緊張のせいか話題が出てこなくて、だけど沈黙は辛くて、と。
 そんな私の様子を見かねたのか、泉さんが何気ない話題を振って気を紛らわせてくれたおかげで、タクシーから降りる頃には手の震えも止まっていた。
 冷たい夜風にぶるりと身震いしたあと、少し先にイルミネーションで輝くいくつもの建物が並んでいるのに気付いた。おそらく、クリスマスマーケット。ここからでも飾られているオーナメントまではっきりとわかるくらいの大きなツリーに思わず息を漏らす。綺麗。人もたくさんいて、楽しそうだなあ。

「何、行きたいのぉ?」
「あ……いえ。見てただけです」

 行きたいけれど、泉さんがアイドルである限り、ああいうところには行けない。それは今後もずっと変わることはないだろう。わかってはいるけれど、好きな人とのデートの場所が限られてしまうのはやっぱり悲しいことには変わりない。なんて思ったところで、こればかりは仕方のないことなのだけど。

「……あ、泉さん! 今日の夕飯は蟹ですか? しゃぶしゃぶ? ひょっとしてステーキ?」

 空気が重くなってしまったことに気付いて慌てて話題を変える。

「ん……残念だけど全部はずれ。イタリアンだけど、気分じゃなかった?」

 いつの間にか変装のために帽子と眼鏡をつけていた泉さんは、私の問いかけに答えながらも自分のマフラーをほどいて、それを私の首に巻いてくれた。お礼を言いながら話を続ける。

「ふふん、パスタもピザも大好物ですよ」
「知ってる。ちなみに、今日行くところはボロネーゼがおすすめ」
「わ、絶対食べたいです!」

 泉さんのおすすめは間違いなくおいしい。これから行く店のボロネーゼに思いを馳せる。そういえば、今日は朝からあまり食べていなかったから、お腹が空いているような。そう思った途端、突然空腹感に襲われてお腹が鳴ってしまいそうになった。
 話題を変えて空気を明るくしようと思っていたのだけど、食のこととなるとついつい食い気味になってしまう。食事モードに切り替わった私に対してちょっと前の泉さんなら引いていただろうに、今日は困ったように笑っていた。

「ほんと、変わらないねぇ」


 ドレスコードがあると言われていたから心構えはしていたつもり。だけどそれを上回るくらいの敷居の高い店の雰囲気に、私は思わず泉さんに泣きついた。ファミレスでいいですとしがみつく私に、泉さんは「嫌」と一蹴。
 半ば引きずられるようにして入店して、予約してくれていたコース料理を機械のように食べ続ける。あまりの緊張っぷりに泉さんも苦笑いだ。前菜さえも喉を通らない。そんなことが続いてしばらくした頃、ようやく本命のボロネーゼが運ばれてくる。

「おいしそう!」
「あんまりがっついて喉に詰らせないようにねぇ?」
「そんなことしませんよ」
「ふぅん? ……そういえば、学生の時もイタリアンの店に行ったっけ」

 慣れた手つきでボロネーゼをフォークで巻き取る様子を真似していたとき、泉さんが不意にそんなことを言った。懐かしそうに目を細めている。そんな出来事あったっけ。なかったような、あったような。昔の記憶を手繰り寄せて、ああ、と思わず呟く。
 一度だけ行ったことがあった。泉さんとの二人でのレッスンの帰りに、学校近くの店でご飯を食べたことがあった。お客さんも多くなくて居心地のいい店。ここのボロネーゼには敵わないけれど、そこの料理もおいしかった覚えがある。

「懐かしいですね。たしか、あのときは私が泉さんを誘いましたよね。本当に一緒に行ってくれるとは思ってなくて、ちょっと驚きました」
「まあ、あの頃から気があったから」
「え。えっと。また行きたいですね」
「残念。あそこは店を畳んでるからもうないよ。何年か前に見たけどなくなってたから」
「そうですか……」

 一度しか行ったことのない場所だったけど、はじめて泉さんと学院以外で食事をした場所だった。思い出の場所には変わりない。

「この歳にもなると、子どもの頃の思い出の場所がいつの間にかなくなってたりしますよね。仕方ないことですけど……寂しいなあ」
「まあね。でも、その分、新しい思い出の場所を作っていけばいいんじゃない? この店だって先々思い出の場所になるだろうし」
「あはは、たしかに。泉さんのそういう前向きな考え方、好きです」
「ふふ、惚れた?」
「な、なんなんですかさっきから」

 羽風さんみたいになってますよ、言いかけて慌てて口を閉じる。泉さんのことだから絶対に怒るだろう。万が一、こんな静かなところでお説教が始まってしまったらたまらない。時々混ぜ込んでくるアピールのようなものに負けないように、深呼吸をしてボロネーゼを食べる。気を紛らわせるために食事に全集中する私を、泉さんは眩しいくらいに優しげな顔で眺めていた。

「また会えてよかった」

 そんな言葉に、思わず顔を上げる。
 今日の泉さんは、まるでたたみかけるかのように雰囲気を作ろうとしてくる。本当はまだ心の準備が出来ていないから、そういう雰囲気にはしたくなくて、泉さんとの何気ない会話を楽しみたい気持ちもあるのだけど。これはもう腹をくくるしかないだろうか。

「私も、泉さんと再会できてよかったです」

 正直な気持ちを口にすると、泉さんの身体がぴくりと動く。私の答えが想定外だったからなのか、泉さんは静かにグラスを手にして水を飲む。頬がちょっとだけ赤くなっている。

「思ってないでしょ。社交辞令はいいから」
「社交辞令じゃないですよ。毎日泉さんのことを考えてます。同窓会のときだって、泉さんと会えたらいいなって思ってましたよ」
「ふぅん?」
「……本当ですからね?」
「もう、わかったってば」

 正直に言ってるのに。一抹の不満を抱きながら泉さんが上品に食べる様子を眺めていたら、思っていたより気持ちが表情に出ていたのだろう、「睨むな」と怒られてしまった。

「食べにくいからこっち見ないでくれる?」
「対面なんだから仕方ないじゃないですか。……、それにしても、泉さん、本当に綺麗に食べますね。私にもコツ教えてください」
「なんでわざわざこんなところで教えなきゃいけないのぉ? まあいいけど。ほら、フォークをこうして……」

 文句を言いつつも聞けば丁寧でわかりやすく教えてくれる。泉さんの好きなところのひとつ。
 泉さんによる食事教室が始まったことで、告白の返事をするタイミングは失われた。なんて、わざと逸らしたのだけど。やっぱり、食事中に話すことではないかなって。

「泉さん」
「なぁに」
「あとで話したいことがあります」

 覚悟を決めるための言葉に対して、泉さんは目を伏せる。

「……わかった。夜景を観ながらね」

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