夢の中 | |
―此処は…、何処だろう…? 目前に広がるは、ただ真っ暗な闇に包まれた世界。 夜闇を照らす満月は、どこかいつもと違って、間近な距離に大きく見えた。 ―月が見えるって事は、外なのかな…。 薄くぼやけた視界がはっきりしてきて、次第に開ける。 すると、目の前に巨大な何かが立っているのに気付いた。 ―シャドウ…? いや、ちょっと違う感じがする…。 大きな満月を背に立っているせいで、逆光で顔はよく見えないが、確かに“誰か”いた。 ソレは、何も発する事なく、じ…っ、と此方を見つめている。 そして、自分は…“彼”を知っている。 ―私は、コイツを…知って、る……? えっと、名前は…確か…。 『―タナ…ト、ス……?』 彼女の口が、音を形作った。 凛とした小さな音で、目の前に立つ者の名が呼ばれた。 ―そう…彼女の前に立っているのは、彼の死神と謳われた、“死”を意味する者「タナトス」であった。 ―何で、タナトスが此処に居んだろ…? って、自分もそうだけど…。 『タナトス、だよね…?』 呟くように、再び名前を口にすると、彼が微かに頷いた気がした。 『やっぱり…。』 何故かは分からないが、彼に逢えた事が嬉しかった気がして。 もう少し、タナトスの方へと近付こうと、足を動かした。 …が、先程まであったのか無かったのかは不明だが、気付けば、自分の身体は所々鎖に繋がれており、拘束されていて動けなかった。 ―え…? 何、コレ…。 『ぇ、鎖…?外れないし…っ。』 適当にガシャガシャと腕や足を引っ張ってみたものの、丈夫で頑丈そうなソレは、ただただ金属音を響かせるだけで、外れはしなかった。 がっちりとした鎖のようだ。 訳の分からない状況に戸惑っていると、彼の方からこちらに近付いてきた。 そして、何の一言も無く、片手に持つ剣を振り翳す。 突然の事で驚き付いていけず、一瞬、身に感じた恐怖に目を瞑る。 視界が真っ暗になると、金属と金属がぶつかり合う重い音が数回聞こえた。 音が聞こえた後に、身体を縛っていた重みがスッ、と消えた気がした。 何の痛みも訪れないなと思い、目を開くと、自分を繋いでいた謎の鎖は外されていた。 側に…目の前には、彼が剣を片手に立っている。 『…外して、くれたの…?』 タナトスは、静かに自分を見つめ続けているだけだ。 『ありがとう…。』 外してくれた御礼を気恥ずかしそうに述べると、彼は彼女に手を伸ばしてきた。 ―何かな…? ゆっくりとした動作で、自分の頬に触れてきた彼の手。 驚きはしたが、優しく触れてくる手の感触に、不思議と恐怖は感じなかった。 『…タナトス?』 何か言いたげに見える彼なのだが…言葉を発しないので、首を傾げる自分。 ―…そっか、喋れないのか…。 でも、触れてくるって事は…触りたい、のかな…。 タナトスの顔を間近で見つめるが、彼の心意を読み取る事は出来ない。 何となく、頬に触れている彼の手に触れて見つめ返してみたが、その反応は変わらない。 ―そういや…“タナトス=綾時”だったっけ…。 と、なると…コレ、いいのかなぁ…? てか、まだ綾時とは逢ってないし、ファルロスとは逢ってるけど…。 自分の中で色々と考えてみるが、今の状況を理解する事は出来ていないのである。 ―タナトスは、私をどうしたいんだろ…? ふと思った事があったので、訊いてみる彼女。 『ねぇ、タナトス…。私に触れてるから、なんとなくなんだけど…。えっと…、ぎゅっとしたいのかな?』 彼の頬にあたる部分に触れながら訊いてみた。 僅かだが、彼の纏う雰囲気が変わった気がした。 動揺しているようにも感じる…。 ―もしかして、当たってたのかな…図星? 両手を彼の方へ伸ばし、言った。 『抱きしめても、良いよ……?』 