風邪っぴき




―カチャンッ、カタ…ッ。



耳の奥で、物音が微かに聴こえた。



―トントントン…ッ。



包丁の刻むリズミカルな音が、台所からしているようだった。



『……ん…っ。』



ゆっくりと目を開く。


懐かしい音が聴こえて、目が覚めた。



『…ゔん…っ、ん〜…。』



もぞり、と動いた拍子に、腕に何かを抱きしめている事に気付く彼女。



―マフラー…?


あぁー…。


そういや、そうだっけか…。



あまりよく覚えてはいないが…。


風邪に弱りきった自分は、昨夜、夜中にうなされて、挙句の果てには、嫌な夢を見て泣いてしまう、という失態を侵したのだった。


しかも、綾時に、心配のあまり起こされるなんて。


さらには、何かこっ恥ずかしい発言をして、綾時に手を握ってもらって寝たんだっけか…。


…顔見せらんねぇー。


昨夜の自分を振り返ってグロッキー状態に陥っていると、台所の方から、パタパタとこちらに近付いてくる音がした。


そこで、漸く身体を起こす。


まだ怠くてキツイが、何とか起きられるようになっただけマシである。



―…ん?



枕元に置いてある…というより、自分の寝ていたすぐ隣に位置するように置いてある“あるモノ”に気付いた。



「…あっ、起きた?良かったぁ〜…。昨日はしんどそうだったから、心配してたんだよ〜…。少しは、良くなったかな?」



綾時が、ご丁寧にもエプロンを付けてやって来た。


……しかも違和感なしの似合いっぷり…。



『あー…。えと…うん…。その、昨日は色々ありがと…。けど、コレ……。』

「…ん?」



側に置いてあった物を彼の目の前に広げて見せた。



『何なの…?つか、何で側に置いてたの?』



起きてすぐに浮かんだ疑問を口にする。


今、自分が手に持っている物は、つい最近までファルロスの服だった(?)物。



「っあぁー!それね?」



置いたであろう本人・綾時は、至って明るい表情で笑った。


まぁ、ファルロス=綾時なのだから、別に構わないのだろうけど…意味が分からん。


一方、綾時は照れくさそうに頬を掻いて口を開いた。



「えっとね…?朝、起きようとした時…昨日の夜からずっと抱き付かれたままで…。そのぉ〜…、なかなか離してくれなさそうだったから…っ。あ、でも!嫌とかじゃないんだよ!?むしろ、嬉しいっていうか!あはは…っ。」



誤魔化すように笑う綾時だったが、こっちはこっちで、内心それどころじゃなかった。



―嘘、だ…ろ…?



「君がぐっすり眠ってるのを起こすのも気が引けたし…っ。だからと言って、ご飯作らない訳にはいかないよなぁーと思ってたから。えっと…寂しくないように…?したつもりだったんだけど…、迷惑だったかなぁ?」



ずっと無言で黙ったままの自分に不安を感じたのか、申し訳なさそうに覗き込んできた綾時。


途中から、内容が全く頭に入ってきていないのだが…。



「あの〜…怒ってる、のかな?」

『………てくれ。』

「え…?」

『……いっそ殺してくれ…っ!』



―死んだわ、コレ…。無いわー…自分。



何やってんだ自分、と自分で嘆く。



―恥ずかしいにも程があるだろぉぉぉ………っ!!



恥ずかしさのあまり、顔を俯かせて覆った。



『ぅわぁぁ………っ。』

「えっ。ちょ…っ、む、夢衣ちゃん…?」



心の嘆きが小さく漏れてしまった。



―もう、何か恥ずかしさのあまりに涙出そう…。


いやもう涙目だわ、うん。


ホラ、視界ぼやけてんよ?


うん…。



「えっと…大丈夫?」

『大丈夫じゃない。』

「ぇえ…っ!?」

『心が大丈夫じゃない!はぁ…。私、何やったの…もう…っ!』

「あー…、そーいう事…。」



涙目で赤くなった顔を上げると、綾時と視線が合わさった。



「熱、下がったかな?」



綾時は相変わらずマイペースで、何ともないように私の額に触れ、熱を測った。



―顔が近い…っ。



別の意味でさらに赤くなりそうになったところで、額に触れていた手を離した綾時は、頭を撫でながら言った。



「少し熱下がったみたい。でも、まだ無理しちゃダメだよ…?今日は安静にしてようねっ。あと、ご飯出来たけど…食べれそう?」



小首を傾げて訊いてくる彼は、なんとなく無防備な気がする…。



『…ご飯、作れたんだ…?』

「うん。少しだけどね。彼の中に居た時間が長かったせいかな…?“見様見真似”で、お粥作ってみたよ。味は、初めて作ったから…美味しいか分からないけど…。」

『…ん、ありがとう……。』



ひとつ、瞬きをして、そう言った。


すると、何故かキョトンとして少し驚いた表情をされたが、良しとしよう。



「それじゃ、持ってくるね!まだ熱いから、ふーふーして食べさせてあげる!」

『いや、自分で食べれるから…。』

「良いのっ!僕が、君に“あーん”してあげたいからさ♪」

『“あーん”、って…。』



呆れ気味に返すと、楽しそうに台所へ戻っていった綾時。


腕に持つマフラーに、そっと顔を埋めてみる。



―ファルロスの…綾時の匂い……。



擽ったい気持ちが、胸に広がる。



―あったかい…。



仄かに残った、綾時の体温を感じる。


すんっと鼻を掠めたあたたかい匂いに、目を伏せた。


それとなく、“彼”に―。


タナトスに抱き寄せられた時の匂いに、似ている気がした。



「夢衣ちゃーん…って、あれ…?」

『んー…?』



まだ、少しぼぉーっとする頭で考える。



―やっぱり、風邪はやだな…。



いつもと違って弱気になった自分を見られる気恥ずかしさと、彼の優しい看病と温もりに。


少しの間だけ、委ねてみるのも、悪くないかな…。


―…なんてね。



END

back
top