chapter.2

春〜夏


 夢のような2日間から数週間経った。
 本当はあの出来事は夢だったと言われても信じてしまえそうなくらいに、私の生活は再び平凡な日常へと戻っていた。
 だけどあの2日間は夢じゃない。証拠に、冷蔵庫の中には大量買いをした食料品が山のように入っているし、スマートフォンのアドレス帳には『瀬名泉』の名前で連絡先が登録されている(泉さんの家にお邪魔した日、私が爆睡している間に勝手に登録したらしい)。
 別れ際、泉さんは「暇なら連絡してもいいよ、返事はしないけどね」と言い残して車を走らせていった。でも、返事をしてくれないのなら連絡する意味もない。
 本気で言っているのか冗談で言っているのか、イマイチ判断できずにいたけれど、一方的にメッセージを送るだけだなんて虚しいだけだから、連絡は取っていない。多分、これからも連絡を取ることはないと思う。私の中で泉さんは『思い出の人』なのだ。連絡を取りたいと思い悩む時期は既に過ぎている。

 お気に入りのカップラーメンに熱湯を注いで待機中、意味もなくテレビのチャンネルを回していると、ふと泉さんの姿が映った。視聴率の高い有名な音楽番組だ。今日はKnightsも出るらしい。
 麺が柔らかくなる頃、CD売り上げランキングだとか懐かしの歌ランキングだとかの特集が終わり、ユニット紹介が始まる。
 どうやら今回は凛月さんの出演するドラマの主題歌を歌うらしく、司会者からのインタビューには凛月さんが答えていた。直接会った時と変わらないのんびりとした喋り方に、きっと多くのファンがテレビの前で胸きゅんしているのだろう。
 確かに、凛月さんは整った顔立ちをしていて、安心するような優しい声色で、魅力的な部分がたくさんある。だけど、今の私にとっては彼は私のものになるはずだったカップケーキを食べた敵でしかない。あの日のことはまだ当分忘れられそうにない。一生忘れない。

 凛月さんの番宣が終わった後、インタビューはknights全員に向けられていた。それを右から左へと流しながら聞いていた時、視聴者から寄せられた質問として『最近嬉しかったこと』が取り上げられた。
 依然として流し聞きをしていた私の耳にとんでもない言葉が流れ着いてきたのはそのすぐ後だった。驚いた私は思わず麺を掴んでいた箸を落としてしまった。
 泉さんの番、泉さんは向けられたカメラに微笑んでから『高校卒業以来会っていなかった後輩に会えたことです』と、そう言ったのだ。

 ぽかんと、口を開けたまま動けない。開いた口が塞がらないとはこういうことなのだろう。
 おもしろ映像100連発!のようなタイトルの番組で流れれば微妙な笑いくらいは取れるかもしれない。そんな間抜け面のまま、その後のknightsの歌とダンスも観ていたのだけど、ちょうど歌が終わったところで私のスマートフォンが騒ぎ始めた。

 番号は知らないものだった。
 出ようか悩み、出ないでいると、一度音が鳴り止んだものの、またすぐに騒ぎ始める。ひょっとしたら知り合いかもしれない。私は慌てて画面をタップしてスマートフォンを耳に当てた。

「はい」
『あ、出た。おい〜っす』
「・・・・・・? 凛月さん?」
『そうそう、この間ぶりだねえ』

 電話の相手は凛月さんだった。
 思いがけない人物に驚きすぎて、今凛月さんはテレビの向こうにいるというのにどうして私に電話を掛けられるのだろうと、そんなことを考えてしまった。やけにハキハキしている声を聴きながら、収録とオンエアは別日だということに気が付いた。
 連絡先を教えていないはずなのに知っている謎は早々に教えてくれた。どうやら泉さんの連絡先を勝手に覗いたらしい。泉さんが私のプライバシーを保護してくれなかったことに少しお腹の底が熱くなる。

『ねえおてんば娘、今暇?』
「暇じゃないです。カップケーキのことを考えているので」
『え〜、まだ根に持ってるの?』
「一生持ちますもん。オフィシャルサイトに苦情メール送ろうかと思ったくらい」
『ふふ、口ばっかり・・・良いじゃん、カップケーキが食べられなかったくらい。土下座してくれれば俺がいつでも作ってあげるよ』
「凛月さんのなんか食べません!」

 終わりのない喧嘩祭が開催される直前、スマートフォンの向こうから「どういうこと?」と聞こえてきた。その声を聞いた瞬間、私は先程のテレビのインタビューを思い出してしまって顔に熱が集まるのを感じた。どうやら凛月さんは泉さんと一緒にいるらしい。

 先日のカップケーキ騒動を凛月さんが打ち明けているのを聞きながら、泉さんの後輩のことを考える。
 同窓会はひとつ上の学年の人たちだけの集まりだった。唯一私の他に招待された同級生のあんずちゃんは仕事の関係で欠席している。つまり、そこに後輩は私だけしかいなかった。
 ここまで考えると泉さんがインタビューで言っていた『卒業以来会っていなかった後輩』は私のことになると思うのだけど、はたして。もしかしたら同窓会の前後で別の後輩に会ったという可能性もあるけれど。
 ううん、やっぱり別の後輩のことだろうか。再会した時、そこまで嬉しそうな顔をしていなかったしなあ・・・

『なまえ』
「あ、は、はい!泉さん!」

 代わるなら言ってくれればいいのに。
 突然声が変わって背筋を伸ばす。何となく後ろめたい気持ちになって、麺のなくなったカップラーメンの残ったスープをそっとシンクへと流す。泉さんは怒っているようで、浅く息を吐いた後に「どうして嘘ついたの」と言った。

「あれは、つい、」
『幻滅。美味しかったって言ってたじゃん』
「・・・ごめんなさい」
『謝ったって許してやんない。連絡も寄越さないし・・・・・・後輩ならマメに連絡してくるもんでしょぉ?』

 堰を切ったように小言を並べ始める泉さんに反抗するのは禁忌であると私は身をもって知っている。嘘をつくきっかけになったのは凛月さんだし、連絡しても返事をしないと泉さんが言ったから連絡をしなかったのに。心の中で文句を垂れていれば、やがて荒波のような激しい声が止んだ。
 沈黙の後、溜息が聞こえてきた。

『今暇でしょ?』
「はい」
『じゃあ夕飯付き合ってよ』
「あー・・・でも私、ついさっきカップ・・・・・・ご飯食べちゃって」
『ちょっとぉ!またラーメン? この間食料品買ってあげたばっかじゃん!怒るよ!』
「もう怒ってるじゃないですか!あとカップラーメンは口癖なだけです、最近ラーメン食べてないですもん」
『あっそ、いいから付き合って。あんたはデザートでも食ってりゃ良いでしょ。あと30分くらいしたら着くから』

 一方的にまくしたてられて切れてしまった電話に、スマートフォンを呆然と見つめた後、私は今の自分の格好を思い出す。
 特段やることもないから早く寝ようと化粧も何もかも落としてしまった。お風呂上りで髪は湿気ているし、寝間着姿だし。

 もう会わないと思っていたんだけどな。
 今日もまた化粧が甘いと小言を言われてしまうのだろうか。そう考えたら、なんだか嫌なような、嬉しいような、不思議な気持ちになった。

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