の余計な情報の所為でちとややこしくなったな。取り敢えず、今言った事言ったっつー不届き者は何処のどいつだって……?」
「主の親父さん。最悪じゃない……? 実の親にセクハラ紛いの事言われるとか、普通に聞いててキツいと思ったもん。実の娘にんな事言うか普通? マジ有り得ないんだけど。端的に言ってデリカシーに欠け過ぎだと思わない?」
「主人の親御さんと聞いて更に驚いたが……確かに其れはよろしくないなぁ。実によろしくないぞ。特に、繊細な心の持ち主だっていう主人相手なら尚更の事だろう。……で、其れを語って聞かせたんであろう主人は何て?」
「クソッてボヤいてたよ。まぁ、主曰く耄碌した糞爺みたいだから? さっきみたいな発言はよくあるんだって。信じらんない……!!」
「そりゃフラストレーションとやらが溜まる一方だろうなぁ……っ。おまけに理解の難しい相手が親ならば、言うのも憚られるんだろうさ。主人は優し過ぎる程お優しい人の子だからな……哀れなもんだよ」
「アンタなら斎藤さんの刀としての矜持ある分信頼も厚いし、新刃とは言えどあの主のハートを射止めたって事で預ける事も
弊本丸を執り仕切る審神者こと主人は、大層初期刀様に愛されているようだ。其れこそ、彼こそが本当の相手に相応しいとさえに。だからこそ、思い切ってそのままを口にしてみた。
「アンタ自身が娶るって意思は無いのかい……?」
「はっ……? 俺が主を娶る?? 無理無理! 俺は主の旦那ポジには相応しくないから……! 俺は飽く迄もこの本丸の初期刀で、これまでもこれからも変わらず主を支えていくだけの刀だから……っ!! 俺が主の旦那になるとか、恐れ多くて想像出来ないんだけど……っ!」
「おや、意外な反応だな。てっきりアンタの事だから、自分ならこうだと言うのかとばかり……」
「そりゃあ、主が俺と結婚して欲しいって望むなら喜んで娶る気くらいはあるし、記念に本丸で盛大な披露宴を挙げるつもりだけど。本人が其れを望んでない以上、俺も望んだりしないよ。何方かと言うと、俺、主とは家族とか相棒だとかそんな感じの繫がりのままで居たいからさ。だから、自分が娶るだなんて事は絶対に言わない。別に
「そうかい……。なら、余計な事を言っちまったな。悪い……っ」
「ううん。俺こそ、だまくらかすような真似して御免。でも、今日の勢いで以て臨まないとやってらんなかったから。さっきはああも格好付けて言っちゃったけどさ……本音言うと、男としての感情としては、手塩にかけて育てた娘を嫁に出すみたいな心境で滅茶苦茶歯軋りしたい気持ちだから。お前相手であると分かった上でも滅茶苦茶悔しいんだけど……この鬱屈とした気持ち晴らすには一発入れたら少しはスッキリすると思うんだよねぇ〜?」
今日は思いもよらぬ事ばかりが起きる。初期刀様の瞳孔のかっぴらいた赤眼がぐるりと此方を振り向く。その恐ろしい形相だこと……っ! 出来れば回避願いたい事だが、流れから察するに叶いそうもない気がしてならない。
「ねぇ、主をアンタにやる事許す代わりに、今此処で一発俺に殴られてよ。血闘やら何やらと喧嘩張ったのどうのはアンタの
「ちょっ、流石の其れは不味くないかね……っ。丸腰状態での俺が極めて其れなりに経つであろうアンタの拳を直に受けたら、単なる怪我じゃ済まないだろう? 初期刀様なら、此処本丸内での私闘が御法度だってのはご存知な筈だろう?? まさかお忘れになったとは言わないよなぁ??」
「知ってるに決まってんじゃん。でも、其れ、飽く迄も真剣同士での私闘の場合においての話だから。実際のところ、拳同士の喧嘩なら多少は大目に見てもらえるって事の裏返しでもあるんだよねぇ〜。だからさぁ、大人しく俺の一発受け止めて?」
「生憎だが、俺も命が惜しいんでね……っ。御免
「――は? 今更何言ってんの? 今の回答にアンタの拒否権なんて初めから無いから。諦めて一発俺に殴られてくんない?」
「アンタ、初めからそのつもりで俺を酒に誘ったな……ッ!?」
「まっさかぁ〜! 世界一可愛い加州清光様が、んなセコい真似する訳ないだろ? アンタに一発入れたいのは、単にムカついたから無性にボコりたくなっただけだし」
「此れで主人の初期刀だって言うんだから驚きだな……!!」
「は?
