心地良い小鳥のさえずりで目が覚めた。
朝焼けの淡い木漏れ日は寝ぼけ眼を優しく照らし、微睡を爽やかに拭い去ってくれる。起き上がると、川のふちに膝をついて顔を拭っていたテッドが振り返って、ぶっきらぼうに言った。
「おはよう。」
その言葉が朝の挨拶だと、ルーナにも直感的に分かった。
「おは……よう。」
たどたどしく繰り返すと、テッドは少し面食らったように手を止めたが、すぐに立ち上がって荷物をあさり始めた。
「ほら」
いくつかの衣類を取り出すと、テッドはそれをルーナに手渡す。
「それに着替えとけ。俺は食料を取りに行ってくる。」
ここにいろ、というようなジェスチャーをして、テッドは森の奥へ消えて行った。手渡された服を広げてみると、簡素な生成りのシャツとズボン、それから青いチュニック、古ぼけたブーツ、小さな道具袋が付いた細身の革ベルトだった。よくファンタジーの映画で旅人が来ているようなデザインで、ルーナは少し心が躍った。
身に巻いていた白い布を脱ぎ捨て、旅装に着替えると、とても動きやすかった。ブーツは大きかったので、麻紐をきつく縛った。下着をつけていないため心もとないが仕方ない。気休めに、先ほどまで身にまとっていた白い布を少し裂いてさらしにした。
着替えを終えて川で顔を洗って口をすすぎ、身支度を整え終えたころ、テッドが獲物と麻袋を提げて戻ってきた。テッドの方にだらりと下がったウサギを見て、ルーナの顔が青ざめたが、テッドは構わずウサギをさばいて火にくべた。
テッドは旅装に着替えたルーナを見たが、何も言わずに焚火に目を戻した。その様子で、ルーナはテッドが自分にあまり関わらないようにしていることをなんとなく察した。しかし、それが遠慮なのか嫌悪なのかはわからなかった。
テッドはウサギの肉がちょうどよい色に焼けたのを確認し、一つをルーナに手渡した。
「食え。」
多くの言葉を言ってもルーナには通じない。だからテッドはそれだけを言って、自分も肉を食べ始めた。人が住む町までどれくらいかかるかわからない。今のうちに腹ごなしをしておかなければ。
ルーナははじめ戸惑っていたが、今日からおそらく長い間森の中を歩き、今度いつ食事をとれるかわからないのであろうことくらいはわかっていたので、恐る恐る肉を食べた。
そうして腹を満たした後、テッドは荷物を担ぎ、ルーナに向かって「行くぞ」と軽く声をかけ、焚火を散らして、いよいよ川沿いを歩き始めた。ルーナは何の抵抗もなくテッドについてきた。ちらりと見ると、あたりの木漏れ日や鮮やかな小鳥を見て頬をほころばせている。本当に無防備な奴だ、とテッドは改めて心配になった。
町についてこいつと別れたら、こいつはすぐに誰かに騙されてしまうんじゃなかろうか。若い女だし、見た目も良い。その上こんなに無防備な人間を、悪い奴らが狙わないわけはなかった。
「――なあ、」
立ち止って振り返ろうとしたとき、テッドの背中に柔らかい衝撃があった。急に立ち止ったことで、よそ見をしながらテッドのすぐ後を歩いていたルーナがぶつかったのだ。
「あ、わりい」
よろけたルーナの肩を支えると、その華奢な柔らかさに驚いた。背丈は自分とそう変わらないのに、着ている服は随分丈が余っている。テッドはあわてて手を放し、何も言わずにかかとを返してまた歩き出した。
ルーナも不審に思っただろうに、言葉が通じないからか、何も聞かずにまた後ろをついてくる。そうしてずいぶん歩いた頃、テッドは突然弱い力で後ろに引っ張られた。
振り返ると、ルーナが自分のマントをつかんで息を切らして膝に片手をついていた。森の中をこんなに長時間歩いたことがないのだろう。それなのに休憩もなしに何時間も歩き続けてしまった。テッドは少しばつが悪そうにした。
「…わるい。ちょっと休もう」
そういって辺りを見渡して、そばにある木の根元にルーナを座らせると、革製の水筒をルーナに渡してやった。ルーナが口をつけるのを見ると、自分ものどが渇いて、川のそばまで歩いて行って、手で水をすくって飲んだ。水の透明度はあの場所よりも下がっていたが、飲めないほどではなかった。
ルーナはしきりに足を気にしていたが、テッドが気付くとなんでもない風に装った。足が痛むのだろう、とテッドは考えたが、何も言わず、自分も少し離れた木の根元に腰を下ろした。
「テッド。」
不意にルーナがテッドを呼んで、テッドは驚いてルーナを見た。少女は、手のひらに小さな丸い毛玉を乗せてにこにこしている。よく見るとそれはもさもさの赤ちゃんだった。テッドは一瞬歩み寄りそうになってが、こらえて、ふんとそっぽを向いた。
