「黒トリガーって、わたしにも作れるんですかね」

わたしのきれいでも汚くもないフツウの声は、たぶん今周りに他の誰かがいたとしても、隣にいる風間さんにしか聴こえなかっただろう。

「……作りたいのか」
「うーん、どうなんでしょう」
「なんだそれは」
「風間さんに使ってもらえるなら、作りたいかもしれません」

わたしの馬鹿な言葉にも、風間さんはすこしも動揺しない。「おかしいな、今のプロポーズのつもりだったんですけど」。風間さんはそれにはしっかり反応してくれて、あまりわざとらしくない、自然と零れたみたいなため息をついた。それを拾えたのはきっと、今この地球上でわたしだけだ。そう思えば、たったふたりしかいないこの空間は、思ったより心地よく感じる。

「お前は相変わらず息をするようにふざけるんだな」
「いつも本気なんですけどね」
「それをふざけていると言うんだ」

風間さんに始めて「風間さんはわたしの憧れです」と言ったのは4ヶ月、「好きです」と言ったのは3ヶ月前。「彼女にしてください」と言ったのは2ヶ月前、「セフレでもいいです」と言ったのは1ヶ月前。そして、晴れてプロポーズしたのは今日。PM17:00。フラれたのは、PM17:01。完敗である。

いつも、どんなときでも、わたしのこの手の話に返ってくる言葉のバリエーションは少ない。でも意味の種類はもっと少ない。というよりひとつしかない。「そんな暇はない」で一発KO。今後の改善の余地なしという即答っぷりにめげざるを得ない。

いや、今回はWふざけているWだったから、すこし違うのかも。それとも、Wそんなおふざけに付き合っている暇はないWが正解の解釈か。後者ならいつもと同じ結果だから、やっぱり進展の可能性はゼロのままだ。

やっぱり魅力がないんだろう。もっと他にも原因はあると思うけど、きっとまず色気が足りない。これに尽きる。いっそ迅あたりになんとか頼み込んで処女を貰ってもらった方がいいのかもしれない。初めては風間さんがいいなと夢を見ていたけれど、まあそんな妄想は夢どころじゃない。

天変地異でも起こらない限りあり得ない非現実だ。19年間培ったあれこれにたった一回の行為が勝るとはなかなか思えないけど、風間さんに振り向いてもらえるなら努力は惜しまない。

でも、あいつのサイドエフェクトを攻略する方法はあるのだろうか。そもそも未来視なんて反則だ。風間さんなら知ってるかなあ。珍しくスマホとにらめっこしている風間さんに声をかけた。

「風間さん、迅のサイドエフェクトをどうにかする方法とかってご存知ですか」
「……いきなり何の話だ。そしてそんなもの知って何をする気だお前は」
「迅に頼み込んで抱いてもらおうと思ってます」

あ、風間さんの驚いた顔を久しぶりに見た。軽く目を見開いてわたしを見るそのかおは、軽蔑とかそういうものはなくて、ただただわたしの今の発言は風間さんの予想を超えたんだということが分かった。

迅に声をかけたシチュエーションを想像してみる。適当に挨拶を交わして、わたしが何か言う前に「やめとけ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」とか言われて終了。これが一番想定しやすくて現実的なシミュレーションだ。ていうか絶対こうなる。それこそ、わたしのサイドエフェクトがそう言ってる。そんなものないけど。

「お前は誰でもいいのか」
「さすがに知らない人が初めてとかは嫌ですけど」
「………」
「まあほんとは風間さんがよかったんですけど、今のわたしの魅力では難しそうなのでとりあえず女子力あげて出直します」

あと手がかりの候補と言えば迅とバトるのが好きな太刀川さんだけれど、聞いたらたぶん「模擬戦付き合ってくれたら教えてやらないこともない」とかなんとか胡散臭いことを言われて延々と戦わされるに違いない。太刀川さんは楽しいかもしれないけどわたしはそうでもない。太刀川さんみたいなケタ違いに強い人が相手だとなおさらだ。ボコボコにされるのは目に見えている。

他に誰かいるかなと頭を捻ってみる。迅と近しい間柄でかつわたしが話しかけられる人。ふと浮かんだのはシルエットだけなら迅にそっくりの爽やかな黒髪の彼で、ああそうだ彼なら迅と仲が良いから何か手がかりがつかめるかもしれないと、一筋の光を勝手に見出した。

