「ちょ、なんで泣いてるのぉ!?」

 包丁の基本的な握り方から切り方まで、すべてにおいて駄目出しをされるものだから、深い憎しみを込めてひたすら玉ねぎをみじん切りにしていたのだけど、憎き玉ねぎの成分のせいで涙が止まらなくなってしまった。
 そうして辛い思いをしながらも玉ねぎに対抗心を燃やしていたら、ふと調理器具を出していた泉さんがこちらを見て、何でもないように視線を戻して、それから驚いたように再び私を見た。いわゆる二度見というやつだ。

 どうやら泉さんはあまりに料理ができない私に文句を言ったことが原因で泣き始めたのだと思ったらしく「別に始めから期待はしてなかったし、泣くようなことじゃないでしょ!」と、少しばかり焦ったように、何のフォローにもなっていない悲しい言葉を投げつけてくれた。

 なんにせよ、泉さんが珍しく罪悪感を抱いている。それに気付いた私はすぐさま悪知恵を働かせて、もっと優しく指導するようにと訴えた。ついでに泣き出す真似をしてみた。つまり泣き落とし作戦。
 これできっと泉さんは聖母のような優しい人になるだろうと踏んでいたのだけど、ちょうどその時、泉さんが細かく刻まれた玉ねぎに視線を移したのを見た私は、つい慌ててそれを隠すように動いてしまった。
 不自然に動いたことで泉さんは眉をぴくりと動かす。目に涙を浮かべたままやってしまったという顔をする私に、次の瞬間、泉さんは優しく微笑んだ。包丁を持っていたのが私で良かったと思うくらいにその笑顔がとても怖かったので、その後はどんな駄目出しも真摯に受け止めた。
 その甲斐あって、思わずお腹が鳴ってしまいそうなにおいを漂わせる綺麗な形をしたハンバーグが出来上がった。完成した煮込みハンバーグを目の当たりにした時は、思わず泉さんの手を取って喜んでしまうくらいにすごく嬉しかった。

「美味しそうですね」
「そうだねぇ」

 キッチンに手をついて、底の深いおしゃれな食器にハンバーグを取り分ける様子をじっと見つめる。
 あんまり見つめるから泉さんは少し居心地が悪そうな表情をしていたけれど、テキパキと、それでもって丁寧に、最後のひとつの星型にんじんも残さず、私の方のハンバーグの上にちょこんと乗せた。
 ついに完成だ。感動してぱちぱちと手を叩いていると、泉さんも満足そうに口角を上げていた。

「ハンバーグ、ひとつで足りるんですか?」
「むしろこれくらいで十分」
「・・・・・・ひょっとして私に気遣ってます?」
「まさか。あんたの胃袋と俺のを一緒にしないでくれる?」

 泉さんの方にはハンバーグがひとつ。私のには大きめのがふたつある。
 本当は少し小さめのハンバーグを4つ作る予定だったのだけど、あまり食べないからと言われたのだ。でも、あまりと言われてもそれがどれくらいだかわからない。だから食べたい大きさを尋ねたら、可愛らしい小さな丸を両の指で作ってくれたので、その時に私は思わず激怒した。いくらアイドルでもモデルさんでもそんな小さなハンバーグは認められない。そんなんじゃすぐにお腹が空いてしまう。
 泉さんにはいろいろと反論されてしまったけれど、ちゃんと聞いていなかったから内容は覚えていない。とにかく、一悶着の末にじゃんけんをして、私が負けてしまったから結局泉さんのハンバーグは泉さんの希望通り小さめになってしまったのだ。
 きっと美味しいものが出来上がるだろうに、少し悲しくなった私は意地悪で泉さんのハンバーグをハートの形にしたのだけど、それについては何も言及してくれていない。それはそれでちょっと気まずいというか、別にいいけれど。

「なまえ、ランチョンマットが引き出しに入ってるから適当に出して並べて」

 ほくほくと湯気の立つ美味しそうなお米をよそう姿を、ごはんが待ち遠しくて仕方がない子どものような気分で見ていたら、唐突にそんなことを言われた。言われた通り、泉さんが目で指した引き出しを開けてみると、何種類ものランチョンマットが綺麗に並んでいる。
 よく人を招くのかな。そんなことを思いながらもちょうど目に留まったクリーム色のものを泉さんのものとして選んだ。私のはしばらく悩んで、悩んだ末に赤色にした。そしてそれをテーブルに敷けば、煮込みハンバーグの入ったお皿を持ってきた泉さんがちょっとだけ笑う。

「あんたたちは趣味まで同じなの?」

 訳のわからないことを口にした泉さんに私は首を傾げていたけれど、やがて何を言わんとしているのかに気付く。不満を全面に出しながら口を開くと、泉さんはあえて私の声に被せるように、椅子に座るように促した。
 おそらく、選んだ赤い色のランチョンマットは凛月さんがよく使うものなのだろう。趣味が同じだなんて信じられない。偶然に決まっている。

