泉さんと再会した春。喧嘩をした夏。仲直りをした秋。そして今、冬。
こうして振り返ってみると、今年は泉さんとばかり関わっていた気がする。
泉さんとの思い出がたくさんできた。きっと、泉さんの言う通りに今日このときの出来事も夢のような尊い思い出になるのだろう。
ビルの高層階。一面がガラス張りになっているからどこからでも夜景を一望できる場所。
有名な場所だけど今まで来たことはなかった。見える世界があんまりにも綺麗だったから、思わず息を飲んでしばらく呆然としてしまった。窺うような視線に気付いて泉さんを見る。
「綺麗ですね」
私が言うと、泉さんはそれだけで満足そうな表情を浮かべた。
「それにしても、やけに人が少ないような……」
たしか、ここは予約が取りにくいことでも有名な場所だったはずだ。もっとたくさんのお客さんがいてもおかしくはないはずなのに、フロアにはまったくと言っていいほど人がいない。おかげで泉さんの変装がゆるいままで済んでいるからありがたいけれど。
「そう?」
そんな白々しい一言により、泉さんによる、なんらかの力が働いていることを悟る。
夜景を観るのは私の大好きなことの一つだ。泉さんのことだから、ずっと前からなにかしらの手配をしてくれていたのかもしれない。泉さんはいつだって私のことを考えてくれている。こんな人、きっとこの先、出会うことはないだろう。
「それで、話って?」
おもむろに投げかけられた言葉に背筋を伸ばす。まさか泉さんから振ってくるとは思わなくて、まだ言うことを考えていなかった。泉さんは私が喋りだすのを待っているようで黙ったままでいる。手をさすって、しばらくして目の前の夜景に視線を移す。
泉さんの家から眺める景色とはまた違う、都心からそうじゃないところまでくまなく見通せる景色をじっと眺める。震える手を一度握り締めたあと、私はまず都心を指さした。
「泉さんの家はこっちですね。建物がいっぱいあって、眩しい方」
「そうだねぇ」
「私の住んでる場所はあっちの方面。明かりが少なくてわかりにくいですけど」
「……ん」
「……泉さん。私と泉さん、やっぱり釣り合ってないと思いませんか」
都心に住んでいる泉さんと、田舎に住んでいる私。アイドルと一般人。モデルと一般人。
どう考えたって釣り合ってはいない。思わず笑ってしまうくらいに。
泉さんは口を閉ざしていた。なにを考えているのだろう。顔を見て言う勇気はなくて眼下の景色を眺めたままでいたけれど、いつまで待っても泉さんがなにも言わないから、耐えきれずに顔を上げた。青い瞳と目が合う。
「私だって泉さんのことは好きです。この先も一緒にいたいと思ってます。……けど、アイドルの泉さんとは外でのデートも難しくて……」
歯切れの悪い言葉だけど、泉さんには伝わったようだ。泉さんは重たい息を吐いて、一度夜景に目を移す。しばらくしてからまたこちらを見た。「ごめん」と、呟くようにして言う。
「それでも付き合いたいの」
「どうしてそんなに……」
「好きだから以外になにがあるの。俺が幸せにしてあげたいの。不器用でどんくさくて、世界でいちばんかわいいなまえを」
怒っているような、苦しそうな顔で泉さんは言った。
そんな表情のときだって泉さんは綺麗で、私はその吸い込まれてしまいそうな瞳から目が逸らせない。
目の奥が熱い。不器用もどんくさいも、ほとんど悪口じゃないですか、なんて笑って返せれば良かったのだけど、溢れ出る涙が邪魔をする。こんなに真っ直ぐに想いを伝えられたのは初めてで、言葉よりも涙が出てきてしまう。伝う涙は泉さんが指先でそっと拭ってくれた。
「クリスマスマーケットも本当は行きたかったんでしょ。ごめん、叶えてあげられなくて」
「だいじょうぶ、大丈夫です」
「……この業界を辞めることはできないけど、なるべく我慢させないように考えるから。俺は世界中のどんな奴よりもなまえを幸せにしてあげられる自信があるの。だから、もう少し前向きに考えてよ」
ひとつ、わかったことがある。
泉さんは、私が告白を断っても引き下がってくれないだろうということ。
告白を断ることさえもさせてくれないのだから、たとえ断ったとしても泉さんは押してくるはず。昔からこうと決めたことは諦めない人だ。私に対しても同じなのだろう。
ふと、真くんの「泉さんなら大丈夫」という言葉を思い出す。きっと凛月くんも同じことを言うだろう。なるちゃんや真緒くん、月永先輩も言うかもしれない。
泉さんもここまで言ってくれているのだから、もう、覚悟を決めるべきなのかもしれない。
「そうだ、プレゼントがあるんだけど」
泉さんの中では告白の返事はまた保留となったのか、それとも話題を変えたかったのか、不意にそんなことを口にした。
差し出されたのは縦長の形をした箱。印字されているのはブランド名だろうか。イタリア語だろうか、読むことはできなかった。私はそれを受け取って箱と泉さんを交互に見る。
「腕時計のお礼。と、もうすぐクリスマスだから、クリスマスプレゼントも兼ねて」
「うれしいです。いま開けてもいいですか?」
「ん、いいよ」