恥ずかしそうにした彼に、なんとなく嬉しく思った。 ゆっくりと優しく己の方へと引き寄せるタナトスに、自分の身を委ねる。 恐怖は、全く無い。 自分の体躯よりも遥かに大きい彼は、頬に触れた時と同様に、そっと抱きしめてきた。 ―…あったかい。 ぎこちなくではあるが、自分も彼の身体に腕を回した。 丁度、胸の位置に頭があるのだが…ふと、彼の顔をもっと近くで見たくなり、肩の方へと手を伸ばす。 すると、彼も応えてくれるのか、見つめ合える位置に抱き上げてくれた。 視界が高くなった事で、彼の背中に背負われた棺達がよく見えた。 ―タナトス…。 それは、“死”を意味する者。 またの呼び名を、死神。 何故…今、自分の目の前に居て、自分を求めてくれるのか…。 理由も意味も、全く分からない。 だけども、彼が死神であっても、それを怖いと思った事は一度も無く、むしろ安心していた。 『…好きだよ、タナトス…。』 少し照れくさげに微笑い、思いを口にする。 抱きしめてくれる力が、若干、強まった気がした。 『どうして、こうして逢えたのかはよく分からないけど…。タナトスと逢えて、嬉しかったよ。』 素直に、思ったままを呟いた。 彼は相変わらず、自分を見つめている。 『タナトスも…私の事、好きになって欲しいな…なんて、ね。』 自分で言っておいて急に恥ずかしくなり、彼の肩に顔を隠すように埋めた。 火照り始めたのか、頬が熱い…。 ちらり、と彼の目を見てみたが、自身を見つめる色は変わらない。 ―…コレって、夢なのかな……? もし、夢なら…もう、逢えなくなっちゃうのかな…。 それなら…もう二度と逢えないかもしれないなら…。 そんな事を思い顔を上げると、彼の瞳に視線を合わせた。 『えと、今夜はありがとう、タナトス。貴方と逢えて、すごく嬉しかった。』 そう言いながら、彼の頬を両の手で包み込む。 『もし、また逢えたなら…。その時は、夢の中じゃなくて…直接、貴方と逢いたいな…?』 そして、目を瞑ると、彼の口と思しき部分にそっと口付けた。 ゆっくり唇を離して、閉じていた瞳を薄く開く。 すると、彼が驚いたように動きを止めている。 否、恐らく硬直しているのであろう。 見た目の割に、彼は、案外純粋で可愛い奴なのかもしれない…。 そう考えていたら、彼が固まっていた思考から動いた。 『え……?』 緩やかな動きでタナトスの顔が近付いてきたかと思えば、口許に何かを当てられた感触。 彼の人差し指だった。 冷たい体温の彼の指が、自身の唇を封じている。 まるで、「ちょっと黙ってて。」とでも言うかのように。 ―喋るな、静かにしていろ…、との事なのだろうか。 そう解釈した彼女は、大人しく口を閉じる。 それ以前に、彼から触れてきているのだし、口を塞がれた状況では、喋らない方が賢明な判断だろう。 ―これから、彼は何をするのだろう…? 小首を傾げた彼女の肩に片手を添えたタナトス。 そして、反対側の耳元へ口を寄せる。 <―……………。> 何言かを呟かれた。 そう認識した途端、揺らぎ、傾いだ視界。 頭の奥深いところが、霞がかったように重くなる。 唐突に襲い来た睡魔…。 彼が、何かの呪文でも唱えたのだろうか。 そう考えているうちにも、ぐらりと支えを失う身体。 その体を、彼の大きな手が支える。 完全に意識が途切れる前に映った彼の瞳は、先程までとは異なる色を映していたように感じた。 例えるなら、儚げで、今も何かに怯えた不安そうな色…。 しかし、その色の中には、どこか恍惚とした妖艶な色彩も混ざら映っていた気もした。 彼が薄く微笑ったように見えた時、伸びてきた手が視界を覆った。 そして、意識がとても遠くに飛んだ気がした―。 END top |