しばらく泣いて魂が抜け切っていた私は、凛月さんに連れられて、いつの間にかファミリーレストランにいた。駅から離れた場所だったこともあってお客さんはあまりいない。凛月さんは私に気を遣ってか、身バレの心配もなさそうだねえ、と呑気に笑っていた。

「パンケーキもあるみたいだけど。食べる?」

 取りあえずドリンクバーを注文して、アイスココアを持ってくることはできたけれど、それ以降は動く気にもなれない。ただじっと黙ったまま赤いマグカップの中で揺れるチョコレート色を眺めていたのだけど、向かいに座ってメニューを眺めていた凛月さんがそう訊ねてきたので首を縦にした。

 未だに若干潤んでいる目の周りが痛い。
 顔をあげて凛月さんを見た。随分と泣いていたから濡れてしまっていたはずの洋服は夏の気温のおかげで乾き始めているようだ。少し安心して息を吐くと、それに気付いた凛月さんは目を細めて自分の右肩をそっと撫でた。もう乾いてるからと、そう言って手をひらひら振る。

「ごめんなさい」
「いいよ。むしろちょっとだけ感謝してるかな。外は灼熱地獄だったから、服が濡れたおかげで冷えて体調良くなった気がするしねぇ・・・」

 それはただ夜になったからじゃないの。言おうか一瞬悩んだけれど、凛月さんが気を利かせてくれていることを悟って、私は言葉を飲み込むために手元のココアに口をつけた。弾みでぶつかった氷がからんと音を立てる。
 少しだけ、泉さんとの楽しかった出来事を思い出して寂しくなった。

「そうだ。凛月さん、見てください」

 パンケーキを注文してからメロンソーダを飲んでいた凛月さんに声をかけると、赤い瞳がこちらを見る。私は得意気になりながら1枚の写真を表示させたスマートフォンをテーブルに置いた。不思議そうにそれを手にした凛月さんはしばらく瞬きを繰り返してから、なにこれと首を傾げる。
 写真はもちろん泉さんの家で作った煮込みハンバーグだ。かなり美味しそうに撮れているし実際すごく美味しかった。だから絶対に悔しがると思っていたのに、凛月さんの表情はいつもと変わらない。思っていたよりつまらない反応だ。
 補足も兼ねて身を乗り出し、画面に映っているハート型のハンバーグを指さした。

「これ、私が作ったんです」
「うん。知ってる」

 どうやら既に泉さんから聞いていたらしい。
 せっかく驚かせようと思ったのに、そんなことを思いつつも、泉さんはハンバーグ関連以外に私のことをなにか言っていたのだろうかだとか、今は元気にしているのかだとか、訊ねたいことが次から次へと出てくる。でも、いろいろなことがあったあとだから、こんなこと聞けるわけがない。
 もやもやした気持ちを抱えながらも視線の先の細い指が画面をスライドし始めたのを眺めていると、ふと凛月さんの瞳が丸くなった。そのすぐあとに微笑んだので、少し気になった私はなにかあっただろうかと考える。考えて、それからあることを思い出して、慌てて凛月さんの手からそれを奪い取った。
 画面を見てみれば思っていた通り、そこには泉さんがワインをグラスに注いでいる写真が表示されていて。

「セッちゃんもそんな顔するんだ」
「・・・・・・そんな顔ってどんな顔ですか」

 ぶっきらぼうに返すと、息を吐くのが聞こえてきた。わざとらしい溜息だった。

「わかってるくせに、言われなきゃわかんないの?」

 棘のある声色に思わず体を固めてしまう。
 覚えがあった。その声は、凛月さんが不機嫌になり始めたときに出すものと同じだった。凛月さんの昔の癖だけど、大人になった今もきっとそれは変わっていないのだろう。じっとりとこちらを見る瞳がそれを物語っている。
 私はおもむろにスマートフォンへと視線を落とした。泉さんは、わずかに顔を綻ばせている。眉を少し下げて、青い瞳を細めていた。それはすごく優しい表情だった。誰が見ても微笑んでいるのは一目瞭然ではあるけれど。凛月さんはそれを、普段は見せない表情だと、つまりはそう言った。

「セッちゃんにそんな顔させておいて、それなのにセッちゃんから逃げたの?」

 泉さんは、自分が悪いのだと、きっとそんな言い方をしていたんだろうなと今日の凛月さんの反応を見ていて思った。どうせなら全部私のせいにして、私が悪いのだと言いふらして、それで私のことなんて嫌いだと、電話なりなんなりでそう言ってくれれば良かったのに。
 まあ、言われないだけでもう既に嫌われてる、なんてことは十分ありえる話なんだけれど。


 そろそろパンケーキが来る頃だろうか。胸が詰まっているように息苦しくて、ぼんやりとそんなことを考え始めた頃、足を軽く蹴られた。
 多少の痛みに思わず顔を上げたけれど、凛月さんはこちらには目もくれず、メロンソーダを見ている。少しだけ微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「いいこと教えてあげる」
「え?」
「今日はね、セッちゃんにお願いされたから誘ったの。なまえはどうせ家にこもってヒキニート生活してるだろうから、外に連れ出して美味しいもの食べさせてやって、って」

 おもむろにストローをつまんだ凛月さんはぽつりと呟いた。メロンソーダの中、それをゆらゆら泳がす様子はまるで子どものようで、昔の凛月くんと重なった。

「あの」
「ん〜?」
「・・・・・・凛月くん」

 懐かしい、昔の呼び方。もう関わりもないし馴れ馴れしく呼ぶのもどうだろうと思って再会した時からさん付けだったから少し落ち着かないけれど、でも、やっぱりこっちの方が好きかもしれない。
 凛月くんは驚いたように目を丸くしていた。どうせなら煮込みハンバーグの写真を見せた時にその表情を見せてくれればよかったのに。そんなことも思いながらも、頬を緩めてくれた凛月くんへと口を開く。

「謝ったら・・・泉さん、許してくれるかな」

 どうして泉さんがこんな私のことをそこまで気にかけてくれるのかは未だによくわからないけれど。でも、今度はちゃんと向き合うから、だからもう一度だけチャンスがほしい。
 だけど、許してくれるだろうか。私は泉さんの手を払い除けてしまった。それだけじゃない。手の甲に爪を立てて傷をつけてしまった。
 それでも凛月くんは、私が抱いていた不安を口にしてすぐに、大丈夫と柔らかい声で返してくれた。

「大丈夫だよ。もし許してもらえなかったら、俺がセッちゃんのこと叱ってあげる」

 安心させるために言ってくれているのだろうかとも思ったけれど、どうもそうは見えない。凛月くんは確信があるように言い切った。それから、凛月くんは楽しそうな顔で「なにかプレゼントを贈れば喜ぶかも」と提案してくれたのだった。

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