青天の霹靂だった。

米屋とは一年のときから仲が良かった。そして、それから数か月後に、はじめて出水くんと出会った。隣のクラスの友達に会うため、教室の扉を開けた、そのときにぶつかりかけて、「悪ぃ、大丈夫か?」なんて言葉をかけられて、それが出水くんだった。今でもなんとなく覚えている。

たぶん、一目惚れというやつだったのだと思う。その日からわたしは、出水くんに会えると嬉しくて、出水くんが告白されただの何だのという噂を聞くたびに落ち込んで、そして米屋はその度に、わたしの話を聞いてくれた。

米屋はとても良いやつで、そこそこの女友達といるより、一緒にいて楽しかった。毎日馬鹿やるのが楽しくて、だけど米屋自身は気配りも上手で。つまり米屋は友達として、申し分ない人間だった。

わたしは、信じて疑わなかった。米屋とはこれから先ずっと友達でいられると、そんななんの根拠もないことを、信じて疑わなかったのだ。







「おまえが出水しか見えてねーの、知ってるけど、まあ、言っときたくてさ。……おまえのこと、ずっと好きだった」

なんで。どうして。

そう思うわたしのこころはきっと、顔に表れていたんだろう。米屋は苦く笑いながら「まあまじで、言いたかっただけなんだけどな」と続けて呟く。その表情は今までに見たことがないもので、心臓がざわざわと気味悪く揺れて、毒を全身に回しているような感覚だ。視界の端に見えるのは、教室に並んだ机。前後に並んだ、わたしと米屋の席。こんな何かのドラマみたいなことが、自分に起こるとは思っていなかった。

わたしね、出水くんが好きなの。出水くん、かっこいいな。今日、出水くんと話せたんだよ。米屋のおかげ。

米屋はわたしのそれらの言葉を聞いて、どう思っていたんだろう。

「……なんつーか、アレだわ。おまえとなんでもねーこと喋ってんの、楽しいけど、……出水のことだけは結構、しんどい、かも」

米屋が自分に背中を向けるのが、スローモーションに見える。また明日、そう言って手を振るときや、防衛任務で早退する米屋を見送るとき。何回も見たはずの背中は、今まで見てきたものと同じくとてもたくましいようで、今までで一番頼りない気がした。

たとえばわたしが出水くんから、「好きな人がいるんだ」とか「協力してほしい」とか、そういうことをもしも言われたら、どう思うだろう。そんなことをすこし考えて、もう今の時点で米屋のことをきちんと考えられていない自分にいらついた。

だけど咄嗟に思ったのは米屋がいない日常で、出水くんを抜きにしたって、想像できるものじゃなかった。ベージュのセーターの袖をぎゅっと巻き込んでてのひらを握る。冷たいような暖かいような自身の手のひらは、わたしの脳をにぶらせた。

「米屋……!」
「……、んー?」
「米屋と話せなくなるの、やだ……っ」

つい反射で叫んだその言葉は、子供っぽくて馬鹿らしくて、あんまりに身勝手だった。それは分かっている。でもわたしは、米屋がいないと、いやだ。

振り返った米屋は、わたしの腕を掴んで、引っ張った。そうして、独り言のように「わかんねえよ」と呟いたあとすぐに、腰を屈めて、わたしの首もとに顔をうずめる。わけが分からないままに感じたのは、ちゅう、という音と、すこしの痛み。いつの間にか抱かれていた肩、その場所に心臓が移動したんじゃないかって、そんな風に思うくらいには、触れられた肩が熱くて、その場所だけありとあらゆる感覚が顕著で、鼓動があまりにもうるさい。

米屋がわたしからそっと離れる。ぴりぴりと痛むこの首元は、わたしの浅ましさか、米屋のやるせなさか。とにかく、そういったものが鳴いていた。ただの通学路であるはずのこの空間は、むなしいくらいにふたりぼっちだ。

「……な?おれはこういう、サイテーな男だから」

ごめんな。そう言った米屋の表情は逆光でよく見えなくて、だからこそ泣きそうになる。わたしは、なんて頭が悪いんだろうか。こんなに寂しそうな声で無理やり絞り出したWごめんなWに、何を言えばいいのかが少しも分からない。

 今度こそ、米屋は離れていく。『わかんねえよ』。わたしの鼓膜には優しすぎた声が、こだまする。

 もっと、酷いことを言ってくれたらよかったのに。わたしはただ、今まで与えられてきた居心地の良さをすこし取り上げられただけで、米屋を傷つけ続けたことについて、何一つ責められてもいない。言葉にする資格なんかない『ごめんね』を、喉の奥で何度も呟いた。寒さで粟立つ肌が、今のわたしにはお似合いだと思った。



