見渡す限りの人、人、人。こんなにたくさんの人が集まる場所へ来るのも久し振り。久し振りすぎて酔ってしまいそうだ。
 だけど、これはそれほどまでにKnightsが人気だということで、かつてプロデューサーとしてこちらの世界に少しだけ足を踏み入れていた身としても、単純に同窓の身としてもうれしく思う。こんなことを思うのもちょっとおこがましいけれど。

 握手会は誰と握手するかによってブースが異なるらしく、途中、迷子になりながらも泉さんの列へと流れ着いた。整理番号順に並ばされて、私は最後尾。
 やっぱり、凛月くんがくれたのは関係者のチケットだったのだろうか。そんなことを思っていると、不意に前に並んでいた女性と視線が合う。なぜか少し羨ましそうな表情で、思わず首を傾げてしまうと、女性は慌てた様子で謝ってきた。

「すみません!」
「い、いえ。なにか……?」
「Knightsは最後の人に特別なファンサしてくれるって聞くので……最後尾、いいなあって」
「そうなんですか?」

 長年のファンらしく、その女性はKnightsについて、泉さんについてのあれこれもたくさん教えてくれた。たとえば、ライブで泉さんは月永先輩が近くにいるときはファンサを返してくれることが多いとか、凛月くんはやっぱり真緒くん絡みの団扇を見かけると寄ってきてくれることが多いとか。

「そういえば、泉くんのSNSって見てますか? 腕時計の写真があって」
「え。っと、はい、」
「あれ、好きな人からもらったと思いませんか⁉ 泉くん、ああいう投稿はしないタイプなのに」
「ああ、たしかに……?」

 心当たりがありすぎて、思わず曖昧に笑って流す。そういえば、凛月くんも同じようなことを言っていたっけ。冗談半分の話だと思っていたけれど、まさか本当に話題になっていたとは。
 合わせて話を続けるべきか、話題を変えるべきか、悩んだ結果、私は後者を選択した。おめでたいですよね、なんてことを言っていたけれど、私が話をすり替えるとすぐに合わせてくれて、そのあとは何事もなく、私の知らない彼らについてたくさん教えてくれた。
 そうして話に花を咲かせてどれくらいたったのだろうか。時間は長いようで短くて、いつの間にか順番は目前に迫っていた。前に並んでいた女性とお別れしてから少しして、私の番。

 Knightsのユニット衣装を生で見たのは何年振りだろう。細部こそアレンジされているものの昔の原型は留められていて、その衣装を見た瞬間、流れ込んできた懐かしい思い出の数々に思わず目を細めてしまった。反対に、目の前に立つ泉さんは目を丸くさせていたけれど。

「長い時間、待たせちゃってごめんねぇ?」

 一瞬の沈黙。泉さんは一度私から目を逸らしたあとにそう言った。声は仕事のときのもの、スタッフもそばにいるからか、他人の振りをすることにしたようだ。青い目が合わせろと訴えているので、慌てて大丈夫ですと言って手を差し出した。

「名前はなんていうの?」
「なまえです」
「なまえ、今日は俺のために来てくれてありがとう」

 泉さんの右手は手袋のせいでひんやりと冷たくて、あとから重ねられた左手はあたたかかった。なんだかんだ言って握手をするのは初めてだ。ちょっとうれしいかもしれない。

「泉さ、泉くんの手って、大きいんですね」

 呼び方なんてどうでも良いかもしれないけれど、泉さんではちょっと距離がある感じだ。そう思って『泉くん』と呼びかけてみると、泉さんは目を伏せた。どこかくすぐったそうな、そんな笑みを浮かべている。

「……、ん。そうだねぇ」

 重ねられた手と比べると、私の手は小さく見えた。わかってはいたつもりだったけれど。雰囲気は中性的なのに、こういうところで男性なのだと再認識させられる。
 皺もなく綺麗で滑らかな手をまじまじ眺めていると、やがて泉さんの手がするりと私の手から逃げていった。思っていたより長く観察してしまっていたようだ。

「すみません」
「いいよ、いくらでも見て。それより、かわいい服着てるけど、これからデートでも行くの?」
「あ、はい。このあと、ちょっと」
「俺以外の男と?」
「……んんと? そ、そうです」
「そう。嫉妬しちゃうんだけどぉ」

 からかっているのだろうか。たしかに今日の服はこの日のために用意したものだけれど、今日は誰でもなく、あなたと出かける予定なのですが。言いたくなるのを堪えながらも泉さんに流されるまま返事を合わせていく。

「ねえ、なまえが最後の番だったよね?」
「はい」
「じゃあ、『俺のことが一番好き』って言ってくれたら、特別にサインを書いてあげる」

 営業スマイルを浮かべた泉さん。最後の人に対して特別なファンサービスをしてくれるとは、先ほどまで話し相手になってくれていた女性が言っていたことだ。
 私に対してはそういうのはないと期待していなかったから驚いてしまった。たしかに、体感的に握手だけなら決められている時間はとっくに過ぎている。最後の人には制限時間をちょっと長めに設定してくれているのかな。

 促されるまま、とりあえずスケジュール帳(それ以外、サインを書けるようなものがなかった)を取り出して泉さんに手渡す。泉さんは、スケジュール帳の一ページ目を丁寧にめくってペンを片手に私を見た。
 これはあくまで仕事上での対応だろうか。他の人にもこういうことを言わせているのだろうか。私だけに対してのものだろうか。もうよくわからないけれど、泉さんのことが好きなのは本当だし、ここで言わないのも違和感があるし。仕方なく口を開く。
 顔が熱いけど、赤くなってはいないだろうか。

「泉くんが」
「呼び慣れてなさそうだねぇ」
「えっ」
「それ、普段と呼び方変えてるんじゃない? ちがう?」
「……、泉さん」
「うん、そっち。泉さんが、なに?」
「……本当に言わなきゃ駄目ですか?」
「言って」
「うう。泉さんが、一番好きです」
「ん、ありがと。俺もなまえが大好きだよ」

 絶対に楽しんでる。絶対にあとで文句を言ってやる。
 そう決意しながら泉さんの言われた通り言葉を口にすると、泉さんは柔らかく微笑んで返事をする。それが演技なのかは、素人の私では見抜くことはできなかった。

「はい、合格〜。特別だから、このことは他の子には内緒にしてよねぇ?」

 満足してくれたようだ。泉さんはやっと顔を伏せた。慣れた手つきで白紙のページにペンを滑らせて、昔から変わらないサインを書いてくれた。その右肩上がりのサインを眺めていれば、泉さんはそのサインの下にペンを当てた。なにを書くつもりだろう。眺めていると、小さくメッセージを書き始めた。

『終わったら連絡する 近くで待ってて』

 口に出すことのできない状態でのメッセージ。非日常のできごとに私は胸が高鳴っているけれど、泉さんは困っていることだろう。静かにスケジュール帳を閉じて一仕事終えたかのように息を吐く泉さんに、ごめんなさいと声を出さずに口を動かした。
 泉さんはまるで仕方がないとでも言うように、ちょっと笑って「またね」と言った。

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