「ちょっと用事ができました。風間さん、ではまた」

広報の仕事で忙しい嵐山だけれども、優しいからきっと話くらいは聞いてくれるはず。風間さんにはいつも通り会釈をして、スマホのLINEの友達欄より嵐山の名前を探す。その名前はすぐに見つかって、まずはダメ元で電話をしてみようかと思案していると、スマホを持っている右の手首を掴まれた。そうして驚く間もなく、それなりに強い力で引っ張られた。風間さんの後ろ姿からはどういう事情なのか読み取れない。

無機質で飾り気のない本部の壁ばかりの風景の中をずんずんと進み、やがて風間さんは“仮眠室”と書いてある部屋の認証センサーに迷いなくトリガーをかざして、扉を開けた。「風間さん」と呼ぶわたしの声はきっといつも通りの筈なのに、いつもと違う場所で響いたそれはなんだかおかしい。

扉が閉まればそれなりに薄暗い室内には、ベッドがいくつか並んでいる。ここの仮眠室はA級隊長しか入れない仕組みになっている。当然、わたしはここに入るのは初めてだ。

「ええと、風間さん……?とりあえず電気、つけませんか?」
「明るくしてしたいのか。俺は別に構わないが」
「え……?」

風間さんは部屋の電気を点けたあと、ごく軽く、本当に小さな力で、わたしの身体を押した。なんとなくストンとベッドに座ってしまったわたしは、風間さんが自らのファーフードパーカーのファスナーを下ろしてゆくのをただ見上げるしかなかった。

仮眠室というだけあって、普通の部屋に比べると電気を点けてもものすごく明るいわけではないけれど、それでもさっきより鮮明な視界が、夢でもなんでもないんだということを解らせてくる。



改めて思う。この状況はなんだろう。パーカーを脱いだ風間さんはそこらの別のベッドにそれを投げ置いて、わたしに向き直った。黒いカットソーは体のラインがなんとなく分かってしまう程度に細身だ。腹筋などの凹凸が少し見えて、風間さんはしっかりとした男のひとだと改めて思う。

風間さんの手がするりとわたしの頬を撫でて、そのまま顎に添えられる。くちびるが塞がれて、何か思う前にぬるりとなにかが口内に侵入した。それが風間さんの舌であることを理解するのにずいぶんとかかった。

そういえばコレがファーストキスだ。わたしが風間さんとキスなんて、日頃の行いは大していいとは言えないのにどうしたことか。神様の気まぐれに感謝しかない。

心臓がぎゅうぎゅう締め付けられて真空パックされているみたいに感じる。頭がくらくらしてきたころにくちびるは離れて、そしていつの間にかわたしは天井を見上げていた。呼吸を整えるのはなかなか簡単じゃなくて、何か言おうにもとにかく、酸素が足りない。

「俺は別に優しい人間じゃない」
「え……?」
「……が、これからする行為ではなるべく優しくする」

わたしのジャケットのボタンを、風間さんの指がゆっくりと外す。ああもうまずい、風間さんが仰ったことがすこしも理解できない。とりあえず行為は始まるわけで、でもそれは何を意味するのだろうか。別に深く考えなくてもいいのかもしれない。夢だったんだから。風間さんがハジメテのお相手だなんて、ただの夢でしかなかったんだから。

「……風間さん」
「なんだ」
「あの、それはですね、つまり、思い出をくださるってことですか?」

それでもどうしても意図を聞きたくて、わたしに触れようとする風間さんの腕をそっと制して問いかける。わたしを見下ろすその瞳はケモノみたいだと思ったし、風間さんに食べられるならそれも悪くないなあと思った。

すこしの沈黙が流れて、そうしてさっき触れたばかりのくちびるにかたい指が這う。冷めたはずの熱がまたぶり返してきて、一丁前に切なくなった。

「そんな程度で済むと思うか」
「はい……?」
「俺は一度手に入れたものは、死ぬまで離すつもりはない」

風間さんがわたしの首元に顔を寄せた。首筋に一瞬するどい痛みが走って、思わず目をかたく瞑った。ジャケットはすべて前を開けられ、可愛げのない白のトップスが晒されている。服の裾から風間さんの手が入れられて直に肌に触れられたら、もう何も考えられなくなる。

「つまりお前が黒トリガーを作ることは不可能だと思え」と随分昔の話題にも感じられるわたしの発言に今更ながら答えをくださった。ずるい人だ。それになんだかわたしのプロポーズより直球でカッコイイことを言われた気がして、なにか言ってしまいたいのにじわじわと熱に侵食されては下くちびるを噛んでやりすごす、その繰り返し。

「風間さん、あの、やっぱり電気、消していただきたいなあなんて……」
「諦めろ。“行為は”優しくすると言ったがそれ以外は知らん」

嗚呼、ずるい人だ、本当に。




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