chapter.1


 慣れないドレスに慣れないパンプス。
 かつてプロデューサーとして関わりを持っていたからか、私は光栄なことに夢ノ咲学院で学院生活を共にしていた先輩方の同窓会に招待された。
 もちろん嬉しかったけれど、その分緊張も大きい。なにせ約10年振り。アイドルとして芸能界で輝く彼らの様子は紙や電子機器などの媒体を通してある程度知っていたけれど、実際対面するのは卒業以来今日がはじめてだ。先輩たちは私のことを覚えているのだろうか、朝から続く腹痛は未だに治りそうにない。

 ライムグリーンのドレスがパンプスの動きに合わせてぎこちなく揺れる。緊張しているからか、慣れない靴だからか、はたまた両方か。そんなことを考える余裕すらもなく、二足歩行をはじめたばかりの赤ちゃんよろしくふらふらと覚束ない足取りで歩く姿に受付の人は顔を強ばらせていた。私はその必死に笑いを堪えている肩を見て息を吐く。本来なら華やかに揺れるはずのドレスも腹痛に耐える私のせいで不恰好だ。


「あれっ、君」

 まるで貴族の華やかなパーティのような会場に圧倒されて、並べられている美味しそうな料理を端の方から眺めていた時、ふと横から声をかけられた。

「羽風さん?」
「やっほ、久し振り」

 声をかけてくれたのは羽風さんだった。
 お腹は痛いし空いてるし、ひとりで寂しいし、どうしたらいいかわからないし。そんな死にそうな気分で顔を上げれば、羽風さんに髪を優しく撫でられた。触れるか触れないかのギリギリで撫でるのは、きっとセットした髪が崩れないようにという気遣いだろう。昔と変わらない羽風さんの様子に、お腹の痛みが少しだけ和らいだ。

「あんまり動かないから新人のコンパニオンかと思ったよ。なまえちゃん、かわいくなったね」

 もちろん前からかわいかったけどさ、なんてウインクをされて顔に熱が集まる。本気で思ってないことは察しがつくけれど、あまり褒められることに慣れていない私にとってこれは大事件だ。羽風さんは感極まって泣き出した私を見て、お笑い芸人の面白いコントを見たかのように笑っていた。

「もしかして、芸人目指してる?そっちの方にも知り合いいるから紹介しよっか」
「だ、大丈夫です。あの、羽風さん。あっちにローストビーフありましたか・・・?」
「うん、あったよ。一緒に取りに行く?」
「はいっ!」
「あはは、雛鳥みたい。おいでおいで」

 会場に足を踏み入れて早々あまりの広さと華やかさに恐縮して端に逃げてしまったから、どんな料理があるのか確認できていなかった。
 会場の中は男性ばかりで、女性はほぼゼロだった。だから女性がいるのを見かけてここまで逃げてきたわけだけど、羽風さんが来るまで相手をしてくれていた隣の女性はきっと本物のコンパニオンさんなのだろう。お礼を言うと彼女はにっこりと笑って去っていった。

「そういえば羽風さん、売上ランキング1位おめでとうございます」
「ありがと。ひょっとしてなまえちゃんも俺たちのアルバム、買ってくれたのかな?」
「もちろんです!ずっとファンです!」
「うまいねえ。それ朔間さんにも直接言ってあげてよ。きっと喜ぶから」
「うーん、でも、私のこと覚えててくれてるかどうか・・・」
「君のことを忘れてる人なんていないよ」
「そうかなあ」
「ほんとほんと。特に瀬名泉クンとか、絶対覚えてるよ。ていうか、さっきなまえちゃんのこと探してたみたいだっだし」
「泉さんが?」

 「泉さん」なんて言ったのはどれくらいぶりだろう。懐かしい響きが漏れて思わず口を押さえる。だけど口元を隠してしまったらローストビーフを食べる術がない。困っていると、羽風さんは、かの受付の男性と同じような表情をしながら手を退かすといいよと言った。
 貧乏性だからローストビーフなんて滅多に食べられるものじゃない。泉さんに会えるかもしれない、という少しばかりの期待を抱きながらもその美味しさに感動してひたすら食べ続けているとふと懐かしい声が私を呼んだ。
 驚いて肩が跳ねたし、驚きすぎてローストビーフを飲み込んでしまい天に召されるかと思ったくらい。慌てて隣を見たけれど、そこにいたはずの羽風さんは姿を消していて助けを求めることはできない。

