点字ブロックのでこぼこを歩く。ローファーがカツカツ、コツコツ、そんなような音の間くらいの高さで鳴って繋がる。高校から帰るバス停で、ひとりでバスを待つなんていうのは、もうすっかり慣れたものだ。

授業が終わってまっすぐ家に帰る人たちは何本か早いバスだし、部活をしたり寄り道をして買い食いしたりする人たちは、わたしの今待っているバスより何本も遅いバスだ。別に意図的にそうしているわけじゃなくて、たまたま中途半端なのだ。そう、深い理由なんかないけど強いて言うなら、サラリーマンの帰宅ラッシュや主婦の方々のお買いもの帰りにも合わないこの時間は、静かで好きだ。

「あ」
「あ」

ほとんど同時、うっかりシンクロ。その声の主は、クラスメイトだけどあまり話したことがない、米屋だった。こんな時間のバスで会うのは、はじめてじゃないだろうか。なにせ米屋はボーダー隊員で、早退をしたり、授業が終わったら即帰ったりとなにかと忙しい。

任務だの戦闘訓練だのと色々あるらしいことは、なんとなく噂で知っている程度だけど、それは噂で済ませていいところだ。わたしはボーダーじゃなく一般市民で、ただのクラスメイトだから。

「よー。今帰りか」
「あ、うん」

こんな時間のバスにいるの珍しいねとか、そんなことをさらりと言えるほど、わたしと米屋の距離は近くはなかった。わたしは男子とあまり話すほうじゃなかったし、米屋はなんとなくわたしをすこし遠ざけているような気がしていた。いや、彼は誰にでも優しいし明るいから、たぶんそれだってわたしの被害妄想だ。

向こうの方から、お目当ての車体がやって来る。ぴかぴかではないけれど薄汚れてもいないようなそのバスのボディは、どことなく今の三門市みたいだ。

そういえばわたしの後ろに並んでいるのは、三門市のヒーローのひとり。世間でよく知られる嵐山隊がもちろんヒーローの代名詞だけど、この町はもっとたくさんのボーダー隊員たちで守られている。

聞き慣れた音とともにバスがわたしと米屋の前に止まる。いつも通り、平和な日常だ。ときどき遠くで響いてる爆音なんかには確かに少し慣れたけど、やっぱり何もないのが一番だ。



「隣、いいか?」

バスに先に乗り込んだわたしに、米屋が問いかけた。

ということだけは、いくらわたしがそこそこの馬鹿といえども分かった。でもおかしい。バスはガラガラというわけでもないけど、席はいくつか空いているはずだ。わたしの座っている二人掛けの座席の一人分のスペースで窮屈な思いをしなくたって、もっと他のところで広々と座ればいいのに。

そうは思ったけれど『隣いいか』と聞かれてノーと言えるほどわたしの肝は据わっていなかったので、もともと奥に詰めていたけど更にはしっこに身体を寄せて、米屋の座るスペースを確保した。

「さんきゅ」

もしかして何かわたしに用事でもあるのかと思ったりもしたけれど、横目で見る米屋の様子はいつも通りで、わたしはこの今の状況をうまく呑み込めないでいる。

わたしと米屋はそこまで仲がいいかと言われればぶっちゃけそうではなく、まあボーダーだからといって近寄りがたい人柄でもない米屋はたぶん普通にいいやつなんだと思うけど、話し下手なわたしは結局、隣の米屋に倣ってスマートフォンをいじることしかできない。

だけどそれも、バスが時々揺れるそのたびに触れる肩が気になって、すぐにやめてしまった。スリープボタンをかちりと押して、画面が真っ暗になったそれを手に持って、カバンを抱えなおして目を閉じる。この空間と時間をやり過ごせれば、もうなんだってよかった。







「おーい。おまえ、この次降りるんじゃなかったっけ?」

どうやら思ったより図太かったらしいわたしは、いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。米屋がわたしの肩を叩いて起こしてくれたおかげで、わたしはすぐに降車ボタンを押せた。次止まります、という機械的な声がバスに響いてホッと息を吐く。

「ありがとう」と言えば、「どーいたしまして」という言葉が返ってくる。誰の耳にも明らかな社交辞令。わたしたちは、そのくらいは交わせる仲だったらしい。

米屋の横顔は、隣に座ったときとなんら変わらない。スマホをいじっている。ずいぶんとまっすぐにそれだけを見ているから、ゲームでもしているんだろうか。それとも、好きな子とLINEなんかでやり取りしているのかもしれない。

「米屋」
「ん?」
「えーっと、今日、わたしに何か用事でもあった……?」

米屋はスマホから目を離さない。別にそれは構わなかった。わたしも目線を一瞬隣に向けているだけで、ほとんど前を向いていたから。そもそも、距離が近いのだ。バスの座席ってものはそう広くはないから、顔をそっちに向ければそれだけでやたらとどぎまぎしてしまう。

「……用事はねーけど。話したいことはまあ、あったんだけどさ」
「え、そうなの……?」
「けど、忘れた」
「……はい?」

おまえそろそろ降りるよな、という米屋の言葉で、わたしは自分が下りるバス停にもうすぐ到着するということに気付いた。米屋はエナメルバッグを肩にかけ、奥側のわたしを通すために席を立とうとした。バスの車内には、ほとんど人がいない。いつも通りだ。いつもと違うのは、米屋が私の隣にいたということだけ。

「思い切って座ってみたのはいーけど、バスってけっこー距離近えんだな」

話そうとしたこと忘れたし、ゲームも全然集中できねーわ。

いつも通りのへらりとした笑顔で、スマホに視線を落としたままわたしを見ずにそう言った米屋の、その横顔はいつも通りだ。すくなくともわたしにはそう見えた。でも、黒い髪からのぞく耳が真っ赤で、わたしはバスがわたしの降りなければならないバス停に着いてからも、少しの間動けなかった。

「降りねーの?」と立ち上がったままの米屋が問いかけたことで、あわててバスの降車口へ向かう。わたしの背中に投げられた「また明日」が妙にくすぐったくて、どうしてか甘ったるかった。わたしの耳も同じように熱くなっている気がしてくるから、バスを降りるとき運転手さんに「ありがとうございます」と言い損ねてしまった。

いいや、そんなのはたぶん気のせいだ。そうでなければ、困るのだから。




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