chapter.5

秋〜冬


 冷たい雨が降りしきる昼下がり。今日は、もう数週間前のこと、泉さんとの一件をとりもってくれたお礼と報告を兼ねて、凛月くんと会う約束をしていた。

 この小さな喫茶店は、凛月くんの知り合いが経営しているらしい。カウンター席の端、慣れない雰囲気に初めこそ戸惑っていたけど、他愛のない話を振ってくれる凛月くんのおかけでいつの間にか気持ちはほぐれていた。

「泉さんとのこと、ありがとう」

 口にした珈琲がぬるくなってしまっていたことで随分と話し込んでいたことにやっと気付く。すっかり後回しにしてしまった泉さんとの一件についてお礼を言うと、凛月くんは「どういたしまして」とだけ言って珈琲を口にしていた。
 凛月くんにしては素っ気ないような、ちょっとだけ違和感のある態度だった。疑問に思って横顔を眺めていると、視線に気付いていたのか凛月くんはため息をついてこちらを見た。

「ねえ、セッちゃんにも連絡してあげてよ」

 思いがけない言葉に心臓が跳ねた。じっとりとした視線に思わず目を逸らす。違和感のある態度はそれが原因だったか。

「・・・・・・してます」
「嘘。なまえから連絡が来ないってクレームが来てるの。俺は仲介業者じゃないんだけど?」
「ご、ごめん。でも忙しそうだし、泉さんから連絡来たときには返信してるよ」
「セッちゃんが求めてるのはそういうのじゃないから。俺に連絡してくるように、なまえから連絡してほしいんでしょ」

 凛月くんの言う通り、泉さんからも生存報告くらいして、と遠回しに私から連絡してくるように小言を言われることがある。基本的に泉さんに対しては私から連絡は出来ていなくて、泉さんから連絡が来るのが恒例になっていた。
 時々、休日や私が寝る時間帯、メッセージが届いた時に返事をすると即電話がかかってくることもある。もちろんそれは嬉しいし、その時は普通に話せるのだけど、自分からとなるとどう連絡をしたらいいのかわからないのだ。

「セッちゃんのこと嫌いなの?」
「嫌いなわけないよ。でも・・・・・・なんて連絡を取ったらいいのかわからなくて」

 女の子として見ると言ってくれた日、あの日を境に泉さんから連絡が来ることは増えた。誘われて何度か食事もしている。あれからゆっくりと距離は縮まっている気がするけれど、それは泉さんが歩み寄ってくれているからであって、私からは全然出来ていない。ここままじゃ駄目だってわかってはいるんだけど。
 手のひらにおさまっているコーヒーカップに目を落とす。ゆらゆら揺れる湯気を眺めながら思わずため息をついてしまうと、凛月くんは私が思いのほか重症だと感じたのか「大丈夫だよ」と声をかけてくれた。

「セッちゃんはなまえを構いたくて仕方ないだけだから、どんな内容でも嬉しいと思うよ」
「そうかな」
「そうそう。ほら、腕時計のアレも見たでしょ? プレゼントなんていくらでももらってるのに、なまえからのプレゼントってだけであんなに喜んでたじゃん。なまえは特別扱いされてるの」
「アレって?」
「んん・・・知らないの?」

 何も知らずに首を傾げる私に凛月くんは驚いていた。話題になってたんだけどと言いつつスマートフォンを手にする。
 凛月くんは、たくさんあるアプリの中からあるSNSのアプリをタップして、慣れた手つきでアカウントを表示する。画面に表示された『瀬名泉』というアカウント名を見て、そしてプレゼントした腕時計をつけている泉さんの写真が表示されて息を飲む。

「泉さん、こんな写真投稿してたんだ」
「本当に見てないんだねぇ。ほら、可愛い後輩にもらった、だってよ」
「・・・・・・可愛いなんて言われたことないけど」

 シンプルなシルバーリングを合わせて、上手く腕時計を主張している。私と会う時にも時々着けてくれていて、気に入ってると言ってくれてはいたけど、こんな写真をアップしていたなんて全然知らなかった。
 見覚えがある場所、多分これはマンションの洗面所(というより、パウダールームという表現の方がしっくりくる広さだったけど)で撮った写真かな、なんて食い入るように見つめていた私に、気付けば凛月くんはにまにま笑っていた。いつの間にか手にしていたスマートフォンを慌てて返す。

