一週間の遠征から帰り、なんとなく三門の空気をおいしく感じるこの感覚が、影浦はあまり好きではなかった。遠征に興味はないが、自身の彼女と数年来の付き合いのある太刀川や二宮に負けたような戦績が残るのも癪で、気づけばA級に上がり(言い方を選べば戻ったとも言えるが)、今期のランク戦で順調にポイントを重ね、遠征部隊に選ばれていた。影浦が遠征を経験するのは初めてではないが、そう回数をこなしているわけでもない。それも今回は一週間という、自分の経験の中では最も長い期間だった。影浦の知る限り、風間や太刀川は時折もっと長期の任務に赴いているようだったが、想像もつかなかった。遠征の間に考えたことと言えば、戦闘中はもちろん自分や仲間と敵のことに集中しているが、それ以外のときには常に、年上の彼女の顔が浮かんでいた。

「……ただいま」

 普段は言わない挨拶を口にした影浦は、自分は彼女の顔が早く見たいと思っていると、認めたくはないが自覚はしていた。しかし、夕方の6時ごろにいざ彼女の家に行けば、明かりが点いておらず、鍵がかかっていた。確か遠征前に聞いた話では、大学の研究室と家との往復で、特に家には寝に帰っているようなものらしい。彼女はへらへらとした表情を変えぬままに頑張りすぎるところがあるから体調を崩してはいないかと、影浦は自分自身の疲労は棚に上げて、彼女のことばかりが気がかりだ。

「……、カゲ……?」

 いつの間にか、眠っていたらしい。影浦がぼんやりとそう思ったのは、正面にある時計を見て、この部屋のソファに座ってから実に3時間が経っていたことに気付いたからだ。彼が瞼を持ち上げて開けた視界の先には、一週間ぶりの彼女の姿があった。心配そうな顔が一転、影浦が目を覚ませばふにゃりと優しい笑顔になる。いつもあまり年上らしくない彼女の、時々見せるこういった慈愛をちりばめたような表情に、影浦は心底弱かった。
 ああ、本当に帰ってきたんだと、数日間の争いの感覚を捨て、彼女を抱き締めた。彼女は何も言わず影浦を受け入れ、やがて「おかえり」と呟いた。

「無事に帰ってきてくれて、ありがとう」

 いつもなら「お前のためじゃない」といった類の天邪鬼なことを思う影浦も、黙って抱きしめ続けることに終始した。久しぶりに感じた彼女の体温も、匂いも、肌を撫でる感情も、何もかもが心地良い。ただ同時に、自分と同じかある意味それ以上に疲れているんだということは、なんとなく分かった。



 影浦が風呂から上がると、先に風呂に入ってさきほど髪を乾かしていた彼女が、ドライヤーの片付けもそこそこにソファに身を沈め、うとうとと夢の世界を彷徨っていた。顔を傾けている彼女の、晒されている白い首が目に毒である。そう考え始めると、彼女の存在自体が影浦にとって、所謂?ムラムラする?対象なのだと気づく。だが、彼女は疲れている。それは誰が見ても分かるほどで、?このときの?影浦の中には、そんな彼女に無理を強いる選択肢は無かった。何かと彼女を優先しているのは、影浦自身と、彼女だけが知っている。



 そう紳士な決心をしたとしても、影浦とて所詮は一人の男だった。しかも、一週間もの期間、彼女と連絡手段もない完全な別世界にて戦っていた、というオプション付きである。風呂上がりの無防備な姿で(結局は影浦が揺さぶり起こすまで彼女はほぼ眠っていた)、いつものようにベッドを半分開けて影浦をいざなう彼女に、ごくりと喉が鳴る。
 影浦は、普段の多少の寝不足や、サイドエフェクトによるストレスと気疲れとは違う疲労を、確かに感じていた。眠い。それは間違いない。だが、それ以上に、彼女を組み敷きたいという欲が渦巻いて離れない。ベッドなどというそれらしいものを視界に入れてしまえば、欲はことさら大きくなっていく。

 結局は、彼女に背を向ける形で、この夜をやり過ごすことに決めた。彼女がおやすみと言ったあと、いつもならどちらからともなく(どちらかといえば彼のほうが率先して)くっついて眠る二人であるが、今日は影浦が布団を引っ張らぬよう注意を払いつつもそっと背を向けたものだから、物理的な距離はそれほど変わらなくとも、どこか遠く見える。

 ごそりと彼女が動く気配を、影浦は背中越しに感じた。とても疲れていたから、もしかしたらもう既に眠ってしまって、それから寝返りでもうっているのかもしれない。何かを思い出させる布擦れの音には耳を塞いで、自分も眠ろうとしたところで、背中に、いや、肌に、よく知った感情が刺さるのを、影浦は感じた。
 気付けば温かい体温が背中に寄り添っていて、ついでに言えばやわらかい感触までおぼろげに分かる。それを彼女の胸が当たっているせいだと気付くのには、2秒ほどあれば十分だった。しかも、刺さる感情は次第に大きく、そして色濃くなってゆく。それでも影浦が寝たふりを決め込む姿勢を貫こうとしているのは、振り向いてしまったらきっと止められなくなると、自分自身で分かっていたためだったが、彼女は構わず、静寂にふさわしい小さな声で、しかしはっきりと、言葉にした。

「まさとが疲れてるの、わかってるけど、……し たい……」

 段々と小さくなるその声と反比例するように、影浦の中のがんじがらめの理性と欲望とがほどけて、やがて後者が素直にありありと顔を覗かせた。そんな影浦の心の内を知ってか知らずか、彼女は剥き出しの影浦の首に、ちゅ、と空気が霧散するような軽いリップ音を落とした。

 影浦は初めて、理性が切れる音というものを聞いた。

「……疲れてんじゃねーの」
「疲れてる、けど、カゲ、一週間もいなかったし、……」
「はっ……、溜まってんのかよ」

 一瞬にして彼女を布団に縫い付けその上に跨った影浦は、ずっと見たかった景色を今、眼下におさめていた。その自分自身の動揺と興奮とをごまかすため、軽口をたたく。そう、それほど思ってもいないことまでぺらぺらと口にしてしまっただけであって、深い意味はなかったのだが。

「……そう、だよ」
「……!」
「だから、カゲ、さわって、」
「おい、」
「         」

 そのあとにも何かを呟くその口は、影浦のくちびるで塞がれ、飲み込まれた。声を奪い、呼吸を奪い、彼女の理性を奪い、自分の熱を分け与える。影浦はいつも以上にやけに積極的に舌を絡めてくる彼女により欲情し、邪魔な布団を押しやったのち夢中で彼女とのキスを堪能した。細い腰から直接さらりとした肌を撫で、ぴくりと愛らしい反応を示すその身体から服を剥ぎ取る。

「まさと、まさと、…っ、ぁ、すき……っ」
「知ってる。……俺も、だ」

 らしくない彼女に、らしくない言葉をつい同じように並べてしまう影浦は、疲れているはずの彼女に「途中で寝るとかナシだからな」と釘を刺した。「寝かせないくらいしてくれたらいいの」と刺激の強すぎる返事が返ってきたので、どうやらもう彼も彼女も、脳が半分溶けているらしい。

 影浦は、彼女が恥じらいながら自分を誘い、そしてそのあとに呟かれた言葉を思い出しては、身体を熱くした。

──だから、カゲ、さわって、

──めちゃくちゃにして

 身体中に鬱血痕や歯型を残しながら、望みどおりにめちゃくちゃにしてやるよ、とその赤くなった耳に囁いて、彼女をやさしく貫いた。




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