 覚悟を決めてそろそろと声がした方に顔を向ける。
 視線が絡むと、泉さんは目を細めた。


 「綺麗になった」なんて言われると思っていなかったから、羽風さんの時のように感極まって泣き出すかと思いきや、表情すら作れず固まってしまったし、もうなにがなんだか、自分が誰なのかもわからなくなった。
 自分の名前すらも忘れかけるくらいパニックになっていた私は久しぶりの挨拶もそこそこに「泉さん!どうぞ!これはローストビーフというものです!ご賞味あれ!」とかなんとか言いながら泉さんの口にローストビーフを持っていってしまうという失態をおかした。正直にいうと死にたかった。結局、泉さんが合わせるように少し屈んでそれを食べてくれたから救われたものの、あの時の怪訝な顔は忘れられないし、泉さんもあの時の私の奇行を一生忘れないだろう。

 ともあれ、ああしてこうしてどうしてか、同窓会をしばらく楽しんだあとに誘われるがままお祭り騒ぎ状態の会場をこっそりと抜け出して今は泉さんと2人きりでバーにいた。
 なにも言わずにお酒をあおる泉さんになんと言えばいいかわからず、ただ手元にあるカクテルを眺めながら会話のきっかけを探す。実は先ほどの同窓会で嫌というほどお酒を飲んでいた(高校の頃、特に仲良くしてくれていた鬼龍先輩や守沢先輩に捕まりほいほいとシャンパングラスを渡されて煽られるがまま飲み続けていた)からお腹はタプタプだし頭もクラクラしている。これ以上飲んだら眠ってしまいそうでなかなか口をつけられない。

「なまえは今仕事してるの」
「はい」
「ふぅん」

 美しい海を思わせるアクアブルーのカクテルを見つめたままでいると会話がまた途切れる。途切れたまま、泉さんはじっと動かない。これはもしや、ひょっとしたら、私の返事を待っている?

「その、ですね。今は悩んだり苦しんでいる子たちの手助けをする仕事をしています」
「カウンセラーってこと?」
「はい」
「・・・・・・あんたはあの頃も相談だけはやたらと受けてたもんねぇ」

 懐かしそうに目を細めた泉さんの横顔は、あの頃の面影を残しつつも、あの頃よりも大人びていた。
 今や泉さんはトップアイドルで、大人気グラビアモデルだ。きっと仕事で大忙しのはずなのに目元に隈がなければ肌だって綺麗で、さらには爪だって綺麗に切り揃えられている。9年経っても依然としてケアを怠らない泉さんに思わず笑みを零すと青い瞳がちらりとこちらを見た。

「笑われるようなこと言ってないんだけど」
「ごめんなさい。泉さん、昔と変わらないなあって思って。悩みとかないんですか?」
「あんたにカウンセリングしてもらうほど困ってない」
「そうですか」

 グラスに口をつけてアクアブルーの海を飲み込む。爽やかな味が広がって、まるで本当に海にいるような気分。今年の夏は海外へ旅に出てみようかな。海に浮かぶ家とか、1度でいいから泊まってみたい。

「泉さん」
「なぁに」

 酔いが回り始めたのかもしれない。なんだか、今ならなんでも話せそうだ。

 目を閉じて昔の記憶を辿った。泉さんと最後に会ったあの日、私が言わなかったこと。ずっと心に隠していたこと。
 9年経った今、私はもうずいぶんと大人になった。あの時の恋心は昔のものだと笑い飛ばせるくらいに成長した。このまま死ぬまで私だけの秘密にしておこうと思ったけれど、こうしてまた会えたんだもん。いいよね。

「私は高校生のころ、泉さんのことが好きだったんです」

 花屋に駆け込んだあの日のこと、今でも鮮明に覚えている。

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