 どちらがたくさんお酒を飲めるか、そんな子ども染みた喧嘩を振られて負けてしまったのは記憶に新しい。なんたって昨日のことだ。今頃の凛月さんは、どうせ気に食わない後輩を酔い潰したという最高に気持ちのいい思い出をおかずにごはんを食べていることだろう。
 ムカつく。ムカつくけれど、今日の夕飯はきっとひとりで食事をしている凛月さんの夕飯よりも贅沢な自信があった。なんたって泉さんと一緒に作った煮込みハンバーグなのだから。
 せっかくだし、次に凛月さんと会った時に自慢してあげよう。そう思い立った私はスマートフォンのカメラを起動して、しばらく連写機能を駆使しながらハンバーグの撮影会を開いていた。

「ちょっとぉ、うるさいんだけど! 動かないものを連写してどうするの、馬鹿じゃないの?」

 エプロンを外した泉さんがワインと2つのワイングラスを手にして戻ってきた。
 夕飯を食べた後すぐに帰る予定だった私も、この時ばかりは凛月さんに自慢するハンバーグのことで頭がいっぱいで、アルコールを断ることもすっかり忘れていた。ともかく、怒られてしまった私は写真を十分にゲットできたこともあって撮影会をおひらきにした。
 きっと凛月さんは悔しがるに違いない。自分も食べたかったと不機嫌な顔をする姿を思い浮かべながら、気分良くスマートフォンをテーブルに置こうとしたのだけど、何も言わずにワインを傾ける泉さんの綺麗な動作がふと目に留まった。

 慣れた手つきでワインを注ぐ泉さんが随分大人っぽく見えた、なんて、泉さんは見た目も中身も私よりずっと大人なんだけど。それでもその手先を見ていたら少しだけ胸が熱くなった。
 あたたかな色の照明にあてられて柔らかい色味を見せている肌のせいだろうか、いつもよりも泉さんが優しそうな男の人に見える。

 私は思わず泉さんにカメラを向けていた。シャッターの音が響くと、泉さんはすぐに顔を上げてこちらを見る。
 何かに酔わされたような気分でいた私はすぐに我に返る。怪訝な目を向ける泉さんの手の届かないところへと思い、スマートフォンを背中に隠した。

「何もしてません」
「駄目。貸して」
「泉さんなんて撮ってません」
「じゃあ見せなよ。俺を撮ってないなら見せられるでしょ?」
「でも」
「そのハンバーグ取り上げるよ」
「・・・それはいやです」

 あまりの圧に、しかたなく背中に隠していたそれを泉さんに差し出す。
 本当に、本当に無意識だったのだ。別に人気アイドルのオフのひとときを激写して横流ししようだなんて考えていない。こっそりホーム画面に設定して親密な関係を気取りたかったわけでもない。ただ泉さんを見ていたら、自分でも意識していないうちにカメラを向けてしまっただけで。
 泉さんはしっかり自分にピントが合っている画像を見て、呆れたように眉を下げていた。青い目がこちらを見たのと同時に私はついつい目を逸らす。

 高校生の時も、ファンの人に勝手に写真を撮られてよく怒っていたっけ。
 逃避の如く昔のことを思い出していると、やがて向かいから写真を撮る音が聞こえた。不思議に思っていると、泉さんは「あんな撮り方じゃせっかくの料理が台無し」と言葉を添えて私の手にスマートフォンを押し返した。画面に写っていたのは、雑誌に載っていても違和感がないくらいに上手に撮れているハンバーグで。
 やっぱり泉さんはすごい。そう思いつつも少し気になっていた画像一覧を開いて、私はすぐに泉さんに目を向けたのだけど、泉さんの視線は既にハンバーグの方へと向けられていた。

「あの、泉さん」
「出来立てが1番美味しいの、あんたならよくわかってるでしょ?」
「もちろんです、けど・・・・・・あの」
「早く食べるよ」

“泉さんの写真、消さなくていいんですか”

 喉まで出かかった言葉は結局ハンバーグと一緒に飲み込んだ。
 柔らかくもかなり熱々なそれを飲み込むのに大分苦労していたのだけれど、泉さんはそんな私の様子を馬鹿にしながらも水を持ってきてくれた。

「まあ、なまえにしては悪くない出来だねぇ」

 ついでのようにハンバーグを褒めてくれた泉さんから差し出された水を受け取った時、私の指と泉さんの指が微かに触れた。

 そう、この時。まさにこの時だった。
 泉さんの指に触れた時、透明の水に浮かぶ2つの氷がぶつかって音を立てた時、私はこの人にまた、性懲りもなく、恋心を抱き始めてしまっていたことに気付いてしまった。

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