zero.もう一人の、あお
「──はい。……はい。僕は大丈夫ですよ。ちゃんと戻ってきます。……近藤さん…。ありがとうございます」
電話の向こうで近藤さんが涙を流している。
相変わらず…豪快で優しい人だ。
この人がいなかったら、僕はきっとユイちゃんをもっともっと傷つけて、壊して粉々にしてしまったかもしれない。
それでもいいって…本気で思っていたことさえあったから……。
───もう一人の、あお。
「到着まで、あと二時間弱ありますが…。何か、召し上がりますか?」
「ううん。いらない。向こうで済ませるよ」
「わかりました。では、社長。これを」
秘書くんから出張先の会社の書類を受け取る。いささか口調のきついこの子は僕が社長の職に就いた時から秘書兼付き人をやってくれている。
確か、直前になって向こうの担当が変わったとかで…さっきまで、カンカンに怒ってたなぁ…ふふふ。
「……!」
「どうかされましたか?」
「あ…、いや」
書類を開いた途端に身体を強張らせてしまった僕に、秘書くんはさすが目ざとい。
「なんでもない。なんでもない」
「そうですか…」
一枚目の代表者の名刺。その名前に僕は思わず息を呑んだ。
──ユイちゃんと同じ名前…。
苗字はもちろん全く違う日系二世の女の子。…まあ。そういう偶然だってあってもおかしくない。
でも、…今は見るのもしんどいなぁ。
もやもやを吐き出すように、一回大きく息を吐く。僕は置いてきた現実に目を向けたくなくて、さっさと一枚目を閉じ、二枚目の書類に目を向けた。
海外に新しい支社ができ、僕は逃げるようにして今まで行かなかった出張に出向くことにした。ユイちゃんのお父さんの会社を近藤さんに引き継ぐ業務を終え、息つく暇もないったら。
でも、今はそれくらい忙しい方が良い。って思っていた矢先の…
だめだなあ。そう思いながらぺらぺらとページをめくる。
「全てに目を通してください」
「はいはい」
「社長!」
だらりとした気持ちになると、ぴしゃりと秘書くんが窘めてくれる。そんな彼女を尻目に書類を閉じ、僕も目を閉じた。となりで文句言ってるけど気にしない気にしない。それに今はそれくらいがちょうどいい。
「もう少しで忙しくなるんでしょ…。ちょっと寝る。着いたら起こしてね」
「……はい」
秘書くんため息をつきながら呼び出しボタンをおす。頼まれたCAさんが僕に毛布を掛けてくれた感触だけ確認して、意識を沈めた。
忙しいのが良いとは言っても実際やることがいっぱいすぎで、……頭が、疲れた。
─────────・・・・・
「社長…。社長」
「……んー・・・、もう、着いたの…?」
「いえ、あと一時間ほどです」
「なんでそんなに早く起こしたの…着いたら…って・・・」
「こうだからですよ! 社長は寝起きが悪いんですから!」
「ううー・・・ん…」
「しゃーちょー!」
強引ではないやり方でゆさゆさと身体を揺すられ、否が応でも身体と意識が目覚めてくる。何度も何度も社長、社長と言って起こすのも大変だろうなぁ…。
「ふっ…くくくっ」
「目覚めましたか」
僕がそう思い始めて笑いだした頃が、目覚めの合図。
「もう起きますよ」
「では、こちらを」
「はいはい」
「返事は一度でお願いします」
「はーーーーーい」
「社長!」
さっきの書類と、それ鏡。はいはい。寝癖を直せってね。
くせっ毛なのか寝癖なのかわからなくなった僕の頭を、秘書くん手際よく整えていく。
「秘書くんは、上手だね」
「私は君じゃありません」
「はいはい」
「………」
「はい」
いつもこれで怒られるんだよね。返事と“くん”付けすること。まあ、これもいつもの流れ。
この秘書くんは、これまでの事の全部を知っている。近藤さんにユイちゃんの会社を引きつぎの殆どをしてくれたのも彼女だ。それにこの出張を提案してくれたのも。
それでも変わらず、いつも通りの僕に接してくれている。実際にはいないけど、姉のような人だ。
「着きましたね」
「着陸嫌い」
「はい、耳抜きなさって、こちらをお飲みください」
「・・・うん…」
言われた通り鼻をつまんでお茶を口に含む。耳の中で音を確認して着陸の備えた。
─────────
「ああ疲れた」
「さあ、支社に向かいますよ」
「ふあ・・・」
荷物を受け取り、気持ちもぐったりしながら搭乗口を出る。
思わず出たあくび。思いっきり伸びをして見上げた空は快晴で。
「わあ…」
太陽がきらきらと眩しい。ユイちゃん、君もこの景色に目を細めたのかな。
「社長! 早くしてください!!」
「はいはい」
全くもう。感傷に浸っている暇なんてないじゃないか。
「今行くよ!」
─────
2017/03/03
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