うまく会話ができなかった問題は泉さんが解決してくれた。
 ふらりと立ち上がった泉さんが寝室から持ってきた雑誌の山は、泉さんの泉さんによる泉さんのためのモノだった。私はその雑誌の表紙でばっちりとポーズを決めている、かつての友人である遊木真くんの魅力について、雑誌を資料に事細かく、それこそ数時間に渡って聞かされていた。
 今ばかりはあまり近寄らないでほしかったのに、ソファの端と端を座っていた私と泉さんの距離はいつの間にかほとんどゼロになっていて、まるで本物の恋人だと思われても仕方がない有様だった。
 距離が近過ぎて時々ぶつかる腕に少しうろたえてしまえばちゃんと見てと怒られるし、泉さんが少し足を動かせばそれが私の足にあたる。同じようにうろたえてしまえばまた同じことを言われるし。真くんの着こなす服の露出度が高いと余計に泉さんに熱がこもってしまって、もともと触れ合っていた肩と肩がもっと近くなるしでもう大変だった。
 高校の時とまったく変わらない様子に少しだけ安心したのと同時に、緊張したし、あまりの熱量にもしかしてこのまま死ぬまで聞かされ続けるのではと気が気じゃなかった。

 最終的に、私の元気なお腹が鳴り出したことで読み聞かせの会は終わりを告げた。
 見ればいつの間にか外は暗くなっていて、今日はやけに1日が早く感じるなあと、長らく同じ体勢で座っていたせいで痛くなってしまったお尻に悲しみを抱きながらそんなことを思った。


 泉さんの料理に対する姿勢を思い出したのは、山のような雑誌が片付けられて少ししてからのことだった。

 食事のカロリー計算は当然のこと、普段口にする水の種類にも気を遣っていた泉さんに、私は過去に一度だけ料理を教わったことがあった。
 たしかあの時は包丁の握り方から盛りつけまで全て注意されたっけ。私はカロリーなんて無頓着で、水だって別に水道水でもいいんじゃないの派の人間だから、おそらく料理の点では泉さんと逆の価値観を持っている。昔の泉さんがあれだけ食事に制限をかけていたのだから、今もきっと変わっていないだろう。

 ふと、昨晩の泉さんの食べっぷりを思い出した。あまり食べていなかったけど、あんなに少量の食事で夜中にお腹は空かないのだろうか。私なら絶対に空いてしまう確信があるけれど。
 そもそも胃袋の大きさが私と違うのかもしれない。あまり食べなければその分胃袋が小さくなるのかも。それなら、私も食べる量を少しずつ減らしていけば少食になるのかなあ。そうなればカップラーメンなんて頻繁に買わなくて済むし、経済的にも余裕が生まれそうだ。昨日のあの美味しいしゃぶしゃぶをもう一度食べられるのも夢じゃないかも。
 自分の食生活について真剣に考えてしばらくたった頃、エプロンを着けていた泉さんに何が食べたいのかと訊ねられた。私は即座にそれに答える。

「煮込みハンバーグ!」
「また肉? あんたまじで牛になるんじゃない」
「牛でもなんでもいいです、私は煮込みハンバーグが食べたいです。さっきお風呂に入ってる時に特集されてるのを見ました!」
「ああ、やけに長風呂だとは思ってたけど、真昼間から湯船に浸かってそんなもの観てたわけ?」
「ご、ごめんなさい。テレビの存在に興奮しちゃって・・・・・・その」
「ふぅん、いいけど。じゃあもっと誠意を込めて俺にお願いしてくれる?」
「私は料理上手な泉さんが作る美味しい煮込みハンバーグを泉さんと一緒に素敵な夜景を見ながら食べたいです!」
「はい、いいよぉ」

 清潔感のあるベージュのエプロンを着けた姿はさながら主夫のようで、なんていうか、夫婦共同作業のような気分を感じさせる。なんてね、別に夫婦でもなければ恋人でもないんだけど。
 でも、ただの先輩・後輩の関係で、わざわざ家で一緒に料理なんてするのかな。そもそも料理って得意分野じゃないから邪魔になるだけだと思うのだけど。
 いろいろな想いを巡らせながら、渡された青と白のストライプ柄のエプロンをのんびり着けていると、背中に回そうとしていた手に突然あたたかい手のひらが触れて、私は驚きのあまり肩をびくつかせてしまった。
 小さく漏れてしまった声は聞かれていないだろうか、聞かれていないといいのだけど、でも、テレビも何もついていない部屋ではきっとバレてしまっているだろう。

「前から思ってたけどさぁ、マイペースすぎない? もっとテキパキ動けないわけ?」
「い、急ぐ必要なんてないじゃないですか」
「誰も急げとは言ってない。ていうかエプロンくらい持ってきてよ、これじゃデカすぎ」
「そんな無茶な・・・ご飯を作るなんて聞いてなかったですもん。それにエプロンなんて持ってませんし・・・」
「はぁ? ありえな・・・、ほら、締めるからね」

 そんな言葉と共にぎゅうぎゅうと苦しいくらいに腰紐を締められて思わず緩くしてと頼めば泉さんは楽しそうに笑って少し余裕を作ってくれた。
 どうやらわざとだったらしい。それにしたって、泉さんがこうして笑ったりするなんて本当に珍しい。今日の泉さんはご機嫌だ。

「泉さん?」
「なぁに」
「なにか嬉しいことでもあったんですか?」

 長い紐をお腹の前で結ぶため、くるりと回転させられた私は泉さんと向かい合ったまま訊ねる。
 手馴れた様子で綺麗なリボンを作ってくれた泉さんは少し黙って、「何もないけど」と言った。その言葉は絶対嘘だろうと思ってしまったけれど、きっと私に教える気はないのだろう。ちょっと踏み込みすぎちゃったかな、あまり私と関係のないことは聞かない方がいいのかもしれない。
 ひそかに肩を落とした私のことを泉さんが見ていたとも知らずに落ち込んでいれば名前を呼ばれた。慌てて返事をすると、どこから出したのか、手のひらに玉ねぎを押し付けられる。

「ハンバーグの作り方はわかる?」
「んん・・・・・・一応」
「そう、じゃあそれみじん切りにして。みじん切りって何だかわかる?」
「失礼な、わかりますよ! 細かくするやつでしょ!」
「そうそう、しっかり刻んでねぇ? 美味しいのが作れたらご褒美あげるから、頑張りな」
「ご褒美って?」

 本当は何のご褒美をもらえるかはお楽しみにしていた方が楽しみが倍増するのだろうけど、それが何なのか、私の性格だと料理をしている最中も気になって集中できなそうだ。
 気になりすぎて訊ねてみれば、冷蔵庫から挽肉やら卵やらを取り出していた泉さんが「前に食べたって嘘吐かれたやつ」と、ちょっと遠回しに教えてくれて。

 すぐに思い付いたのは、もちろん凛月さんに食べられたカップケーキのこと。
 別に悪意があって嘘を吐いたのではないけど、どちらにしても泉さんにとっては嘘を吐かれたことに違いがない。
 あの時のことを思い出して申し訳ない気持ちを抱きつつも、今度こそあの美味しそうなカップケーキを独り占めできることに嬉しくなって、私はこのあと、本気モードに入った泉さんに駄目出しを連発されることも知らず、呑気に鼻歌を歌いそうになりながら腕を捲っていたのだった。

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