最適温度


初めて桜を見たのは、ちょうど半年前、夏休みのことだった。同じクラスになった麻倉葉が遊びに来いというので、他の奴らと家に行った時だった。葉の幼馴染だというその女子も別件でたまたま居合わせていた。

強烈な衝撃を受けた。

「こんにちは」と一言の挨拶と微笑みだけで、雷に打たれたのか如く、全身に電流走り、手足はビリビリと痺れ、脳天が揺らいだ。しばらく動けずにじっと見つめていたら、「大丈夫ですか?」と心配された。あまりの緊張に、ぶっきらぼうに否定してしまったことは今でも後悔している反省点だ。そして正直、その後葉の家で何をしたのかあまり覚えていない。帰りにホロホロのバカが「あの桜って人めっちゃ可愛かったよなぁ〜、葉の家行きゃあ、また会えっかなぁ?」とニヤニヤしていたことに、苛立ちと危機感を覚えたことは記憶している。

生まれて初めての恋に、自分自身どうして良いかわからず、もう一度会いたい一心で、ホロホロの事を言えないが、頻繁に葉の家を訪れた。だが決してしょっちゅう出入りしているわけではないらしく、あまり会えなかった。むしろ、家事を強要する威圧感の塊の女と、葉に甲斐甲斐しく世話を焼く後輩がいることが多く、葉を含め男子は居心地の悪さを感じ、次第に外で遊ぶことが増えていった。

それでも、桜に会える時もあり、その時は何故か女将の横暴さも抑えられ、非常に穏やかな空間が形成されていた。何とかして近づきたかったが、己のプライドや強情な性格が邪魔をし、話しかけることなどほとんどできなかった。しかし、どうやら姉の友人らしく、「潤さんの弟さんですよね?」と声をかけてきた。同じ学園の高等部に通う姉のクラスメイトだった。実際何も進展などしていないが、繋がりが一つ増えただけで嬉しかった。

それからは姉に探りを入れてみた。どんな人物で学園での様子や好きなもの、恋人の有無…。葉に聞いても良かったかもしれないが、友人に自分の片想いを晒すことは気恥ずかしくて嫌だった。姉にバレるのも抵抗はあったが、一刻も早く、特に恋人がいるのかを知りたかった。
案の定、すぐに「あら、蓮ったら、そうだったの〜」と生暖かい目で微笑まれ、逃げ出したい思いに駆られる羽目になったが、交際している男はいないという情報を得られた。その夜は歓喜のあまりベッドで転がりまくるほどだったため、付き人の馬孫にはひどく心配された。

姉さんの話によると、桜は学業とアルバイトの両立で忙しい日々を送っているようだ。学園では予想通り、大変な数のアプローチを受けているという。しかし誰とも付き合わないため、他に意中の人がいるのではないか噂されているが、本人は否定してるらしい。

それからの俺は今思っても滑稽なものだった。桜のアルバイト先に偶然を装って入ってみたり、姉に頼んで家に来てもらったりもした。興味のある分野を馬孫に調査させ、美術館や水族館、映画にも誘った。しかし、自分からアクションを起こしておきながら、桜を目の前にすると心臓が煩くなり、頭も真っ白になってしまって、いつも俺は想いを告げるどころか、会話を続けることすら困難だった。

冷静になると、あまりに愚かな自分に羞恥で身が爆散しそうだが、必死だったのだ。まだ誰のものにもなってないうちに、掻っ攫ってしまいたくて仕方ない。

近頃は、想いを伝える言葉を飲み込み過ぎて、胸がつっかえたように苦しくなってきていた。だから、つい出てしまったんだ。駅のホームで、その白くツンと立った鼻頭を赤くして、薄紅色の小さな唇から白い息を吐きながら、こちらに微笑む桜を見たら、

「好きだ」

と告げてしまった。それが、つい数秒前のことだ。俺自身、自分の言葉に酷く動揺し死の淵にでも立たされたかの如く足元がぐらりと揺らいだ。そのせいか走馬灯のようにこれまでのことが一瞬で頭を駆け巡り、今まで思い描いてきた理想的な告白が瓦解したことを痛感する。

桜は、というと目を見開いて俺を見つめていた。何をそんなに驚くことがある。今まで俺の気持ちに全く気づいていなかったというのか。その鈍感ぶりに少し腹が立ち、もうヤケクソとばかりにもう一度告げた。

「好きだ、俺と付き合え」

苛立ちが言葉にも現れ、命令口調になる。言った瞬間、これは反省した。多分姉さんにも叱られる。やってしまった…という後悔に包まれる中、ようやく桜が発した言葉が、そんな今までの焦り、怒り、後悔が根こそぎ奪っていった。

「わ、私で良ければ…っ!」

震えた声だった。先程までは、鼻だけが赤かったその顔は、頬にも伝染していた。眉尻をグッと下げ、少し潤んだ瞳で見つめられれば、もう止められない。愛おしいという感情が溢れ出す。一歩一歩、目を逸らさずゆっくり近づいていく。桜が息を呑む音が聞こえる。そんな緊張しなくても…と思う反面、今まで自分の心を乱してきた分もっと俺を意識しろ、という欲も同時に顔を出す。

至近距離で見つめ合い、俺は桜の手を取る。寒い冬にもかかわらず、手袋もしてない桜の冷たく白い手は指先に向かって鼻や頬のように赤くなっていた。花弁のような美しい濃淡だ。その花を壊れないようにそっと包み、誓う。

「…大切にする」
「私も…します」

身体中に歓喜が駆け巡って熱くなる。届けたくて仕方なかった想いと、欲しくて欲しくて堪らなかった想いが交差する。同時に桜の冷たい指先も俺の体温に溶け合っていく。

「手袋は持ってないのか」

「…蓮さんの手があったかいので必要ないかと」

La Temperatura Ottimale
愛の温度はぬるいのです



「両手繋ぐわけにはいかんだろう、バカめ」




別次元の話だからここぞとばかりに、蓮に一目惚れさせてみました。


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