「セッちゃん、こういうことは投稿しないタイプだから、本当は好きな人にもらったんじゃないかってちょっと盛り上がり気味」
「それ、あんまり良くないんじゃ・・・」
「そうだねぇ。まあ、誰からもらったかは明言してないし一応大丈夫なんじゃない? とにかくそういうわけだから、どんな内容でもなまえからの連絡はウェルカムだよ」

 セッちゃんにとってのなまえは特別だから。そう念押しするようにかけられた言葉に顔が熱くなってきてしまって、思わず冷めたコーヒーの残りを喉に流し込んだ。
 期待しそうになるけど、私は別に泉さんに告白されたわけではない。これからは後輩じゃなくて女の子として見ると言われただけで、決して好きとは言われていない。あの言葉は、今後は私のことも恋愛対象として見るというだけのことなのだろう。

「う・・・・・・なんか緊張してきた。凛月くん、泉さんってよく告白されてる?」
「どうだろうねぇ。性格がアレだし」
「泉さんは優しい人だよ」
「まあ世話好きな面はあるけど・・・そういうのは親しい人限定だから、塩対応がデフォだよ」
「親しい人って」

 言いかけて慌てて口を噤む。その中に女性はいるのか、そう問いたかったけど凛月くんを困らせてしまうだけだ。ほかにも恋愛対象として見ている女性がいるのだろうか。気になるけど、知らない方がいいこともあるだろう。

「ごめん、なんでもない。凛月くん、そろそろ収録の時間?」

 今日は夕方から収録だと言っていたっけ。話題を逸らすためだけに半ば当てずっぽうに聞いてみたのだけど、実際もうすぐだったようだ。凛月くんは時間を確認してから首を縦に振る。言いかけた私の言葉には何も言及はしなかった。

「がんばってね」
「ありがと。そういえば、なまえに渡そうと思ってたものがあるんだけど」

 そう言って、おもむろにジャケットの内ポケットから封筒のようなものを取り出した。
 紺色で、縁が金色の封筒だった。イベントのチケットを入れるような横長の形で、チェスの『ナイト』のマークが入っている。言われなくてもわかる、Knights絡みのものだろう。
 凛月くんは私の目の前にそれを置いた。

「あげる。今回だけ、特別にご招待」
「なに? ライブのチケット?」
「見てみたら?」
「開けていいの?」
「うん。いいよ」

 一瞬だけ凛月くんからの手紙かと思ったけど、さすがにそういうタイプではないし、招待ということは絶対違うだろう。クリスマスか、年末シーズンにあるライブのチケットかなにかだろうか。それとも実はKnightsのものと見せかけて全然関係ないものだったり。
 促されるまま封を開けて取り出してみると、1枚のチケットが入っていた。

「ベストアルバム発売記念握手会・・・?」

 目に入ったのは『Knights ベストアルバム発売記念 握手会』と『瀬名泉』という文字。凛月くんが私にくれたのは、どうやら握手会に参加できるチケットのようだ。泉さんの名前が書いてあるということは、泉さんと握手できるチケットということか。
 関係者用とかそういう感じだろうか。握手会にもそんなのあるのかな。思わずこれはどうしたのかと訊ねると、私の様子を楽しそうに眺めていた凛月くんはどうしたんだっけととぼけたふりをする。

「極秘ルートで入手したの。セッちゃんの反応が知りたいからセッちゃんには内緒にしてね」
「わ、わかった」

 凛月くんは唇に人差し指を立てて悪戯っ子のように笑う。細かいことははぐらかされてしまったけれど、Knightsなんて今では国民的アイドルグループなのに、まだ握手会なんてやってるんだ。

「ちゃんと大切に持って帰ってね」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、俺はそろそろ行くけど、なまえはどうする?」
「私も帰る。今日はお礼の日だから私が出すね。それからこれ、良かったら食べて」

 持ってきていたチョコレートを取り出して凛月くんに渡す。仕事に疲れた時とか、時々自分のご褒美として買っている、ちょっとの美味しいブランドのもの。
 凛月くんは赤い目を大きくさせて驚いていたけど、すぐに嬉しそうな顔になってここのチョコ好きなんだよねと、受け取ってくれた。

「なまえ、良いこと教えてあげる」
「なに?」

 チョコが嬉しかったのだろうか。上着を着て帰り支度をする私を待っていてくれた凛月くんは、「さすがにここまで言う義理はないから言わないつもりだったけど」と前置きをして私にあることをこっそり教えてくれたのだった。

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