泉さんに内緒で握手会に参加したこと、泉くんと親しげに呼んだこと、それからついでに凛月くんと頻繁に連絡を取り合っていること。それぞれについて気が遠くなるほど小言を言われたあと、いつの間にか私はタクシーの中、泉さんの隣に座っていた。
 握手会が終わったときはまだ明るかった外もすっかり暗くなっている。泉さんのお説教はいつも長いけど、今日は特別長かった。私に対して相当鬱憤が溜まっているのだろうか。

「泉さん、すみませんでした」

 会話もない中、長いお説教で飛んでいってしまった意識を取り戻した私がおもむろに謝ると、足を組んで外を眺めていた泉さんはこちらに目を向けた。
 今さら何に対する謝罪だと言わんばかりに目を細めている。すっかりご機嫌斜めになってしまっている泉さんに、真くんの話を振った。
 握手会のチケットについて、泉さんが真くんにあげたものだと聞いたことを言うと、泉さんは思い出したような声を漏らした。そうして別にいいよとも。
 私から顔を背けて言うのは、本当は真くんに来てほしかったからだろうか。真緒くんにはああ言われたけど、どうしてもネガティブな想像をしてしまう、私の悪い癖だ。

「真くんのこと、大好きなんですね」
「当然でしょ」

 真くんの特集されている雑誌を読み聞かせされたのも、もう懐かしい思い出だ。
 泉さんの中の真くんの存在は大きすぎて、なくてはならないような存在だ。おこがましいけれど、それがちょっとだけ羨ましいなと思った。

「……、そうだ! 泉さん。今朝、美容院行ってきたんですよ」
「だろうねぇ」
「あと、ネイルも。普段しないけど、ほら見てください」
「知ってる。俺が勧めたデザインだよねぇ」

 ネイルしていること、どうして知っているのだろう。そう思ってすぐに握手をしたことを思い出す。握手したのはほんの数秒程度だったのに、ちゃんと見てくれていたんだ。私なんて泉さんの手が意外と大きいだとかすべすべだとか、そんなことしか考えていなかったのに。
  私の催促で指先を見てくれていた泉さんは笑っていた。褒めてとばかりに気合を入れてきたところを教える私が子どものように見えたのかもしれない。

「なまえ」
「はい」
「ゆうくんと比べようとしなくていいから」
「……」
「俺が握手会で言ったことは全部本心。嘘はないよ」
「……そうですか」
「そ。だから安心して、なまえは今日のこれからのことだけを楽しみに考えればいいの」

 きっと、私のことを大好きだと言ったことも本心だと言いたいのだろう。真くんに張り合ってしまったことに恥ずかしさを感じながらも、そう言ってくれてほっとしている自分がいた。
 好きの重みは違うかもしれないけれど、私のことも好きでいてくれている。もしかしたら、握手会に訪れたのが真くんだった方が泉さんはうれしかったかもしれない。だけど、私でもうれしいと思ってくれてたってことでいいのかな。

 タクシーの運転手さんは気を利かせて存在感を消してくれているようだった。二人きりではないから本当はあまり話しすぎない方がいいのだろうけれど、なんだか話し足りなくて、つい口が動いてしまう。

「今日、久し振りにアイドルの泉さんを直接見れてうれしかったです」
「何、ライブにも来てくれてなかったわけ?」
「すみません」
「ふぅん? 本当にアイドルと距離を取ってたんだねぇ……。なまえとの過去の出来事は、時々テレビとかラジオで使わせてもらってたんだけど。知らないんだ」
「えっ、知りません。どんな話ですか?」
「教えてやんない」
「知りたいです」
「嫌。俺を追っかけてなかった自分を悔やみな」

 嘘か本当か分からないような口振りで言ったあと、泉さんはまた笑みを浮かべた。どうやら機嫌を取り戻してくれたようだ。
 それは良かったのだけど、私はといえば、話題にされていた出来事というのが気になりすぎて気が気じゃない。ネットで調べればわかるだろうか、スマートフォンを取り出して情報収集したくなるのを必死に抑える。泉さんは、そんな私を眺めていた。

「俺が長年誰かに片思いしてるって噂、聞いたことない?」

 おもむろに投げかけられた問いかけに顔を上げる。
 私が一ファンとして泉さんのことを追いかけていた時期は高校生で止まっている。そんな噂を耳にしたことも目にしたこともなくて首を横に振ると、泉さんは教えてくれた。一部の、特に昔から好きでいてくれているファンの中ではよく知られていることなのだと。

「小出しにしてたつもりだったんだけど、勘付かれちゃったみたい。ファンの子って凄いよねぇ」

 なんとなくわかった。泉さんが話題に使っていた私との出来事とは、おそらく過去の好きな人との出来事とか、恋愛事情とかそういう類のことだろう。はっきりとは言ってくれないけど、泉さんは高校生の頃から私に気があったと、今、遠回しにアピールをされているのだと思う。
 刺さる視線に耐えきれずに爪に目を落とす。このネイルも、今日の髪型も、全部、泉さんに良く思ってもらいたくてしたものだ。だけどこうして泉さんからアピールをされると緊張してしまってどうしようもなくなってしまう。泉さんの気持ちを素直に受け取れない。

「耳が赤くなってるよぉ」
「気のせいです」
「まったく、本当に手のかかる子だよねぇ。どうしたらそんなひねくれちゃうわけ?」

 泉さんには言われたくない。喉まで出かかったけれど、たしかに私の方がひねくれているような気がして、言葉に出すのはやめておいた。

「……と、ところで。今日はこれからどこに行くんですか?」
「ん。まあ、ちょっとしたビルで食事して、ついでに夜景を観てって感じかな」
「わ、夢みたいなプランですね」
「俺が考えたんだから当然でしょぉ? 後悔はさせないから、楽しみにしてて」

 本心を言うと泉さんとならどこだって良いのだけど、泉さんのことだからきっとそれなりの場所を探してくれているんだろうな。
 楽しみですと笑顔を作って、私はこっそり自分の両手を握った。

 今日は、私が気持ちを伝える日でもある。私に告白をしてくれた泉さんへ返事をする日だ。
 ずっと楽しみにしていた日でもあるけれど、実は緊張の方が大きい。私の手が震えていること、泉さんには気付かれていないといいな。

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