包装はされていない。この場で開けられるようにとの気遣いだろうか。
箱を落とさないようにそっと開けてみれば、中にはメッセージカードと、シンプルな一粒の宝石がついたネックレスが入っていた。
「わあ……! 綺麗!」
ダイヤモンドだろうか、フロアの照明で反射して、キラキラと眩しいくらいに光っている。
「俺が選んだものなんだから当然でしょぉ?」
「こんな素敵なもの、もらっちゃっていいんですか? このメッセージカードも……、こん、あもーれ? どう意味ですか?」
「内緒。ネックレス、つけてあげようか」
泉さんの提案に一瞬の間を置いて頷いた。
泉さんは先ほどまでの大事な話をすっかり忘れたかのように油断している。
私が行動するには、きっとこのタイミングしかない。
「泉さん、正面からつけてほしいです」
「背中側でつける方が楽なんだけど?」
「正面の方がうれしいです」
「なに、俺の綺麗な顔を近くで見たいのぉ? いいけど、突然噛みつかないでよ」
「ふふ、気をつけます」
返事をしてしまえば、もうあとには引けない。だけど、泉さんはこんなにも私のことを想ってくれている。後悔なんてさせてもらえないくらいに幸せにしてくれるだろう。だから私も泉さんを幸せにしたい。大丈夫。きっと大丈夫。
ネックレスの入った箱を一度泉さんに返す。泉さんはその箱から丁寧にネックレスを取って、それを手に一歩近付いてくる。ふわりと漂ってきたのは、同窓会のときと同じ香水。
指先は私の首のうしろで悪戦苦闘していたけれど、しばらくしたあと、指の動きが止まった。
宝石が首元でキラリと光った。
「はい、ついたよ」
ネックレスを付けてくれていた泉さんが満足そうな顔をした。そうして私から離れようとする直前、今度は私が泉さんの首のうしろに腕を回して一歩だけ近付いた。
ちょっとだけ背伸びをする。
「ちょ、っ」
泉さんの驚いた顔は見届けた。半歩、逃げようとして逃げなかったのもしっかり見届けた。それからは目を閉じてしまったから、どんな表情をしていたかはわからない。
泉さんの柔らかい唇に私のものを一瞬だけ触れさせてすぐに離れた。目を開けたとき、泉さんは相変わらず目を丸くしていて、思わず笑ってしまった。
「好きです、泉さん。……ずっと悩んでいてごめんなさい。泉さんのことが世界で一番好きです。だから、ずっと隣にいたいです。私と、付き合ってください」
今日は泉さんのことを困らせてばかりだ。泉さんは何度目かもわからない困った顔をする。
だけどそれも一瞬のことで、息を吸って吐いて、いつもの調子で笑みを浮かべた。
「下手くそなキスだねぇ」
「い、今それはどうでもいいじゃないですか」
「駄目。本当のキスを教えてあげる」
「いや、いいで、わっ」
伸びてきた腕に抱き寄せられてキスをされる。丁寧で優しくて、だけど食べられてしまうのではないかと思うようなキスに、耐え切る前に死ぬんじゃないかと思ってしまった。
今まで生きてきた中で一番と思うほどに身体が熱い。
けど、今まで生きてきた中で、一番幸せな気分だった。
「は、」
足りなくなった酸素を補うように息を吸う。
思わず泉さんを見れば、泉さんの頬はわずかに赤くなっていた。
「四回目、ですね」
一回目はおぼろげな記憶。同窓会の日の夜のこと。
夢だったのか現実のことなのかもあやふやな出来事だけど、もういい加減わかっている。泉さんの家で見た夢が正夢だったこと、あの夜の私がなにをして、なにをされたかはなんとなく思い出せた。そんなことはもちろん泉さんには伝えていなくて、どんな反応をするかと気になっていたけれど、泉さんはしばらく無言になったあと、気まずそうに目を逸らす。
「……なぁに、覚えてたの?」
「はい、正確には思い出したんですけど」
「ふぅん。でも、全部は思い出してないみたいだねぇ。キスは一回だけじゃなかったし」
「えっ」
「ふふ。ごめんねぇ?」
「……いいですけど。それより泉さん、あのとき、私が『どうして』って聞いたと思うんですけど、覚えてますか?」
「覚えてるけど」
「あのあと、なんて言ったんですか?」
「ああ、忘れちゃった? もう何度も言ってることだし、別に大したことではないんだけど」
「知りたいです」
「仕方ないから教えてあげる」
泉さんは私の頬を撫でた。触れるか触れないかの具合で触るものだからこそばゆくて笑うと、泉さんも口元を緩めていた。
「なまえのことが好きだからって言ったの。……ほら、大したことじゃないでしょ?」
泉さんは恥ずかしそうにそう言って夜景に目を向けた。
予想していた通りの言葉だったけれど、ずっと気になっていた続きを知れて、胸が熱くなる。
泉さんは、本当にずっと私のことが好きだったんだ。
思わず泉さんに寄り添ってみた。くすりと笑うのが聞こえてきて、泉さんの身体が私に傾く。
そうして、人目につかないのを良いことに、私は泉さんの腕にそっと手を回した。
「泉さん、大好きです」
「知ってる。俺もなまえが大好きだよ」
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