▽▲▽▲▽



「……あー……、言っちまったなー……」

数日前のやり取りを思い出してそっと息を吐く。あいつといると楽しくて、だけどそれと同じくらい苦しくて。あいつが今俺に向けてる笑顔は他のダチにも同じように向けられてるもんだけど、弾バカに見せる表情はそれとは違う、他の誰も見られない特別なカオなんだと思うと、心臓が痛くなって肺が狭くなって、俺はこんなにもセンサイなやつだったか、なんて柄にもなく思うくらいだ。

あいつとは、あれ以来まともに目も合わせてない。今日は11月29日。いつもなら隊のやつらが祝いの言葉と一緒に何かプレゼントをくれたりとか、クラスのやつらにテキトーに祝われたりとか、そういう過ごし方をしていて、まあそりゃ嬉しいけど、そこまでの特別感を感じずに過ごしてたのに。LINEを貰っても、おめでとうの言葉を貰っても、その中にあいつがいないことが、こんなにもWトクベツWだ。笑えない。

 今まで通り何も言わなければ、あわよくば一番の親友として、ずっとあいつのそばにいられたかもしれないのに。誕生日おめでとうって一言だって、たぶん朝会ったそのときに、おはようのすぐあとに貰えただろうに。

ふいに、スマホがメールの着信を知らせる。まさに今考えていたあいつからで、そもそもメールなんていうツールを使うこと自体久しぶりだ。既読のつくメッセージアプリの方じゃ読まれないとでも思ったのか(まあ確かにその通りだったかもしれないけど)、だけどじゃあ、そこまでして連絡したいことって何だ。

軽く息を吐いてから、そっとメールを開く。フツーに、誕生日おめでとう、かもしれない。だけどもちろん、そうじゃないかもしれない。どんな内容がつらつらと書かれているのか、情けないことにおそるおそる開いたそれは、意外にも数行だけのシンプルなものだった。

───米屋と会って話がしたいので、旧弓手町駅で待ってます。

絵文字も何もない、味気ないメール。だけど今までやりとりしたどんな言葉より力があって、それでいて怖かった。旧弓手町駅は今は使われていない、無人の駅だ。話をするのに適していて、だからこそ行きたくない。

今更話すことなんかない。会いたくないし、できれば顔も見たくないくらいだ。

「…寝よ」

スマホをそこらに放り投げて、そっと目を閉じた。瞼の裏に居座るあいつのその白くて細い首には、俺がつけたはずの痕なんか、少しも残っていなかった。





目が覚めたら、日が傾きかけていた。時計を見ると、2時間くらい寝てたみたいだ。仮眠にしてはちょっと長すぎるくらいなのに、結局あいつのことが頭から離れないあたり、自分は意外と女々しいらしい。

なんとなく枕元にあったスマホをいじる。あいつから来たあの短いメールをぼーっと思い出す。そうすることで、何かが変わるってわけでもない。俺はあいつの頼みを、好きな女の子からのお願いを、まるっきり無視した最低野郎だ。

だけどそのたった十数文字をまた眺めたくなって、今じゃなにかのサイトのメルマガをチェックするとき以外見ることもなくなったメールボックスを開く。あいつからのメールを指先ですこしスクロールをすると、一行だけだと思っていたそれの下に空白が数行あることに気付く。

「……っバカじゃねーの……」

ジャケットをひっつかんで、ケータイだけを持って部屋を飛び出した。数行分の空白、スクロールしたその先には、「来てくれるまで、待ってます」という一言。

あいつが変に頑固で、変にやさしいのも知ってる。今まで何回だってそういうところを見て、その一途さが、たまにしか会わない出水じゃなくて、いつも一緒にいる自分に向けられないかって、そんなことばかり考えてきたから。

雑に袖を通したせいでジャケットの袖の部分がすこし気持ち悪かったけど、そんなことはどうでもよかった。ただあいつがもう俺の走った先に居なければいいのにって、ただそれだけを心の中で考えていた。トリオン体になって屋根を飛び越えていきたいところだったけど、見つかったらあいつにも迷惑がかかりそうだったから、すんでのところで我慢した。

一方的な約束を取り付けられたその場所のベンチには、メールがきてから3時間弱も経ってるっていうのに、マフラーを巻いてるもののそこそこ薄着な格好で手をすり合わせている、あいつがいた。