「テッド、テッド。」
しかしルーナは再びテッドを呼んだ。馴れ合うつもりはない。これ以上知り合うつもりも。テッドはわざと鬱陶しそうに眉を寄せて振り向いた。
「なんだよ、うるさ……」
ボフン、と熱風が顔を包んだ。続いて低いうなり声が耳元で響いた。真っ白なドラゴンが、そこにはいた。
「なっ……!?」
テッドはとび上がって、咄嗟にルーナの腕を引っ張り引き寄せた。もさもさの赤ちゃんは飛び跳ねて逃げていき、テッドとルーナはドラゴンと相対した。
「なんで、こんなところにこんなデカブツが……!!」
ドラゴンは青い炎の混じった熱風を鼻から吹き出し、水晶のような瞳で2人を見下ろしている。
「おい……。」
テッドはルーナの腕をつかんだまま後ずさった。
「逃げるぞ!!」
駆け出すと、ルーナは小さく悲鳴を上げて引きずられるようについてきた。背後から木々をなぎ倒してドラゴンがおってくる音が迫ってくる。テッドは一瞬死を覚悟した。同時に、右手の存在を思い出した。
「走れ!」
後ろ手に引っ張っていたルーナを強く引っ張り、自分を追い越させて、自分は踵を返してドラゴンに向き直った。
「ソウルイーター……久々の獲物だぜ」
語りかけると、右手がうずき、熱を持った。
「なあ、随分腹が減っていただろう……。」
小手を外し、眼前で息を吸い込むドラゴンを見上げる。
「ドラゴンを喰らえ!ソウルイーター!!」
右手から強い何かが飛び出していったような感覚がして、同時に全身が脱力感に覆われた。闇に包まれた純白のドラゴンは悲鳴を上げ、すぐに生気をなくし、力なく横たわった。直後に、自分の全身に力があふれてくるのを感じた。抑えきれないほどだ。テッドは右手を左手で覆い、膝をついてうずくまった。
人の気配がした。顔を上げると、木の陰からルーナが心配そうに見つめていた。その足がこちらに駆け寄ろうとしたので、テッドは咄嗟に声を荒げた。
「来るな!!!」
びくり、とルーナがおびえて、足が止まった。
「さっさとどこかへ行け!もうここには戻ってくるな!!!」
言葉がわからないことも忘れて、テッドは必死に叫んだ。久々に命を喰らったソウルイーターが、我慢を忘れて次を欲している。
「行け!!!!」
いくら叫んでも、ルーナは戸惑った様子でその場を動かない。もう限界だ、そう思った時、熱風が背後から背中を覆った。血の気が引いて、振り向くと、額に文様を光らせた白いドラゴンが息を吹き返し、テッドを睨んでいるのだった。
「うそ…だろ……?」
このソウルイーターが喰らえないっていうのか。あれはまさか、真の紋章……?
愕然としていると、自分の腕を何かがつかんだ。ルーナだった。
テッドはルーナに引っ張られるようにして何とか立ち上がり、また駆け出した。
方向もよくわからないままめちゃくちゃに森の中を駆け抜け、真っ暗な洞窟に飛び込んだ。地鳴りのような足音が遠ざかっていく。やがて静寂が訪れ、暗闇に目も慣れてきたころ、ルーナがその場にへたり込んだ。身長に足を伸ばし、顔をしかめている。テッドは無言で歩み寄り、きつく締められた麻紐を解いて、古ぼけたブーツを脱がせた。白く細い脚が露わになり、関節やかかとが赤く腫れ、血が滲んでいた。
テッドは傷口に左手を翳し、水の紋章でできる限り癒した。痛みがなくなり、傷口がふさがるのを見たルーナが、目を丸くしてテッドを見つめた。テッドは手の中のルーナの足があまりにも柔らかく小さいから、なぜだか胸が熱くなった。
『……ありがとう』
知らない言葉だったが、テッドにはその意味がわかった。
「……別に。」
テッドはそっぽを向き、自身の疲れを癒すために壁際に腰を下ろした。
その日は洞窟内で夜を過ごすことになった。洞窟内は冷えたが、お互いそれを口に出すことはなく、自分の膝を抱えるようにしてじっと耐えた。
そんな中でも疲れには勝てなかったのか、そのうちルーナがうとうとし始めた。
寝ろよ、と声をかけようとしたが、声をかけると逆に気を引いてしまい眠るのを邪魔してしまいそうで、テッドはじっと黙ってルーナが眠るのを待った。
闇は深まり、辺りも静まり返っていた。静かな闇に、ルーナの息遣いがかすかに聞こえてきた。ふと今までの孤独な夜を思い出し、テッドはにわかに恐ろしくなった。
翌朝日が昇ると、薄暗い洞窟内にもわずかに光が差し込んだ。お互いの顔が見え、目覚めたのがわかった。まだ眠たそうなルーナが身を起こし、小さく欠伸をした。その様子をなんとなく眺めていたテッドは、その直後、ルーナの顔がこわばったことに気が付いた。
