満月の夜にコンバンハ。2 | |
それは、とある夜の晩の頃。 月が輝き満ち、夜空を明るく照らしている日であった。 普段よりも明るい月夜で、星はあまり目立たず、しかしそれだけで十分過ぎる灯りだった。 「―ただいまー。あれ、まだ起きてたの…?」 突如、薄闇の中から現れた少年…望月綾時は、部屋の窓際に居座る影に気付き、小さく驚いた。 『…あ、綾時。おかえり。』 呼びかけられた影もとい篠原夢衣という少女。 彼女は、寝室のベッドに腰掛けたまま、窓の外を眺めている。 その姿は、もう寝る手前だったのか寝間着を着ており、お風呂に入ったのであろう、石鹸の淡い香りを漂わせていた。 「珍しいね、何も無い日にこんな時間まで起きてるの。いつもなら、もう寝てるのに…。」 壁に掛けられた時計を見つめ、綾時は不思議そうに問いかける。 『ん…。何か、夜なのに外が明るいなぁ〜って思って、気になって窓の方を見てみたら…満月だったからさ。ちょっと、眺めてたんだ…。』 首だけを振り向かせ、綾時の方を見ながら話す夢衣。 いつもとは違う、静かな雰囲気の彼女に、綾時は小首を傾げながら歩み寄る。 そして、そのまま彼女を背中から抱き竦める。 「ん〜…、やっぱり君の側が一番落ち着くねぇ…。君の匂いがする。良い匂い…。」 『…今日はやけに積極的だな?まぁ、別に良いけど…。』 「怒らないの…?いつもなら、こうやって抱きつくと怒るのに。」 『いや、全くそんな気無いけど…。』 「え…っ。どうしちゃったの…?今日はむしろ、夢衣ちゃんの方が積極的じゃない…?」 数日の間、“彼”の元にいた綾時は、自分が側に居なかった間に何かあったのかと不安になった。 けれど、それもすぐに杞憂に終わる。 『あー…。まぁ、強いて言うなら…、綾時が居なくて寂しかったかな…って。』 「………っ!」 普段の彼女なら、意地を張って強がるのだが、今日はどうやら素直モードになっているらしい。 そんな彼女の反応を聞けた彼は、数秒間驚きのあまり固まっていたが、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。 感情のまま、夢衣を強く抱きしめる。 すると、珍しくもされるがままな彼女は、抱き付いてきた彼の腕に、そっと己の手を添えた。 「そういえば…何故、月を眺めてたんだい?」 『え?あぁ、それね…。』 綾時は、思っていた事をそのまま問いかけた。 至極最もな疑問である。 彼女は、再び窓の外を見つめながら、ゆるりと答えた。 『えっと、さ…。いつもとは違って、満月が赤く輝いていたから、かな…。あと、今日の満月は、特別な満月っていうか…貴重な満月だからだよ。』 「そうなの?確かに、普通は黄色か白く輝いて見える月が、すごく明るいし、赤く輝いて見えるけど…。」 そう言いながら、彼は夢衣の身体を引き寄せると、自分の正面で挟み込むように抱きしめる。 『貴重な理由は…満月っていうのは、普通は一ヶ月に一回程度の周期で訪れるものでしょ…?それが、今月は、一ヶ月に二回訪れてるんだ。そういう月の事を、“ブルームーン”って言うんだって。』 「へぇ〜っ。知らなかったなぁ…。僕、初めて聞いたよ!」 『確か、その“ブルームーン”を見る事が出来たら幸せになれるとか、願いが叶うとかなんとか…。そういう話もあったかな。ま、これは今における話らしいけどね。』 肩に顎を乗せて聞く彼の頭を、片手で撫でる夢衣。 その心地よさに、気持ち良さそうに目を細める綾時。 スリッと頭を擦り寄せると、擽ったいと小さく抗議の声を上げられた。 「うーん、今は…って事は、昔は違ったのかな…?」 『よくある話…。それがあると良くない事が起きる前触れだとか、不幸になる兆しだとか、そういうの。大体がそんな話じゃん、逸話とかいうものは。』 「ふ〜ん…。じゃあ、僕達にとっては前者な訳だね!」 『へ…?あ、あぁ…。まぁ、現代人だからね。』 彼女が言っていたように、今宵の夜空には赤く光る満月が浮かんでいた。 どこか神秘的にも見えるが、不思議に感じもすれば、不気味でもあると感じる。 現に、紅く輝く月は、妖しげな雰囲気を漂わせている。 そんな月夜に、夢衣は、静かで穏やかな気持ちを感じていた。 何故か、落ち着いている心境…。 起きている理由に、眠れないから、という事がある訳ではないが。 彼女は、今宵の月の輝きに魅せられたのか、気になって眺めていたのだ。 「ふふ…っ、なんだか不思議な気分だなぁ…。」 『それって、満月関係ある…?』 「…かもねっ。以前も、似たような事があった気がするけど…。」 『それ、ファルロスん時じゃない…?あの時はまだ…私、慣れてない感じだったからなぁ〜…。』 「え…?僕の事、ベッドから突き落とそうとしてたのに…?」 『あれはお前の態度が悪い。』 少し不満気に言う綾時。 その言葉に対し、夢衣はさらりと言い放った。 「…でも、夢衣ちゃんの優しいところは変わらないよね…。だって、今こうして、僕が抱き寄せても…自然に受け入れてくれてるもの。」 彼女の肩に顔を埋めながら口にする彼。 脇の下から伸ばした腕は、彼女を柔らかく包み込む。 『何…。綾時の方も寂しかったの…?』 「ん〜…。そういうんじゃないんだけどなぁ〜……。」 言葉を曖昧に濁した彼に、小首を傾げ、振り向き様に様子を窺おうと後ろへ向くと、丁度顔を上げた彼と目が合った。 少し驚き、目を見開いていると、彼が愛し気に目を細め、ちゅっと触れるだけの口付けを頬へ落とした。 『…どったのよ…?』 「うん…?別にどうもしないよ。」 『いや…何か、やたら来るなと思ったからさ…。』 「ふふふっ、そう…?君がそう思ったなら、そうなんだろうね。」 部屋は、窓から差し込む赤い満月の月明かりのみで、薄暗く周りがよく見えない。 ましてや、彼女は寝間着を身に付けただけの格好。 元々が、夜に月に、属する者であっても。 彼も人であり、少年という事から、男であるのだろう。 そして、今宵の満ちたりし月夜に魅いられた一人であるのだろう。 top |