13.進もうとして落ちて

ユイちゃんの部屋はここだよ。
一緒に暮らすのに、部屋は別々なんて何かおかしいけど、ユイちゃんの記憶もまだ曖昧だからね、不安でしょ?
いずれは僕と同じ部屋で寝起きしてもらうけど、まだ婚前だし。こういう順番は、ちゃんとしたいからね。

そう言って、連れられたマンションの一室をあてがわれた。

リビングにある真っ黒で威圧的なソファと違い、この部屋に置かれている家具類はみんな柔らかい薄桜色で安心する。これらも総司さんが選んだんだろうけど…、こういう、時折見せる優しさが本当なのかが分からなくて、素直な気持ちで受け入れられない。

いつの間に運び込まれたんだろう。家にあったわたしの服と下着が全てクローゼットに詰められていた。

持ち込まれた物はそれだけで、気に入っていた縫いぐるみや本などはもちろん無い。アクセサリーとか、お気に入りのピアスとかあったのにな…。

全てを持ってこられても、それはそれで困るけど…。


「ユイちゃんの持ち物は、おばさんが閉まってくれたんだよ。僕のお嫁さんになるからとはいえ、流石にそんな失礼なことは、ね」
「……」


下着の入っていた引き出しを開けて、わたしが固まったのを察したんだろう。

部屋が別々なことを含め、正直言って、これは私にとってとても有難い事だった。
ありがとうございます。と頭をさげたけれど、総司さんはとても複雑そうな表情をしていた。


「そろそろ日が暮れるし、どこかに食べに行こうか」
「………」


そういえば、そんな時間だ。時計の針は17時を回っていた。

総司さんと、食事…。

お見舞いの時からそうだったんだけど、何を話すでもない。ただ黙って総司さんはわたしと同じ部屋に居て本を読んでばかりだったから、わたしはいつも、どうしたらいいかわからなかった。

まさか、こんな展開になるとは思っていなかった。けれど、今のお母さんといても針の筵だったのかもしれない。逆に好機?なのかはわからないけど…わたしは今、これまでの事を総司さんに聞こうかどうしようか、すごく迷っている。

はぐらかされるんじゃないか、誤魔化されるんじゃないか。その前に、本当の事を言ってくれるのか…。

だけど、これだけは確かめたいことがあるんだ…。


「そ、総司さん、あの」
「…なぁに?」
「………」


悪戯っぽい笑顔。この笑顔には覚えがある気がする…。だからって掴めたわけじゃないけど、これだけは教えて欲しい。


「わ、わた、しの…お父さん、は…」
「………」


そう。お母さんはほぼ毎日お見舞いに来てくれたけど、お父さんの姿がなかった。いつも。お仕事で来られないにしても、日曜日も来ないなんておかしい。


「ご飯、食べてから話そっか」
「………?」
「さ、行こう」
「は、…はい」


車に乗せられて連れて行かれたのは、ファミレスのように気軽に入れるようなところじゃなかった。
スーツに身を包んだ初老の店員さんが白い布を腕にかけて、そして総司さんに「沖田様、お待ちしておりました」と深々と頭を下げている。

あまりにも見てきた世界と違いすぎて、またわたしは身を縮こませて、自分の荷物を握りしめた。

案内された席に座り、総司さんがひとつため息をつく。


「ごめんね、すぐにでも話してあげたいんだけど、とても大事な話だから、食事が終わってからね?」
「……はい…」
「喉、通らなくなると思うから…」
「………」


総司さんの言い方から、お父さんが来ない理由が良い話じゃないことは、すぐに理解できた。

一体どんな話なんだろう。お父さんがわたしのところに来られない理由が、例えばお仕事以外で何があるのだろうか…。

…お仕事…?

お父さんの、お仕事…?なんだっけ…?

あれ…?わたし、それも忘れちゃったの…?


「……ん、…ちゃん。……ユイちゃん、」
「…っ!」
「ユイちゃん、お料理来たよ。どうしたの…?」
「あ…、すみま、せん…」


いけない。すっかり考えこんでしまっていた。総司さんとの事以外にも、まだ忘れていることがあるんだなぁ…。

コース最初の料理が目の前に出され、わたしは慌ててナフキンを膝の上に広げた。

マナー違反していないか、そればかりが気になって、緊張しっぱなしで味なんてよくわからなかった。

食後に出されたわたしの分のコーヒーを、総司さんはミルクティーに替えてくれた。さっき、リビングでコーヒーを出されたときに、わたしが無理やり飲もうとした経緯があったせいだろうか、気を…使われているようでなんだか居心地が悪い。

ゆったりとした手つきでソーサーにカップをおいた総司さんが、深く息を吐いてからわたしを見つめる。とても、真剣な目つきで。


「ユイちゃんのお父さんはね…」
「………あ、の…」
「なぁに?」
「っ、き、聞き、たく、ない………」
「……わかった」


聞きたいはずなのに、なにかとてつもなく嫌な予感がして、とっさに拒んだ。
自分から知りたがったくせに、心がそれを完全に拒否した。

なんだろう、この不安感。知りたいはず、なのに色んな事を知りたくない……


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2016/02/04


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