inside story


「んん・・・・・・?」

 ぐわんぐわんと掻き回されているような頭が気持ち悪い。
 額を押さえながら起き上がると、柔らかなブランケットが滑り落ちる。途端に感じた肌寒さに慌ててそのふわふわとしたベージュのブランケットを手繰り寄せたのだけど、ふと見えた気がした輝きに、眠りかけていた頭が覚醒する。慌てて起き上がると視界いっぱいに薄らと白みを帯び始めている都心の景色が映った。

 いったいどういうことだろうか、いつの間に私は天国に来てしまったのだろうか。できればまだもう少し人生を堪能したかったなあ。
 そんなことを思いながらソファに身体を預けるのをやめて窓の外を眺めていると、足音が聞こえてくる。振り向くと泉さんが濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に入ってくるところで、目を輝かせている私に気付いて少し驚いていた。

「泉さんも死んじゃったんですか?」
「はあ?」
「だってすごい景色! 見てください、あれ!」

 そう遠くないところに大きなタワーがある。ライトアップされている有名な橋も。
 二日酔いで頭痛と胸焼けが酷いことも忘れて泉さんに駆け寄る。動揺したように声を漏らす様子が余計に楽しくて、私は泉さんの腕を掴んで窓のそばへ向かった。
 すごいすごいとはしゃぐ自分が、大きな窓に頭から足のつま先まで映った。そして隣では呆れたような顔をする泉さん。この景色を見て何とも思わないなんて、なんて冷めているのだろう。

「牛肉を食べすぎて地獄に飛ばされるかと思ったんですけど、天国で良かったです。しかも泉さんも一緒だなんて」
「勝手に殺さないでくれる? そんなに死にたいならここから突き落としてあげるけど」

 シャワーを浴びていたらしい泉さんはドライヤーを手にしたまま教えてくれた。話を聞く限り、どうやらまだ私は死んでいないらしい。
 ここは天国でも地獄でもなくて、泉さんがいつも暮らしているマンションだった。高層マンションの高いところの階だから、どちらかというと天国に近いかな。

 昨日、店で酔い潰れた私は帰りのタクシーの中で吐きそうだと泉さんに切羽詰った様子で泣きついたらしい。
 そういうわけで、泉さん、凛月さん、なるちゃん、私の中でその場所から最も近い距離にあった泉さんの住むこのマンションに緊急搬送されたのだと。
 なんとも恥ずかしい話だ。リバースはしていないらしいのでそこだけは救われたけれど、どちらにしても先日に引き続き迷惑をかけてしまったことには変わりない。

「すみません。迷惑掛けっぱなしで・・・」
「別にいいけど。それより見てわかるだろうけど、これから仕事だから」
「え、これから?」

 これからって、まだ外は明るくないのに?
 思わず掛け時計を探して見てみれば、まだ5時を少し過ぎたところで。芸能界、あまりよく知らないけれど、本当に大変なんだなあ。
 既にシャワーを浴びて流行りの服を着こなしている泉さんはいったい何時に起きたのだろう。昨日は途中から記憶がないけれど、確かに遅い時間まで店にいたのに。

 瞬きを繰り返す私をよそに、泉さんはローテーブルに置かれていた財布とスマートフォンを手にする。今にも家を出ていってしまいそうな様子に、やっと私も慌て出す。

「ま、待ってください。あの、寝起きなので顔だけ洗わせてください」

 泉さんが外出をするということは、つまり私も出なければいけないわけで。
 ここから駅は近いのか、始発までどれくらいなのか、聞きたいことはあるけれど、最悪機械に頼ればいいのだし。
 そんなことを考えながらも洗面所の場所を訊ねると泉さんはすごく嫌な顔をする。「仕事先までついてくるわけぇ?」と、どうも話が噛み合わない。

「違います。だって帰らなきゃ・・・」
「今日は休日だし、仕事はないはずでしょ?」
「えっと、そうですけど」
「ならいいじゃん。昼・・・夕方くらいには帰ってくるからそれまで安静にしてれば」

 多分二日酔いのことを気にしてくれているらしい、けど、家主がいないのに図々しく寛ぐのはさすがに良くないだろう。ましてや相手が泉さんとなると余計に。だって泉さんは男性だし、アイドルだし。
 途切れ途切れに良くないことについて力説していれば、不意に泉さんのスマートフォンが騒ぎ出す。途端に泉さんの目の色が変わった。

「ちょっとぉ、あんたの相手してたせいでマネージャーから電話来ちゃったじゃん」
「へ? あ、ご、ごめんなさい・・・?」
「いいから俺が帰るまでここにいて。ベッドで寝たかったら寝ていいし、シャワー浴びたかったら浴びればいいし、着替えは引き出しに入ってる俺の服を適当に使っていいから。とにかく好きなようにしててよ。どうしても帰りたかったら合鍵がどっかにあるからそれ使って」
「どっかって?」
「それくらい自分で考えてよ。じゃあね」
「あっ、ちょっと、泉さん・・・」

 早口でまくし立てた泉さんはスマートフォンを耳に当てながら足早に出て行ってしまった。少しイライラしている声も玄関が閉まれば何も聞こえなくなる。私は呆然と立ち尽くす。
 泉さんは危機感がないのだろうか。それとも私を信用してくれているのだろうか。他の人にも、他の女の人にもこういうことをしているのだろうか。

 確かに、泉さんくらいになれば彼女の100人くらいいてもおかしくない。泉さんが色恋沙汰でメディアに取り上げられたことはないけれど、もしかしたらそういう関係の人がいるのかも、いたのかもしれない。
 そんなことを考えたら途端に胸がもやもやしてしまって、私はそれを忘れようと電気を消してからソファへ寝転んだ。さすがにベッドで眠ることなんてできないから、ここでもうひと眠りさせてもらおう。

 毛布から漂う泉さんの匂いを意識しないように呼吸を整えた後、私は目を閉じた。

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