ルーナは困惑した様子でテッドを見、空を見つめ、そわそわしている。
「……なんだよ?」
テッドが怪訝そうに言うも、ルーナは何も答えず、顔を赤くして狼狽えている。その視線がしきりに下を向いていたので、テッドは立ち上がってルーナに歩み寄った。
「まだ足が痛むのか?」
そう言ってルーナの足を持ち上げようと手を伸ばすと、ルーナはサッと足を引いた。
「……我慢するなよ。今日も歩くんだぞ。」
伝わらないことはわかっているが、テッドはそう言って、再びルーナに手を伸ばした。その手を、ルーナがやんわりと押し返し、身にかけていた白い布で体を隠すように覆った。
「おい、隠すな。悪化したら足手まといになるんだぞ」
少々きつく言い、テッドはルーナから白い布をはぎとった。その布に、真っ赤な血の跡がついていて、テッドは息をのんだ。
「おい、これ……」
言いかけた時、テッドから布を取り返そうと身を乗り出したルーナの太ももを、真っ赤な鮮血が細く伝い流れてきた。
「お前…どうしたんだよ!なんでこんなに血が……」
愕然として、テッドはルーナを押し倒し、足を開かせようとした。咄嗟に、ルーナがテッドを突き飛ばした。
『やめて!!』
テッドは面食らって、すぐに怒鳴り返した。
「馬鹿!恥ずかしがってる場合か!!すぐ止血しないと、お前死ぬぞ!!」
テッドは力づくでルーナの両足をつかみ、その間に自分の体を割り込ませた。次の瞬間、頬に衝撃があった。一瞬目の前が真っ白になり、視界が戻ってくると、ルーナに平手打ちされたのだとわかった。
ルーナは目にいっぱいの涙を浮かべ、顔を真っ赤にしてテッドを睨みつけていた。
テッドの頭は真っ白なままで、固まっていると、ルーナが急に顔をしかめておなかを抱え、蹲った。
「腹が痛むのか?」
テッドは迷って、白い布でルーナの体を覆い、荷物を手早くまとめて体の前に括りつけると、ルーナの前に背を向けて片膝をついた。
「おぶされ。早く。」
ルーナはしばらく戸惑っていたが、やがて恐る恐るテッドの背中に身を預けた。そうして、テッドは光あふれる森の中を歩きだした。
早く人がいる場所へ行かなくては。しかし、川も見失ってしまった。半ば絶望的な気持ちで森の中を歩いていると、急に、にぎやかな話し声が耳に届いた。急いで藪を抜けると、そこにはにぎわう町並みが広がっていて、テッドは目を疑った。
しかし、こんなに願ってもないことはない。通行人に道を聞いて近くの病院に駆け込むなり、テッドは叫んだ。
「誰かこいつを早く看てくれ!出血が止まらないんだ!!」
血相を変えた少年の様子を見てただ事じゃないと思ったのか、白衣の若い女が飛んできて、テッドの背からルーナを預かり、担架で奥へと運んで行った。テッドは医師らしき初老の女と一緒にその後を追い、部屋に入るなりルーナに駆け寄った。
「ちょっと顔色が悪いわね。出血はどこから?怪我の原因は?」
そう言いながら、若い女は手際よくルーナを観察し、大体の状態がわかると、テッドを振り返った。
「じゃ、内診するから君は出て行ってね。」
テッドは部屋から追い出され、廊下の椅子に案内された。静かな廊下で、テッドは一人落ち着きなく椅子に腰を下ろす。そうして、ふと思いついた。このまま俺が消えれば、ルーナとの縁が切れるじゃないか。ここは病院だし、身寄りのない怪我人をひとりで放り出すことはしないだろう。
テッドは服の中から財布代わりの麻袋を取出し、銀貨を数え始めた。銀貨8枚。なけなしだったが、これくらいしか自分がしてやれることはない。これだけあれば、しばらくは面倒を見てもらえるはずだ。
手の中の銀貨を見つめて、ぎゅっと握りしめ、椅子の上に――その時、診察室のドアが開いた。
テッドは反射的に立ち上がって、出てきた白衣の若い女に詰め寄った。
「あいつは…!?」
若い女は笑いをこらえるような顔でテッドの頭を小突いた。
「まったく、お騒がせねえ。大丈夫よ、何も問題ないわ。」
その言い方があまりにものんきだったので、テッドは不安になった。
「嘘だ…だって、ものすごい出血だったんだ!ちゃんと看たのかよ!あいつ、顔だって真っ青で……!」
「はいはい。ここで騒がないでね。ちょっとこっちに来なさい。おねーさんがおしえてあげるから。」
「は……!?」
訳が分からないまま、テッドは若い女に腕をつかまれ、カウンターの裏の、控室のような小さな部屋に連れて行かれた。
FORTUNE