「っ、はぁ、おまえ馬鹿か……っ!ちょっと待って、来なかったら、帰れよ……!」

混乱と、やっぱ好きだって気持ちと、あとなんかざわざわして落ち着かない脳のどっかと。「だって米屋とどうしても、話、したくて」。寒そうに震えるくちびるでそっと訴えられたのを見れば、どうしようもなく守ってやりたくて仕方ない。まあ突き放したのは自分で、人気のない駅にこんな寒い中待たせたのも自分だから、ただの自業自得だけど。

とりあえず自分のジャケットを脱いで大雑把に着せてやれば、あいつはぽかんと間抜けな顔で俺を見た。こないだの告白忘れたのかよ。いくらフラれたからって、好きなやつが凍えてんのに何もしねえほど、馬鹿でもねえんだけど。心の中で負け惜しみみたいなことを呟いていたら、何気なく自分の指がこいつの手の甲に触れた。驚くほど冷たくて、気付けばその細くて小さくて今は氷みたいな温度の手を握り込んでいた。

と、それを自覚したのは、こいつが自分の手を包む俺の手の甲に、こつん、と額を預けた瞬間からだった。

「今更だって、思ったら、断ってくれていいから。だから、聞いて」

正直、うまく頭が回らなかった。好きな女の子に防寒のためとはいえ自分のジャケットを着せた状態で、自分の手で好きなその手を握ってそれを振り払われることもなくて、そのうえこれまた冷たい額に自分の手を触れさせられて。

それだけで俺の心臓はどくどくと煩いから、こいつの声を聞きたい気持ちはあっても落ち着いていられなくて、ろくに返事もできないまま、こいつの声は続いていく。

「都合のいいこと言って、ごめん。最低なのは分かってる、けど……。米屋のことが、好き、です」
「……え」
「誕生日、おめでとう。ほんとに、ごめんね」

ああついに幻聴まで聞こえ始めたのか。

そう思う他に、何も考えられなかった。数日前にフラれたショックで、願望が耳をおかしくしてしまったんだろう。だって、こいつはずっと弾バカのことが好きで、俺はずっと、それを隣で見続けてきたんだから。

だけど、ようやくピントを合わせることができたその俯いた顔は寒さのせいにするには無理がある程度には真っ赤で、言葉だって冗談には聞こえない程度にはか細くて。ていうか、俺の誕生日、覚えてたのかよ。

「……おまえ、弾バ……、出水のこと、好きなんじゃねーの」
「……わかんない。かっこいいなあっていうのは、思うけど」
「………」
「でも、わたしは、米屋といたい」

ああ、もう、幻聴でも妄想でも夢でも、なんでもいい。こいつがこんなに近くにいて、赤い顔で俺をまっすぐに見つめて、俺はそんなこいつの手を包んでて。深く考えなくたって、傍から見ればハッピーエンドってやつなんだから、どうやら現実らしいその頼りない声を、信じてみればいいと思った。

今更ごめんね、ともう一度謝って俺から離れようとするその肩を抱き寄せて、とにかく寒さばっかりを吸い込んだその身体を腕に閉じ込めた。どんな気持ちで数時間、俺を待っていたんだろうか。その待っている間の不安は、告白を断られたくせに卑怯なことをして繋ぎとめようとした俺と、どんな対価で結ばれるべきなんだろうか。

「……よね、や、くるしい」
「うるせえ。……んな、どこもかしこも冷たくなるまで、こんなとこにいやがって」
「うん……、ごめん」
「おまえは今更って、言うけど。俺はおまえが思ってるよりずっと前から、おまえのこと好きだったんだから、このくらいなんでもねーの」

単純な造りをしているこの頭が、おまえ相手だとどれだけぐちゃぐちゃな思考回路を巡らせているかなんて、きっと知らないだろうな。さすがにめちゃくちゃかっこ悪いから、俺だけが知っていればいいことだけど。

「なあ、おめでとって、もっかい言って」
「え、と……、お誕生日、おめでとう」
「……さんきゅ。なあ、こないだのとかは一旦、ナシな。仕切り直し、させて」

今度は冷たくて熱い頬っぺたを両手で包みこめば、さっきかけてやった俺のジャケットがばさりと地面に落ちたけれど。抑えのきかない衝動のせいでお構い無しに一瞬だけくっつけたくちびるは、ただなんとなく、やわらかかった。

こいつに負けないくらい真っ赤だろう自分の顔を見られたくなかったけれど、目を逸らさずに「すきだ」と言った。キスに驚いて固まるこいつに、俺の緊張も高揚も不安も下心も、なにもかも全部伝わっちまえ。ヤケになってもう一度、その薄いくちびるを攫ってやった。




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