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「どうしました?」

静止した蓮を、桜は不思議そうに見つめる。攻撃を止めた自分に真意に気付かれたくないのだろう。凝視されると、蓮は妙に居心地が悪くなった。

舌打ちをして、吐き捨てるように終わりを告げる。桜はやはり、さして気を悪くした様子もなく了承した。

だが一方的に刀を振るい、勝手に止めた蓮自身が、その後何のアクションも起こさないものだから、暫し2人の間は静寂に包まれた。




「茶」

沈黙を破ったのは蓮だった。その余りに短い音に、桜は一瞬何を言われたのかわからなかったのか、素っ頓狂な声で聞き返してしまう。

「はい?」

「持ってきたのだろう?」

「……! ええ、今淹れますね」

嬉々として急須にお湯を入れる桜を見ながら、蓮は自分の行動の不可解さに呆れていた。

このメイドに会わなかった日々は何か物足りなかった。今も、無駄と言っても憂さ晴らしに切り刻むことはできたのに、傷の一つすら負わせることを心が拒んだ。

桜といると気に障ることばかりであるというのに。

何を質しても、納得など出来ず煙に巻かれるようだ。それでも、そこにほんの僅か安堵する心持ちが生まれる。

(気の迷いだ。精霊王となる男が、これではとんだ笑い者だ)

「お前は麻倉葉と顔馴染なのだろう?」

蓮は最早何十回と尋ねた質問をまた、口にする。この女が敵であることを自分の心に刷り込むルーティンと化していた。

「ええ、そうですよ」

「ならば今、この茶に毒を盛るくらいのことをせねば、あいつに勝ち目はないぞ」

「…毒を盛ったところで、蓮様がお気づきになられないとは思えませんが」

クスクスと笑いながら、桜は慣れた手つきで茶を注ぐ。

「当たり前だ。道家は毒物への知識も教育されるからな」

「ふふ、さすがですね。まあ…大丈夫ですよ。私は、どれだけの殺意や怒りに駆られようとも、どなたも弑することができませんから」

「…実行に移せない臆病者ということか」

こう口走ったが、蓮はこのように考えてはいなかった。桜の言葉に何か裏があることは容易に察することができた。しかし、今の蓮にそれを受け止める余裕はない。自分と違い、破壊する以外の道を歩める者が、蓮には眩しくて仕方ないのだから。今はせいぜい、的外れな嫌味を洩らすことで精一杯だった。

その嫌味の否定も肯定もせず、桜は蓮の前に、湯気の立ったカップを置いた。

「ご安心を。毒物など入ってませんから」

そう言って、桜はにこりと微笑む。蓮はいつものようにただ黙ってその湯気を見つめた。

「葉様との試合、楽しみですね」

自分が麻倉葉を討ち果たすつもりであることがわかっていないのか、相変わらず気味の悪い女だと、蓮は非難する。

すると桜は、壊されるのは蓮の方かもしれないと忠告してきた。蓮は内心、その言葉に安堵した。普段へつらう様な態度を取っておきながら、肝心のところでは自分を冷静に見定める。変に懐に入り込まれようとするより、よっぽど良かった。存分に虚勢を張れる。

「は? ハッ…ハハハ! オレが? ありえん。あんなユルいやつに二度も負けるなど絶対にありえん」

「そうですねぇ…。でも私は、あなたのその殻が壊されてしまえばいいのに…ってそう思うんです」

桜は、少しだけ眉尻を下げて心配や憂いを示した。それは決して同情などでは無かったが、憐まれたと感じた蓮は気分を害した。

「…わかったような口を訊くな、不愉快だ。いくぞ、馬孫」

舌を鳴らして、蓮は立ち上がる。すでに湯気の消えた茶を流し込むと、ぬるい温度が喉を伝わり、腹のうちを微かに温めた。そんなぬくもりなど消し去ろうと、早足で自室に戻る。

最後に蓮が、垣間見ると今まで目にしたことのない程、嬉しそうに、幸せそうに笑う桜が視界に入った。それもそのはず、蓮が桜の茶を飲み干したのは、これが初めてのことであった。

この緊迫した大事な時期には不相応な態度である。しかし先程まであんなにも疎ましい心持ちであったというのに、そのあまりに喜悦に満ちた笑顔に、感情が引っ張られたのか。

蓮は非常に、照れ臭い気分だった。





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