「其れこそ理不尽だろう!? 俺は何も悪くないし何もしていない!!」
「うっせぇ。今からお前にやるのは主のハートを盗んだ罰だよ。一応折れないくらいには手加減してやるから、歯ァ食い縛って耐え抜きな。主の刀なら、そんくらいの胆力見せろや」
「無茶振りが過ぎるだろォーッッッ!!」
直後、思い切り振り被られた拳が見事自身の右頬へとクリーンヒットした。結果的、我が身は綺麗な放物線を描いて少しばかり宙を舞った上で障子戸をぶち破り、縁側を通り越して庭先へと吹っ飛ばされた。そして、地面を少しだけ転がって近くの岩に激突する寸でで停止した。岩に激突までしていたら、恐らく背中を強打するだけでは終わらなかっただろう事だけは脳震盪を起こして霞む思考でも分かった。
一先ず、今の騒ぎに審神者が駆け付ける前に何とか起き上がるくらいはしておかなくては……。そう思って体を動かそうと力を入れてみるも、想定以上に言う事を利かずに膝が笑って立つ事すら叶わなかった。此れが初期刀様の力か……なんと末恐ろしい事か。今後、彼を相手にする時は、細心の注意を払って怒りを買わぬよう努めるとしようと決意堅く誓うのだった。
最終的、自身を殴った張本人が助け舟を出して肩を貸してくれ、何とか医務室まで移動する事が叶った。また、余談であるが、結果的騒ぎを聞き付けてやって来た審神者のお叱りと説教組の面子に二人して追加の制裁を入れられ、こってり絞られたのは言うまでも無い。
「うはは! こりゃあ見事なまでに綺麗な拳跡が付いたなぁ!! 男前がより一層上がって良かったじゃないか、色男の坊主!」
「喧しいぞ、糞爺ッ……何ならテメェも初期刀様の華麗なる一発をお見舞いされてみるか? 俺よか余っ程男前度が上がると思うが?」
「あの糞坊主の一発なんざ誰が欲しがるもんかね。僕が食らったらお前さん以上に吹っ飛ぶ未来しか見えんぞ。誰が好き好んで殴られに行くかい。精々今の内にヤキモチは妬かれておくんだな、若造」
「ははっ……言ってくれる……!」
せめてもの温情と利き手とは逆の左側で殴られたのが功を奏したのか、殴られた時の衝撃こそ凄まじいものだったが、すわ折れるのではないかと最悪の事態が過るも、思ったよりも力加減されていたのだなという事を思い知るだけに留まる。其れでも、殴られた側の右頬は真っ赤に腫れ上がったし悪態を
「それにしても、アンタ……マジで運が良かったな。あの初期刀様が力加減せずに利き手の右で殴ってたら、たぶん確実に容赦無く頬骨と顎の骨纏めて粉砕されてたぜ? 主の為とは言え、なけなしの温情掛けられた事には感謝しとけよ。でなきゃ、今頃アンタは問答無用で手入れ部屋行きになってたからなァ。よくもまぁ綺麗に力加減したもんだぜ。俺なら無理な芸当だな」
「うム……此レも其レには同意であル。兼元は兼定の義兄弟であり、主人が見初めし刀剣であル。その事は、仲間として、義兄弟として、純粋に喜ばしく思っていル。だが、初期刀たる加州清光は甘く見ない方が良い……。アレは、ああ見えてなかなかに熾烈な刀だ。また、主人も似て、熾烈なものを懐に飼っていル。主人を怒らせるのは、お勧めしない……」
「嗚呼……今日一日でたっぷりとその両方を思い知ったよ……ッ」
負け犬としての遠吠えを上げる事しか出来ぬ自分が悔しくて仕方がない。いつか、彼のその背を追い越せずとも追い付く事ぐらいは叶うだろうか……。否、叶えてみせようとも。我が主人の望みを叶える為にも、まずは手始めに錬度上限までのレベリングとやらに臨もうか。その後は、暫く時を置いての修行と相成るだろうか。
兎にも角にも、最も先に遣るべき事は、彼女へと正式に交際を申し込むところからだろう。さて、傷が癒えたらどうしようか。彼女のはにかむ顔が、見てみたいばかりに期待に胸が膨らんで敵わない。
公開日:2023.11.16