13.静寂

*「……、ん」


カーテンのすき間から柔らかい朝の陽光が差し込む清々しい晴天。

久しぶりの晴れ。
陽を浴びたい、だけどまだ寝ていたい…。

お休みだから、いいよね…。

このままずっと眠っていたい…。

このまま、ずっと…。



『一くんは、だめだよ…』



「…………」


心地よい朝。
なのに昨日の夜のような真っ黒な闇が、心に滲みを作って侵食しながら襲ってくる。

総司くんから聞かされた一君のこと。

信じたくない、だけど思い当たる部分のほうが多すぎて、私は何を信じたらいいかもう分からなくなっている。


「………」


結局私は、一君のなんだったんだろう。

どこか頭の中で思って、そして覚悟していた事だけれど…、やっぱり私は処理のためだけの、相手だったのだろうか。

そう思いたくは無かった。

だけど昨日痛いほどわからされた。

なのにまだ諦めのつかない馬鹿な私。
咀嚼し、呑み込めないのは、ただの私の願望、我儘。

終わりたくない。
終わらせたくない。

一君の行動に振り回されて困惑していても、たとえ身体だけでも一君に求められているだけで…
私は満たされていた。

今の喪失感がそう言っている

一君との終わりを認めたくない、と。

心に冷たい風が吹いて苦しくなる。
薄く目を開けて、変わらない部屋の中を少しだけ見て、もう一度ゆっくりと目を閉じる。

そしてそれと同時に落ちる涙。

今の私の頭の中は、少しでも気を緩めてしまえば、グチャグチャになってしまいそうなほどに張り詰めている。

うそだ、そんな、信じられない。
だけど、やっぱり、おかしい。
そう、どこかで思っていた。

その言葉がぐるぐると巡る。
思考の坩堝に嵌ってそこから出られない。
いっそ、その渦の刃に巻き込まれて、身体も心もバラバラに砕けて無くなっちゃえばいいのに。

私なんて跡形もなく無くなっちゃえばいいのに。

もうそんなことを考える気力も、一君への気持ちも、持ちあわせていたくない。

私なんて跡形もなく無くなっちゃえばいいのに。


一君、一君、一君。


会いたい。
会って、“嘘だよね?”そう問いたいけれど、あなたがそういう相手として私の事を思ってくれていないのだから…。


どこかで囁く。


“はじめから無理だったのよ”
“そんな魅力ある訳ないでしょ?”
“たまたま近くに独り者の女がいただけの話よ”
“一君が本気になるわけないでしょ”


“勘違いしてるんじゃないわよ”


わかってる、そんなことわかってる。


………わかってる、…つもり、だった…。


なのに諦められない、この浅ましいしみったれた気持ち。

認めなきゃ、認めなきゃ、認めなきゃ。

そのために、カラカラの喉を無理矢理に動かして声を絞り出す。


「…終わり…。もう、終わり…」


カサカサの掠れた声で、敢えて自分の耳に注ぎ込む。

予想以上に枯れた自分の声にも、最後を認めざるを得ない言葉にも
自身でわかってやったことだというのに、悲しくてぶわりと涙が溢れ出る。

でも、そうしなければならない。
このまま眠って目覚めなかったらどんなに良かったか。
だけど現実は甘くない。

私が好きな人を、依存してしまっていた人を失ったところで
容赦なく時間は進む。

陽は昇って沈む。
降っていた雨だって止む。
私の気持ちも思考も置いてきぼりで

時は容赦なく進むんだ…。




「 ユイ ちゃん、起きてる?」
「…………」


ベッドの中で思考の渦に嵌まってから随分と時間が経った。

私の返事を待つことなく、総司くんはコン、とワンノックした後、部屋の扉を開ける。


「おばさんがお粥、作ってくれたよ」
「ありがと…」
「…、酷い声。」


昨晩泣きすぎたせいか、私の喉は焼けるように熱を持って枯れている。
怠い身体を起こしてのそのそとベッドから降り、そのまま床にべたりと座りこんだ。

テーブルの上に置かれた母特製のお粥。
そこから立ち昇る湯気を吸い込んで、全身の力を抜く。
出汁の香りが優しくて、よく煮て蕩けたお米と卵が混ざり合って
具合の悪い時にこれを食べたときは、身体の隅々にまで美味しさが染み渡るようで大好きだった。


「………」


匙を持ち少し掬って、口へ運ぶ。
一口、そしてもう一口と運ぶごとにまた涙が溢れ出る。


「 ユイちゃん」
「………っ、」


小さなタオルでぐいぐいと乱暴に涙を拭われる。
総司君らしい、ちっとも優しくない手つきが可笑しくて、泣いているのに笑えて来てしまう。


「なんで泣きながら、笑ってるのさ」
「…だっ、て…ふふ…」


労りも何もない。
特別扱いもない。

いつも通りの総司くんの行為が、今は逆に嬉しいのかもしれない

いつも通りだよ変わらないんだよ、って言っているようで救われる。

もちろん、悲しいのも変わらない。
喪失した事実も変わらない。

だけど日常も変わらない。
変わらないということを気づかせてくれる。

何も特別な事じゃない

悲しくても目は覚める
悲しくても眠くなる
悲しくてもお腹が空く

人間として生きる当たり前は変わらない。
だからいつも通りでいればいい。

総司くんはそんなつもり、ないんだろうけど。
今日くらい、そう言ってくれているって考えても良いよね。


「もう、おばさんも仕事に行ったよ。」
「うん」
「僕も、そろそろ学校行くから…」
「これ食べたら、また寝るよ…」
「うん」


“今は出ない方がいい”

言わないけれど伝わってくる。
昨晩、うちの前で交わされた一君と総司君の会話では、今日二人同時の講義があるはず。

家から出ればかちあうかもしれない。

“今は”顔を見ないほうが良いだろう。

私も、…そう思う。

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