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黒い海には雷鳴がとどろいていた。暴力的なまでの暴風雨がゆがんだ雨戸に打ち付けられて、黒ずんだこの小さな家は頼りなく重苦しい音を立てて揺れていた。
その中に、確かにドアのノック音が混じっていることに気が付いて、老人は慎重にドアの鍵を外し、開けた。風でドアが持って行かれそうになる。その隙間から、雨風とともに、唸り声のような低い声が入ってきた。
「光だ。光が見えた。」
村に住む、農業を営む老人だった。彼は、この家に住む老人の、古くからの友人だった。
ともかく老人は友人を家の中へ迎え入れ、椅子をすすめ、落ち着くように言った。友人の様子があまりにも冷静さを失っていて、目は血走り、唇は震えていたからである。
「それで、光というのは、まさか……島の光のことか?」
老人は友人に温かいお茶をだし、それを飲み込んだのを見ると、そう尋ねた。友人は、大きく、何度もうなずいた。
「そうだ。白い、あの光だ。」
「雷と見間違えたんじゃあないのか。」
「違う。確かに、あの光だった。水平線に、いや、真っ暗で水平線は見えねえが、その真っ黒な海に、白い光が、太く、4回、同じ場所に柱を立てた。絶対に、あの島のある場所だった。」
「そうか。」
老人は短く答えた。その瞳は白く濁り、虚ろにどこかを見つめていた。


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妙な浮遊感の後に、全身が地面にたたきつけられた。手のひらの感触で、そこが草に覆われた泥の地面だとわかった。強風と強雨で立ち上がることもままならず、なんとか四つん這いの体制になった。暴風雨で目も開かない。手を地面に這わせて何か掴まる物を探していると、硬くてごつごつした細長いものを見つけた。地面からしっかりと伸びている。おそらく木だ。
私は木にすがりつくようにして、やっと立ち上がった。その時、空気を切り裂くような轟音が耳を貫いた。一瞬目の前が真っ白に眩み、気を失いそうになった。何かがとんでもない爆発を起こしたような、すさまじい音だった。雷が近くに落ちたのかと思ったが、まったく違う音だったようにも思える。手で傘を作るようにして視界を確保しようとしたが、片方でも手を木から離すと吹き飛ばされてしまいそうで、できなかった。
恐ろしかった。いつまでここでこうして踏ん張っていなければならないのだろう。いつまで耐えられるだろう。私はなぜ、突然こんな場所に来てしまったのだろう。
手のひらの中でみしみしと木肌が軋んでいる。この木も長くは持たないだろう。
そう思った矢先、持っている枝の根元があっけなく折れ、私はよろめいて地面に打ち付けられた。
「きゃあっ!」
悲鳴が漏れ、地面に俯せる。このままじっとしていた方が安全かもしれない――。
「…だれかいるのか!?」
声がしたのはそのときだった。胸の中が安堵でじわりと熱くなる。
「…ここ!ここにいます!」
背後でがさがさと音がする。人の気配だ。
「――助けて!!」
叫んだのと、肩をつかまれたのは同時だった。その暖かい手は私の肩を確かめるようにつかむと、力強く抱き寄せた。硬い胸に抱かれ、私は安堵した。その人はしっかりと地面を踏みしめ、ゆっくりと進み始めた。


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ふっと暴風雨がやんだと気付いた時、私は暗闇の中にいた。
「大丈夫?」
耳元で声がして、吐息が首筋に触れた。
「は、はい……」
返事をすると、肩を抱いていた手が離れ、背後からふっと気配が消えた。
「あっ…あの!どこに…!」
「ここにいる。大丈夫だ。」
不安が声に出てしまったのだろう。安心させるような優しい声がすぐ近くから返ってきた。
外ではまだ雷が鳴っている。ここは洞窟か何かのようだ。声が少し反響している。
「とにかく……。」
どさっ、と地面に座るような音がした。
「天気が落ち着くまではここで待とう。」
「はい……。」
私も腰を下ろして、じっと待つことにした。
この真っ暗な闇の中に、顔も知らない男と二人。今更ながら、少し怖くなって、私はじっと闇に溶けるように息を殺した。
「……自己紹介、しないか?」
「え?」
警戒する私に反して、男の声は穏やかにそう問いかけてきた。
「お互い、顔も見えず、名前も知らない相手と過ごすのは不安だろうから。」
「そう…ですね……。」
男を警戒する気持ちを見透かされているような気になって、私は少し後ろめたくなった。
「じゃあ、僕から。名前はカイ。旅をしてる。」
間が空いて、それだけで彼の自己紹介が終わったのだと気付いた。あまり人に自分のことを話したくないのかもしれない。それでも自己紹介をしようと切り出したのは、私を気遣ってか、彼もまた私を警戒しているのかもしれない。……それにしても。
「……旅?」
今時、旅をしている、なんて自己紹介をされて、不信感を抱かずにいられるだろうか。しかし男の声は当然のように答えた。
「うん。もう長いこと、旅をしてる。もう何年も、故郷には帰ってない。」
「故郷……どこの出身なんですか?」
「……ここかどこだか、わからないけど……たぶん、ここよりもっと南だ。ここは寒いから……。」
ことごとく自分の出自についてはぼかしたいらしい。私はこれ以上の詮索は無駄だと見切りをつけた。
「……じゃあ、私の番ですね。私は、カレンといいます。仕事は、普通のOLです。」
「……オーエル?」
今度は男が疑問の声を上げた。
「オーエルって、何?」
「え?何って……。OLはOL……。事務とか、経理とかやってますけど……。」
「ふうん……?経理……君は学があるんだね。」
「え…っと、いえ、それほどでもないですけど……。」
おかしなことを言う人だ。よく聞くと若そうな男の声だが、旅人発言といい、かなり浮世離れした人なのかもしれない。それか、仕事に就くこともままならない国の出身か?いや、それにしては、言葉が普通に通じるのはおかしい。
「あの……。」
根本的に常識が食い違っているような気がして、何かがおかしいと口にしようとしたとき、それはまた私の耳を貫いた。
天地が引っくり返るような轟音。頭の中に電流が走ったような衝撃。全身が震え、私は地面に倒れた。
「きゃああああああああっ!!!!」
自分の体を抱き込み、胸の奥からこみあげる謎の恐怖感に耐えた。この音はいけない。全身をむしばまれる感覚。
「どうした!?」
何かが私の背中に触れ、それはまた戻ってきて、今度はしっかりと私の肩をつかんだ。男が手さぐりで私に触れたのだ。その手のぬくもりにすがりつくように、私は腕をからめた。
「怖い……痛い……!今の、声……!」
声、と自分で言葉にしてみて、初めてそれが声だと認識した。全身がしびれている。男は私の体を支えながら、洞窟の入り口の方へ近づいた。
岩の陰から外を覗くと、雷光に一瞬照らされた空に、巨大な影が浮き上がった。大きな翼と長い尾を持つ何か。あれは、ドラゴン……?
まさか。実在するわけがない。そう言い聞かせるも、この目に焼き付いた影は消えない。私は全身が粟立ち、立ち竦んだ。
「……カレン、それは……?」
そう声がして、見上げると、青白い光に照らされた青年の驚いたような顔が闇の中に浮かび上がっていた。その光は、私の額から発せられているのだった。
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