アイドルとしての泉さんを生で見たのは卒業以来かもしれない。キラキラしていて、こんなこと思うのは恥ずかしいけれど、騎士を通り越してまるで王子さまみたいだった。サインとメッセージを書いてくれているときのペンの持ち方も綺麗だったし、もう何もかも完璧な人だ。
 本当にかっこよかったなあ。泉さん、普段もあれくらい優しい雰囲気で接してくれたらいいのになあ。プライベートの泉さんは厳しすぎる。もうちょっと私を甘やかしてくれたらいいのに。

「まあ、普段も優しいんだけ、ど、わわっ!」

 もともと私が握手会の最後の番だったこともあって、人もまばらな時間帯。
近くで待っててという泉さんの言いつけ通りに注意されない程度に施設内をふらついていたとき、突然誰かに腕を引かれた。
 咄嗟のことで体勢が保てなかったのと、静かにと小さく聞こえてきたその声がどこかで聞いたことのある声だったので抵抗することができなかった。そのまま私はそばにあったフロアに引き込まれた。即座に扉が閉じられる。

 解放された手でうるさい心臓を押さえながらうしろを見た。声色的には悪意はなさそうだけれど、平凡に生きてきた私にとっては大事件だ。ひょっとして泉さんの書いてくれたサインを狙った犯行だろうか。数秒の間にあれこれ考えながら精一杯犯人を睨みつけようとして、思わず「え」と声を漏らしてしまう。

「ご、ごめんね、なまえちゃん。そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど」

 そこにいたのは遊木真くんだった。それから、さっきも会った衣更真緒くん。
 私の腕を引っ張ったのは真緒くんの方だろう。真緒くんは悪びれた様子もなく「わりぃ」と笑っていた。これには普段温厚な私もさすがにちょっと文句を言いたくなったけれど、二人とも有名人だから状況的にこうせざるを得なかったのだろうと自分自身に言い聞かせて良いよと言った。真くんはホッとしたように安堵の表情を見せていた。

「真も会いたいって言うからさ、おまえのこと探してたんだよ」
「そうだったんだ。真くん、久し振りだね」
「本当に久し振り! ずっと心配だったんだよ」
「えへへ、ごめん……」

 実際、真くんに限っては久し振りな気がしないのだけど。そんなことを思ったけれど、余計なことは言わずに愛想笑いで返す。

 遊木真くん。ゆうくん。泉さんが大好きな人のひとり。
 ゆうくんオタクの泉さんは、私にもゆうくんオタクになれとばかりにオフのツーショットを送ってきたり、真くんが載っている雑誌を進呈してきたりする。だから真くんのことは泉さんを通して近況もよく知っているのだ。
 ともあれ、こんなことを告げ口すれば引かれてしまいそうなので内緒にする。真くんも泉さんの握手会に参加してたの、ありきたりな質問をすると、彼は予想に反して目を丸くさせた。

「あれ、聞いてない?」
「なにが?」
「なまえちゃんの持ってたチケット、僕が泉さんにもらったチケットなんだよ」

 言葉を失うというのはこういうことだろう。
私はあのチケットを凛月くんからもらったわけだけど、つまり、真くんが凛月くんにあのチケットを渡していたということ?
 泉さんが真くんにあげたチケットということは、相当に相当な価値のあるものだ。泉さんは真くんが来るのを心待ちにしてたはず、それなのに私が来たから内心ではがっかりしていたのではないだろうか。

「知らなかった……私は凛月くんにもらったんだけど」
「うん。僕が渡してって頼んだんだ」
「ど、どうしてそんな転売みたいなことを……きっと真くんが来るのを待ってたよ」
「それはないよ」
「どうして言いきれるのさ」
「そんなの、言われなくてもわかってるだろ〜?」
「……わかんないよ」
「目が泳いでるぞ」

 指摘されて、思わず目を手で覆い隠す。暗くて見えないけれど、二人が笑うのは聞こえてきた。
 泉さんの中での私の存在、私が思っている以上に大きいようだ。真くんが否定しないのがなによりの根拠だ。彼は、泉さんのことを本当によく知っているから。

「……ねえ、アイドルの彼女って大変かな」

 思わず訊ねていた言葉に、二人は目を丸くしていた。手を下げて、意味もなくバッグの持ち手を握り締める。
 ずっと考えていたこと、私では答えの出しようのないこと。二人はすぐに察したようだ。答えにくい質問だろうに、先に答えてくれたのは真緒くんだった。

「まあ、苦労かけることも多いけど……なあ?」
「ぼ、僕に振らないでよ、衣更くん。ん……でも、苦労させちゃう分、それ以上の幸せを与えてくれるはずだよ。……泉さんなら」

 泉さんのこととは言ってない、恥ずかしさのあまり言いかけたとき、扉が開く音がした。

「話は終わった?」

 そんな声がして、目の前に立っていた真くんが私のうしろに目を向けた途端に石のように固くなる。そしてそれを見て真緒くんは苦笑いをする。お決まりの展開だ。
 声の主は分かっている。振り返ると、さっきの衣装とは一転、ジャケットを羽織ってスマートカジュアルとでもいうような服装をした泉さんが立っていた。
 泉さんは私を見て両手を腰にあてる。怒ってますのアピールタイムだ。

「ちょっとぉ? 何度も連絡したんだけど」
「す、すみません。取り込み中で……」
「まったく。おかげで十分以上も待たされちゃった。どう落とし前をつけてくれるのぉ?」

 まさかこんなに早く泉さんの仕事が終わるとは思ってなかったんです。言いたいけれど、百で言い返されそうだから言えない。
 思わず真くんに目を向ける。助けを求めたかったのに、冷たい真くんは関わりたくないですとでも言うかのように困った様子で目を逸らした。

「ゆうくんに助けを求めないの」
「……はい」
「ごめんねぇ、ゆうくん。うちのなまえが迷惑かけちゃって」
「いや、僕たちがここに呼び込んだみたいなものだから……本当ごめんね、なまえちゃん」
「ううん。私は会えてうれしかったよ。真緒くんともまた会えたし」

 そんなことを話していてふと疑問を抱く。
そういえば、真くんを前にしたときの泉さんはこんなものじゃないはず。私が知っている泉さんはもっと熱烈な感じで、真くんに嫌がられるのが恒例のはずなのだけれど。

「何?」
「泉さん、本物?」
「偽物がこんなに美しいわけないでしょ」
「たしかに。……でも、真くんが目の前にいるのに」
「……うるさぁい。もう行くよ」
「あ、はい」

 年齢が変わると人との関わり方も変わるものだけれど、泉さんと真くんもそんな感じだろうか。それとも私の前だから我慢しているのだろうか。
 あとで聞いてみよう、そう思いながら二人に挨拶をして先に部屋を出てしまった泉さんを追いかけようとする。そんなとき、真くんが私を呼び止める。

「なまえちゃん、泉さんなら大丈夫だよ。絶対。頑張ってね」

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